第17話  七匹のねずみ

 練習日の飲み会が恒例になると、皆はますます時間を見計らって来るようになりました。たまに早く来た人でもほとんど稽古はせずに、世間話でくつろいでいます。佐川さんはいつも先に来て、ビールとおつまみを用意しておいてお店に戻ります。


 皆は八時頃にはそれを飲みながら、ラジオで野球中継を聞いたりします。どこのチームが好きとか、パチンコや競馬などでいくら儲けた、損したなどとそりゃぁとても楽しそう・・。こんなことでは落語研究会の看板は外し、道楽研究会にでもしたらどうでしょう。佐川さんが適当に用意してくれたビールも、来る人が極端に少なかったりすると一人で何本も飲むことになって、この会館だけで飲み会も終わりとなります。



 そんな具合の東谷落語研究会は、何だか無意味な会のようでしたが、何となくダラダラと続いておりました。沢山いた会員も名前ばかりの人が多くなり、いつしか実際に活動する人は十人ほどになりました。


 ある日、珍しくその十人が揃って集まった時がありました。久しぶりに部屋も賑やかになり、

「ひとつ今日はちゃんと練習をやってみようか」

 と師匠が言うと、皆は順番に高座に上がって小噺をやってみました。


 

 やはり仲間が揃うと活気があって皆もとても楽しそうで、生き生きとして話す口調にもそれがよく表れておりました。

「そこでおじいさん、芝を刈らずにくさかった」


「・・どうりで、下から松茸が顔を出した」

 次々とやって大埜さんと佐川さんが残り、いつものように佐川さんが


「大埜さん先にどうぞ」と言うと大埜さんは、


「そうですか、ではお先に」

 と言って高座に上がりました。


 そして座布団に座ると手前に扇子と手拭を並べ、懐から紙を出して扇子の上に置きました。それからゆっくり深くおじぎをすると


「え~、私、本で研究してみたんですが、自分なりにやってみてもよろしいでしょうか。」

「ではわたくし、カンニングペーパーも用意しましたので・・・・」

 と言いまして、皆が何をやるんだろうと思っていますと


「本を見ていろいろ考えたのですが、これがとっても気に入ったもので。『ねずみ』をやってみたいと思います」

 そう言うと、彼は家で一生懸命に練習したであろうと思われる噺を、十五分ほどかけてやりました。


 その噺はかいつまんで言うとこうであります。

向かいの性悪な宿屋に乗っ取られ、貧乏になってしまった気の毒な宿屋の子供の為に、客として泊まった左甚五郎が鼠を彫ってやった。するとまるで生きているように動くと評判になり、宿は大変に繁盛するようになった。


形勢逆転に困った向かいの宿では、そちらが鼠ならこちらは虎だと名工に彫らせて対抗した。すると虎に睨まれて動かなくなり元の置物になった、鼠の噂を聞いた甚五郎は戻って来て鼠に言った。

「おい、お前はあんな虎が怖いのか?大した出来でもないようだが何故だ」


すると鼠は動き出して

「ああ、あれは虎だったんですか、私はてっきり猫だと思ってました」

というオチであります。


この話の内容と大埜さんの積極的な姿勢に、皆はとても驚きました。すっかり感心しきった皆の顔には、自分達も負けてはいられないぞという気持ちが表れておりました。


 大埜さんのその噺っぷりは、落語に慣れている師匠や私などには、登場人物が話す時の上下(かみしも)や、性格描写などの細かい点や間の取り方等はまだまだだと思えたし、覚えたての人はこんな風に話してみたくなるものだ、ということがよく分かっていましたが、皆には大いに羨望の的でありました。



