第12話 死んだ心

 依頼主……。

 俺を殺せと命じたやつ、それは一体誰だ?


 心がざわつく。

 気持ちを落ちつかせようと、七志は視線を左右に走らせた。


 知りたくない。

 教えてもらったところで流れに逆らえないだろう。


 ——殺し屋、辞めたいのか?

 

 あのとき、桐谷に問われた。


 ——そうだと言ったら?


 思わず七志は本音を漏らした。

 その結果、いまの状態を引き起こしてしまったのは明白。


 こうなった原因は全て自分にある。

 自業自得だ。

 逃れる術はない。


 少しずつ気持ちが落ちついていく。

 納得という形で……。


「本当は気づいているはずだ。

 だったら、狙うのはわしじゃない」


 説得するように老人が話しかけてくる。


「わしの命など奴——依頼主にとってはなんの価値もない。

 情報を渡した時点で無用だ。

 それは兄ちゃんも同じ……無用な者は消すのがこの世界の常識」


 老人がにたりと笑った。


「でも、奴を始末すれば兄ちゃんもわしも助かる……。

 そう思わんか?」


 老人の言葉が耳に飛びこんできて、頭のなかに留まりつづける。


 奴を始末すれば——。


「わしを始末しろと言ってきた奴、そいつが兄ちゃんを狙っている」


 心にとどめを刺された。


 気づいていながら避けてきた答え。

 それを指摘された。

 もう隠せない。

 経験したことがないほどに動揺している。

 

 殺し屋を辞めたいと伝えたとき、気づくべきだった。

 すんなり解放されたばかりでなく、しばらく何事もなかったのは嵐の前の静けさだったのだと……。


 最後に殺しの依頼を受けるという条件付きとはいえ、引退を認めたのもおかしい。

 時間をかけて殺し屋に仕立てた駒をあっさり捨てるはずがない。


 頭の隅ではわかっていたのに、なぜか認めてほしいという願望が勝ってしまった。

 だから、疑わなかった。

 俺を殺そうとするとは……。


「よく聞け、わしを殺せと命令した奴。

 そいつにわしは頼まれた……兄ちゃんを殺せってな」

「黙れ!」


 老人が笑っている。


「奴を殺せ。

 そうすれば、わしも兄ちゃんも助かる」


 老人がささやく。


「……助からない」


 七志はつぶやくのと同時に老人の口を左手で塞いだ。

 抵抗されるより先に右手のナイフを動かす。

 一瞬の苦しみですむように喉をひと突き。

 右手に皮膚を裂いて刃先が肉にめりこんでいく感触を味わい、左手に老人の吐く息の生暖かさを感じた。


 俺の命はある。

 だが、心は死んだ。

 それまで確かに心のなかにあった思いが血を流し、息絶えていく。


「どうして……」


 両手を離すと、老人は地面にくずおれた。


 どうして、直接言ってくれなかったんだ。

 殺し屋を辞めるなら死ねと。


 どうして、自ら手を下してくれなかったんだ。

 物分かりのよい養父を装ったりしてほしくなかった。


 手が震えつづけている。

 どうにかして心を落ちつけようとしていると、ビニールシートをくぐって犬が入ってきた。

 一直線に老人のもとへ駆けつけ、しきりに鼻をひくつかせている。

 臭いでなにかを察したのか、七志に視線を送ってきた。


「ううっ」


 犬は歯を剥きだしにし、低い声で唸り声を発する。

 いつもあんぱんをねだる犬と同一とは思えない。

 完全に敵とみなし、攻撃をしかけんばかりの勢いだ。


 七志は黙ったまま犬を見つめた。


 殺しを目撃されたら必ず始末する、これが鉄則だ。

 警察に通報されると面倒だし、裏社会に情報が流れてしまうと敵を作ってしまう。

 だから、殺す。

 これもまた生きるために殺すことにほかならない。


 だが、目撃者は犬。

 初めての経験だ。

 犬は話せないし、通報したりしない。

 だから、放っておいても問題にならないだろう。


 そう考え、七志は手を震わせながら外へ出ようとした。


「ううっ、わん!」


 去っていく七志に向かって犬が激しく吠えた。


 視線が切れ味鋭いナイフのように身を裂き、鳴き声が弾丸のように胸を貫く。


 やめてくれ。


 歩きながら七志は嘆願した。


「ううううううっ」


 犬の唸り声は止まらない。

 両手にそれぞれ残る感触が消えるどころか強くなり、震えが増していく。


 勘弁してくれ。


 急いでダンボールハウスを抜けだす。

 その足で公園内に設置された水飲み場に向かった。

 蛇口を目一杯開き、両手を清めるように洗ってく。


 強い水流を指に感じながらも、しっかりと皮膚を裂く感覚、息の生暖かさが残っている。

 どんなにしっかりと洗っても消えない。

 感触も記憶も——。


 いやだ、もうやめてくれ!


 激しい拒否感が全身から発せられる。

 次の瞬間、ぱんっとガラスが弾けるような音がした。

 それをきっかけに視界がゆらゆらと揺れて歪み、手にあった感覚の全てが徐々に失われていく。

 その代わりに全身に激痛が走った。

 拳銃で足を撃たれたときとは比べものにならないほどの痛みだ。


 ※※※


「わぁぁぁぁ」


 七志は叫んだ。

 激痛に身をもだえながら右手を前に出した。

 助けを求めるように手を動かす。

 すると、指先になにかが触れた。

 生暖かい感触と土の匂いが鼻を襲う。


 土?


 右手をかいた。

 土をかき分けるように動かしていく。

 そのうち左手も参戦し、両手を激しく動かす。

 すると、突然手が空を切った。

 鼻腔に土の匂いと共に空気のすがすがしさがなだれこんでくる。

 

 なにが起きたのかと考えていると、それを邪魔するように大きな音がした。

 聞き覚えのある音だ。


 そうだ、土蛇が崩壊したときと似ている。


 痛みに耐えながら自身の体を舐めるように見た。

 全身が血と土にまみれている。


 さっき見た状況と同じだ。


 青年がとぐろ状態の土蛇から抜けだす場面が脳裏に浮かぶ。


 俺も消滅せずに途中で脱出してしまったみたいだな。

 でも、どうしてなんだ? 

 望んで土蛇に飲まれたから? 

 それとも他に要因があるのか?


 少しずつ全身の痛みがおさまり、脳が活発に動きだす。

 土蛇に飲みこまれる前後、そのあとの状況など記憶を辿った。

 なにが起き、どうなったのか情報を整理していく。


 土蛇に飲みこまれた人間の末路は、いまのところ把握しているのは二種類。

 消滅、または脱出だ。

 入口は同じだが出口は違う。

 このふたつの結果の差はどこから生まれたのだろう?


 七志は考えを巡らせた。

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