1勝手目 沖田洋という厄災(3)

 夜中、沖田から着信が入った。まだ起きていたからよかったものの、午前2時という非常識な時間に平気で電話をかけてくる愚かさよ。

 出るか迷う。だが痣のこともある。仕方がないから出てやるが、不機嫌を大袈裟にして応答することにした。


「何だ。こんな時間に」

「……またアザが広がってきてるんだ」


 深刻な声に、すぐさまビデオ通話に切り替えた。薄暗い部屋にいる沖田が「ほら」と脚を映すと、青紫色の痣は膝下まで広がっていた。

 マーブル模様は渦を巻くように変わり、異常さがわかる。


「普通じゃない、病院に行くぞ。皆を起こすんだ。俺も行くから」


 病院へ連れて行かなければまずいと思い、アウターを羽織り、ボディバッグを肩にかけた。


 しかし沖田は「待って!」と大きな声を上げる。部屋の明かりを明るくするとフローリングに投げ置かれた見慣れない本を映した。

 顔を画面に近づけて見ると、まるで博物館に展示されていそうなレベルの物に見える。


「もしかしたら、読んじゃいけないものを読んじゃったかもしれない。これを読んでからアザが変なんだよ! ミミズみたいな字なのに、読めるんだよ! 大学で勉強してないのに、こんなの読めるわけないだろ!」


 不安と恐怖で興奮しているのが声でわかる。そして嘘ではないと、開いたページを見せてくる。

 日本語らしくはあるが、あまりにも古い書物で、専門的な知識を持つ人が読むような歴史を感じさせるものだった。

 まず、その本はどこから出てきたのか? まさか大学からくすねてきたのか? それとも、どこから手に入れたのか?


 沖田のことだからありえなくもない。そう思うと心配も呆れに変わり、痣も彼女が施した特殊メイクか何かだろうと決めつけ始めた。真面目に話すのが馬鹿らしくなった。


 沖田は、悪戯がバレていないと思っているのか、本の内容をべらべらと話し続ける。本当は読めもしないのに嘘が止まらない。

 俺はそうかそうかと聞いているふりをしながら、バッグをラックに掛けて就寝の準備を始めた。


 沖田が話を聞いていないことに気づき、何度も「土方!」と呼ぶ。

 夜中に悪戯に付き合わされてうんざりだと告げ、電話を切ろうと親指を液晶に近づけた。


「土方、ちゃんと聞いてよ!」と沖田が癇癪を起こして叫んだ。


 そのタイミングを見計らったかのように、ゴォーーッと大きな地鳴りが響き、すぐに部屋が揺れた。立っていられないほどの揺れで、家具が倒れ、家が軋む。


 別室からは、両親が飛び起きた声が聞こえてきた。点けていた部屋の電気はバツンという音とともに消え、目の前が一瞬で暗闇に包まれた。


 既に揺れているというのに、遅れて緊急地震速報がより一層不安を増幅させる。窓ガラスや家具で怪我をしないように掛け布団をかぶり、揺れが収まるのをじっと待った。揺れが止まるとすぐに、電話を手に取った。


「洋!  大丈夫か!」


 返事はない。沖田がどうなっているのかわからない。カーテンと窓を開け、沖田の家に向かって「洋!」ともう一度叫んだが、返事はない。


 家具の下敷きになったのだろうか。 あの揺れなら何が倒れてもおかしくない。二度三度と叫んだが、やはり応答はなかった。


「守、一度外に出よう。洋ちゃんも外にいるかもしれない」


 父親が懐中電灯を片手に部屋の扉を開け、外へ出るよう促した。母親も一緒に、散乱した家具や物を踏まぬようにして、軋む玄関ドアを押し開け外に出た。

 夜は深く、停電している。普段は見られない星明かりが眩しい。


「家の中にあったんだよ! お父さんの部屋にあったんじゃん!」


 余震と同時に沖田は言う。どうやら沖田家も外に出ていたらしく、「せばだばまいねびょん」と書かれた青森の方言Tシャツを着た沖田が、真っ黄色のな短パン姿で立っていた。

 足にはまるで靴下を履いているかのように見える痣があり、その禍々しい模様に俺の母親は驚いていた。


 父親が沖田家に安否を問いかけたものの、誰もこちらを向いてくれない。何故だろう。

 あれだけ大きな地震があったのに、沖田家だけはそれを重要視していない様子だった。


「洋……お前」


 沖田の父親が半ば呆然としながら、ゆっくりと手を伸ばした。沖田は、胸のあたりであの本を大事そうに抱きしめ、両親を神妙な顔で見つめていた。


「パンドラの箱を開けたのか……」


 もう元には戻れない。地震の衝撃より、その本が沖田家の関心を奪っていた。沖田が取り返しのつかない事をしたことは明らかだ。


「土方ぁ」


 沖田はしっかりと本を抱きしめたまま俺を呼ぶ。

 深い不安を抱え、言葉を失って立ち尽くしていた。


 沖田の痣が広がっているのは単なる偶然なのか、それとも本当にあの本が原因なのか。


 この異様な出来事が、俺達の日常を一変させることになるのだと悟ってしまった。

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