「いやぁ、大埜さんにこんなに立派にやられちゃったら俺、次にやれないよぉ」

と佐川さんが言うと、皆も口々に

「どうやって練習したの」


「本だけでぇ? よくそんなに上手くなったよね」

 と大埜さんを褒めて、佐川さんの順番はすっかり忘れられてしまいました。


 実は佐川さんは今日こそ、高座に上がろうと思って来ていたのでありました。

皆には内緒で密かに練習もして来ておりました。彼はものごとをきちんとやりたい方で、噺をするにもある程度自分で納得する所までいきたい、そしてやるからには皆をアッと言わせてみたい、と思って練習をして来たようでした。


 それなのに自分がアッと言わせる前に、大埜さんがアッと言われてしまったので、もうこれは完璧に仕上がるまでやりたくないなと思ったようでありました。そしてそれ以来またしばらくの間、佐川さんが高座に上がることはなくなっていきました。



 皆は本当に羨ましそうでありましたが、馬さんにはその気持ちがよく分かりました。学生時代には仲間達が練習を積んで噺を高座にかけると、皆で聞いて上手いだの下手だのと、本音ともお世辞ともつかないような批評をしながら、自分も早く噺を仕上げてやろうという気持ちになったものでしたから。



 その次の練習は皆の都合で日曜日になり、急な変更で練習場所の予約が出来ず、我が家が練習場になりました。広原さんのお店も休みだし、たまには場所を変えて飲むのもいいだろうと、私は居間のテーブルやソファーを移動して、少し広い空間を作りました。隣の和室の襖を取り払い、一段高くなっている座敷の段差を利用して高座にしたて、真ん中に座布団を置くと立派な舞台となりました。


 練習なんてほんの形だけのものと思っていましたが、いちおう用意してみたその舞台は皆には大うけでありました。順番に高座に上がって噺の練習をしてみようと言うと、いきなり武田さんが


「私、この間大埜さんがおやりになった『ねずみ』をやりたいと思いますが、皆さまいかがでしょうか」

 

 と言うなり、台本があった訳でもなく、前回に聞いた噺の筋を覚えていて、自分なりにアレンジした「ねずみ」をやってみたのでありました。

 

 もともと武田さんは人にものを語ってみせるのが得意のようでしたが、一度聞いただけの話をよく上手に話せるものだと皆が感心していると、次に榎木さんが「ではアッシも『ねずみ』を」と言い、続いて浦辺さんも、そして広原さん、鬼頭さん、弦巻さんと、同じ話が六人によって話されました。勿論全員が全く話になってはいませんでしたが、小噺ばかりをやっていた皆にとって、噺らしい噺はとても魅力的だったことでありましょう。


 

 自分もあんな風に喋ってみたいものだと真剣に思って、やってみたのでしょうねぇ。

「いやぁ、大埜さんみたいに喋ってみたかったんだ」


「ちょっと真似をしてみるつもりだったんだけど、皆が俺と同じ気持ちだったとは思わなかったよ。今度は俺も何か噺を選んで、大埜さんのようにちゃんとやれるようにするよ」

 と浦辺さんが言うと


「大埜さんみたいに上手くいかなかったけど、そうだよなぁ、俺達みんな、ちゃんとした噺を出来るようにしようぜ。」

 と皆は大真面目でありました。


「大埜さんの真似して皆でやっちゃったけど、本当に噺がねずみだけに、皆でかじっちゃったなぁ、ボロボロにしてゴメンよ」

 と榎木さんがおどけると皆も揃って笑いました。



 師匠がニッコリ笑って

「七人も『ねずみ』やったけど、筋は全く同じでも各々みんな違った感じを受けたでしょ。落語って話す人の性格っていうか、その人の持つ味ってぇものが滲み出て来るものだって思わない?」


「本職さん達にしたってそうだよね。同じく話したって若い頃のと、年取ってからのでは味わいも違うしねえ」



 師匠の言葉に皆は、本当にそうだなぁと感心してしまいました。大埜さんの「ねずみ」のお陰で、皆の緩んだ気持ちにやる気が少しだけ沸いて来たようでありました。


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