第5話

彼に最後に会ったのは8月。お盆休みで東京に遊びに来た兄を交えて遊んだ時以来だ。


彼は誰もが知ってる大企業の営業でバリバリ働いている。兄が1番の出世頭だと揶揄うとその度に朔夜が茶化すな、と窘めていた。そのやり取りを、仲が良いなと微笑ましく見守っていたのを思い出す


陽毬の知る朔夜は一見とっつきにくい雰囲気を纏ってるが、意外と面倒見が良く優しい性格だ。だが親しい人間以外を相手にすると、不愛想で寡黙になると自己申告していた。曰くあまり人に関心がないらしい。


そんな朔夜が営業?と聞いた時は大丈夫なのかと心配したのだが要らない心配だった。陽毬が心配したところで、何事も卒なくこなしていた朔夜のことだ。どんな職種に就こうと成果を上げていただろう。


陽毬は入社してからずっと総務部だ。佳奈は営業部に配属され、厳しい先輩に扱かれながらも、生き生きとしている。それは陽毬も例外ではない。総務の業務は表立った仕事、というより会社を裏から支える役割を担っていて多岐に渡る。備品整理や発注、社内書類の作成に来客応対に始まり、社内の何でも屋と呼ばれ無茶振りをされることもしばしばだが、その分やりがいも大きい。


陽毬としては営業部に配属された同期達の大変そうな姿を見ると総務で良かった、と思うが総務部は目に見える成果を上げられるわけではない。それを影で地味だとか、誰にでも出来る仕事だと揶揄してる一部の人間がいることも理解してるが、陽毬は今の仕事に不満はなく、割り当てられる仕事を丁寧にこなしている。営業部が取ってきた契約を契約書として纏め、管理するのも総務部の担当なので大きな責任感が求められる。


2年目の陽毬は先輩に付いているが、いずれそういった業務も担当することになる。


が、それまでこの会社にいるのか分からなくなってきた。


同期で友人、そして恋人を寝とった相手が同じ会社にいる。考えるだけで気が重くなってくる。


たまに読む漫画で、同じ会社に勤める恋人を同僚後輩に取られた主人公が勢いでキャリアも投げ捨てて、会社を辞めるシーンがあると「そのくらいで辞めなくても」と思うが、自分が当事者になるとその気持ちが良く分かる。



幸いと言って良いのか龍司は別の会社だし、佳奈も別部署。毎日顔を合わせるわけではない。それでも仕事上避けられず顔を合わせ話をする機会があったら、またあの惨めな思いをさせられるのではと不安に駆られる。


プライベートと仕事を混合するなんて社会人失格だと、重々理解してる。頭では分かっていても、心は誤魔化せない。


佳奈と相対する時は気を強く持つしかない。


(何で私がこんな思いしないといけないの)


少し寝て、落ち着いていた怒りの炎が再び沸々と燃え上がる。彼らのことを考える時間すら無駄と分かってるのに、引きずってはいけないのに。直ぐには割り切れないのだ。


「…そうだ、由美に報告しないと」


由美のトーク欄をタップし、今日会ったことを簡潔に文字にまとめる送る。出来るだけ感情を交えず、ただ事実だけを書き出した。


すぐには返信は来ないだろう、と陽毬は化粧を落とすため、さっぱりするため浴室へと向かった。




温かいシャワーを浴びて身も心も少しスッキリし、タオルで濡れた頭を拭きながら部屋に戻る。ルームウェアに着替えてテーブルに置いたスマホを手に取ると由美からメッセージが届いている。


かなりの長文が送られてきて、その大部分が龍司と佳奈に対する怒りで占められている。何なら陽毬より彼らに怒ってくれていた。


『付き合いが長い友達を裏切ってたことも、彼女の友人に手を出すのも理解出来ない。なのに陽毬が悪いみたいな言い方するとか、どんな思考回路してるの?』


(あ、やっぱり私がおかしいんじゃないんだ)


由美の抱く嫌悪感が伝わってくる文章に自分の感覚がおかしくないと知り、ホッとする。


『そんな常識無い人達とは連絡断った方がいいよ、今すぐ。合鍵回収して、それが難しいなら鍵を変えてもらいなよ』


合鍵、陽毬の持ってたやつは返したが向こうに渡した鍵は回収してない。合鍵を返してもらいに龍司にまた会うのは嫌だ。だが、万が一部屋に押しかけられて面倒だ。由美の助言通り、近いうちに鍵を変えよう。


『その友達って前会ったあるよね、クールな見た目で溌剌な印象を受けたけど、そんな陰湿なことするなんて…人は見かけによらないんだね。同じ会社なんだよね、絡まれないよう気をつけて』


『絡むって、龍司とはきっぱり別れたしもう向こうだって関わりたく無いでしょ』


『油断は駄目、人の恋人取るような人はね、その人が不憫で可哀想な目に遭うほど優越感が満たされるの。まだ終わらないと思うから、注意して』


怖、と文章を読む陽毬は息を呑んだ。友人だった時の佳奈と恋人だった時の龍司はさっぱりとした性格で、良く言えばおおらか、悪く言えば大雑把。そんな執念深いともとれる行動に出るとは思えない。彼らのせいで陽毬の自尊心とプライドは傷付いているのに、まだ何か仕掛けると言うのか。


だが交友関係が広く、同じ24なのに人生経験の豊富な由美の言うことだ。信憑性がある、と忠告に耳を傾けることにした。


由美の忠告が杞憂では無かった、と知るのは週明けのこと。

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