あなたと一生、繋がりたい。

@tokimiyacoffee

第一章 彼女に手錠をかけるまで

その1

■一日目/加害者



 これは私が同級生の少女に手錠をかける話だ。



 あしたから五月の連休がはじまるという日。美術部所属の彼女が部室に忘れていったスケッチブックを届けるという名目で私は彼女のマンションを訪れた。入口にあるインターホンを押して名乗ると彼女はすこし驚いたような反応をして、『なんだ、そんなのべつによかったのに』とほんとうにどうでもよさそうに云った。


 知ってるよ。


「うん、でも」私は胸の前のスケッチブックを抱えなおす。「あしたから連休でしょ? ふと描きたくなったときになかったら困るかな、と思って」


天峰そらみねさんは面倒見がいいね。それともおりこうさん、のほうがいい?』

「どちらでも」


 入って、と彼女は短く云って私を内部へと導いた。駅から徒歩五分のファミリー向けマンションに彼女はいまひとりで住んでいる。父親の海外赴任に母親もついていったからだ。


 硝子の向こうにいる管理人に会釈をし、大きな鏡が正面についたエレベーターに乗りこむ。


 ややクセのある明るい髪を下のほうでふたつ結びにして、しわのないシャツの上から紺色のパーカーを着た女子高生はくまのマスコットがついた学生鞄を肩からかけている。このなかにはぴかぴかの手錠。


 さっきの管理人がこれに気がつくはずなかったけど、私の心臓は大きく脈打っていた。


 エレベーターに乗ると私はいつもここに閉じこめられるのではないかという危惧をいだく。扉も箱自体の駆動もすべて電力に制御されているのが不安なのだろう。疑わしい、というのが近いかもしれない。電気という存在が人間に隷属する理由などひとつもないのだから。


 それでも私は裏切られることなく七階に運ばれた。ホテルとおなじ、よく管理された建物の匂いがする。人間の手で作られた無臭だ。ローファーの踵を鳴らしながら石目調のタイルの上を歩き、一番奥の黒いドアの前で立ちどまる。


 701号室。

 インターホンを鳴らして、簡単なやり取りをして、ドアが開く。


「わざわざ」


 彼女はまだ着替えていなかったようだ。胸元の赤いリボンもしっかり結ばれている。「きてくれるなんてね。ありがとう、天峰さん」


 憂井うれいあめは静かな美しさを持つ少女だ。肩にかかる黒髪は濡れたように光り、白い肌は空から降る雪のよう。プリーツスカートから伸びる脚はすらりとしていてモデルみたいだ。


 前述した父親の転勤等でごたごたしていたらしく、彼女が初めて登校したのは入学式を三日過ぎてからだった。とてもきれいな一年生がいる──その噂は隣のクラスの私のところまで届き、たった三日遅れてきただけの彼女は転校生でもきたかのような扱いでみんなの注目を浴びていた。彼女は面白そうに自分への称賛を聞いていただけだったけれど。


「べつに。どういたしまして」


 そう応えながらも私はスケッチブックを手放さない。もちろんお礼を期待して、だ。

 彼女はだれとでもべたべたするタイプの少女ではない。忘れものを届けたらはいさよならという可能性のほうが高かった。だから、私はここにくるまえに駅ビルで手土産を買っておいた。


 私は小さな紙袋を持ちあげてみせる。


「よかったら一緒に食べない? 季節限定ってあったからつい買ってきちゃった。薔薇のクッキーなんだけど」


「へえ」彼女はすみれ色の瞳を細め、「そうすればこの部屋の扉が開く、と思ったのかな?」


「……だめ?」


 これをきっかけに仲良くなりたい。そういう思いを込めて私より頭ひとつぶん高いところにある彼女の目を見つめる。


 に、と彼女はくちびるを曲げるようにして笑った。「散らかってるけど、どうぞ」と雨は私を中へ入れる。


 靴脱ぎ場にはローファーとハイカットのスニーカー、シンプルなデザインのヒール。靴箱の上には布が敷かれ、そこにダリアの造花が飾られていた。彼女が背中を向けたあと、私は靴箱に手をついてローファーを脱ぐ。


 意外と片づいてるな、と思ったがそれは玄関だけだった。散らかるだけのものがなかっただけだ。


 廊下の先にあったダイニングキッチンはインスタント食品やお菓子の袋であふれかえっていて、カウンターの向こうにあるリビングは洋服があちこちに散乱している。よく友達でもない同級生を中に入れたな、と自分で誘っておいて呆れてしまう。


「適当に座って。紅茶を淹れるから」

「う、うん……」


 座ってと云われてもL字型のソファは下着やら画集やらで埋めつくされていて座る場所がない。足元に落ちているのはポストカードか。ルノワールとは意外な趣味だ。シュールレアリスムが好みだと思っていたのに。

 その横には菓子パンの空き袋まである。なんだかわざと散らかしているみたいだな、と感じた。


 雨の両親は彼女を一人暮らしさせることになんの抵抗もなかったのだろうか。それとも雨が一人暮らしを満喫しているだけ?


 私はスケッチブックをテーブルの上の雑誌の山の上に置く。ほんとうはあのページを破りすててしまいたいけれど、どれだけ憎くてもそれは彼女の作品だからできなかった。そのかわりのように。


 鞄の底から手錠を取りだした。


 LEDの光を浴びてそれは銀色に輝く。いまはネットさえあれば簡単に手に入る。

 ドラマや映画だと重々しく見えるけれど、実際に持ってみると輪っかもチェーンも思っていたより薄かった。重さもさほどではない。


 だけど強度は間違いないはずだ。子供のおもちゃなんかじゃないから。


 振りかえったが、雨は電気ケトルをセットしているところで私の動きには気づいていない。


 私はカウンターを回って彼女の近くへゆく。

 背後に立つ。

 近すぎる気配に振りむこうとした彼女の右手に、手錠をはめる。


 かちり。あるべきものがあるべき場所にはまったような、気持ちのいい音がした。


「……?」


 雨は不思議そうに自分の手を見、私を見、首を傾げる。


 なに、これ。


 無云の問いかけには答えず、私はもうひとつの輪っかに自分の左手首を差しいれた。かちり。おなじ音を立てて輪っかが閉じる。


 私と彼女の間には銀色の鎖。わずか3.5センチの繋がり。


 これが、私たちがここから築いていくきずな。


「憂井さん。……ううん、雨」


 私は彼女に呼びかける。は聞かなかった名前。ずっとイニシャルしか知らなかった名前で。


「これからゆっくり、私のこと思いだしてね」



 五月の黄昏時。

 私たちが仲良くなるための楽しい連休が、この密室ではじまる。

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