第15話  ありがたいことです

 おだてに弱い馬さんがのせられて始めたものの、落語研究会というにはちょっと物足りない「らしきもの」であったこの会も、やっとどうにか研究会と呼べるようになりつつありました。


  冗談で作った「俺より上手くなったら破門」という厳しい掟は、自分より上手くなられたんでは、自分が目立たなくて困るからと、ただそれだけのことでしたし、「一日たりとも先に入った方が兄さんで、目上の人にものを言う時には気をつけること、ましてや師匠に対してはなお更のこと、よいか!」の洒落にも、すぐさま「御意!」と賛同してくれる会の仲間達でありました。



 落語に特別の技がある訳でもなく、本職に弟子入りした訳でもないずぶの素人の馬さんを、いくら洒落だから遊びだからと言っても、これ程たててくれるのですから、そりゃぁもう彼らの友情に心の底から、感謝して過ごす毎日でありました。



 馬さんと所帯を持って長い年月を過ごしてきた中で、私達は時おりお互いの共通点である、落研時代を懐かしむことがありました。

「あなた、『源平』うまかったわよねぇ、地噺(登場人物の会話や動作での演出が無く、説明で話が展開していくというもの、デス)でもけっこう笑いがとれてたし、講談の一節なんか入れてアピールしちゃってさ、自己満足出来た部分だってあったしね、あれが一番良かったんじゃない」


「そして『干物箱』なんかも得意だったしね」とちょいとくすぐると、不感症なのでありましょうかこの馬さん、少しもくすぐったがらずに大真面目で乗って来て、「好太郎や、おい、好太郎・・」と落語の一節が始まるのでした。

 


 そうなると私はのぼせ症の夫を更にのぼせさせ、「親の恩、夜降る雪に音もなしなんてぇことを・・」と唱和してみせて、研究会では「自称モテモテ『十人中十人』のつけ馬さん」を興奮のタン壷、いえ、るつぼとやらにはめて差し上げるのでありました。

 

 で、この「十人中十人」なるものとはなんぞや?ですかって? へへ、これがまた阿保らしい! ケッ、笑わせやがるじゃござんせんか。一時期、大学の落研には何人かの女子学生が所属しておりました。学生噺家さん特有の騙しに近い勧誘に乗っかって、ちょっとの間だけいた女性陣の、十人のうち十人全てが自分を好いている、という誠に被害妄想というか、いえ違いました、これは女性が被害者でしたね、その妄想にふけっていた馬さんでありました。 


 しかし、大学で学んだことは素晴らしいものでありまして、どうやら馬さんは自分自身をしっかとみる力を学んだようでありました。私が名付けた「孟宗竹の夫」は「妄想だけ」で十分に喜ぶ術を身に着けて、他にはろくに学ぶことなどなく、落語というこの上もなく大切なものだけを得て卒業したのでありました。

 


 数年経ったある日、「十人中十人」とは馬さんの親友である、田中さんのことだと言うなら分かるけど、とちょいと口走ってしまいましたら何と、馬さんは興奮の極みで卒倒しそうになり、のぼせ症から興奮症へと激変し、それ以来、重症なる興奮症患者となって今日に至っております。

 

 興奮すればそりゃぁモ~ッ も~う大変で「ばかやろう、冗談じゃぁねえや、俺が、俺が・・」となりまして。そんな「もう牛」に、オレ、オレッと立ち向かう術を、最近になって習得致した私なのでございます。あっ、興奮症のばか馬さんには「オレ、オレッ!」ではなく「ドウドウ!」でしたか、ま、ドウでもいいことではございませんか。

 


 こんな風に過ごした学生時代を、共に懐かしむ我等夫婦でありまして、未だに思い出話に花が咲き、それが萎れてしまうどころか、更に皆さんによって町内でもっともっと、花を咲かせてくれようとしているのですから、本当にありがたいことだと感謝しているわれら夫婦なのであります。


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