彼氏を友人に寝取られましたが、何故か兄の親友が溺愛してきます

有栖悠姫

一章

第1話

藤原陽毬ふじわらひまりは大学の友人の佐々木由美ささきゆみと久々に会っていた。入った店は都内にある落ち着いた雰囲気の喫茶店、休日のランチタイムなので客が5、6人並んでいたが回転が速く直ぐに入ることが出来た。


陽毬はオムライス、由美はパスタセットを頼む。待つ間お互いに社会人2年目ということもあり、仕事に邁進しプライベートも充実している、と話に花を咲かせていた。


「お待たせいたしました、オムライスとカルボナーラでございます」


15分ほど経つと料理が運ばれてくる。


オムライスの上に乗った卵をナイフで切ると半熟卵がとろりと溢れ出す。切った瞬間思わず笑みが溢れた。


ふわふわの卵と甘めのケチャップライスが合っていてとても美味しい。周囲を見渡すとオムライスを食べている人が多い。ここの人気メニューのようだ。


由美の頼んだパスタはカルボナーラ。上に生卵とたっぷりの粉チーズがかかっており、こちらも美味しそうだ。


一口貰いたいな、なんて思いながら陽毬はパクパクと食べ進める。自分は上げる気がないのに貰うつもりなのだ、我ながら図々しいと思う。食い意地が入っているのは陽毬の短所だ。治そうと思ってるが治る気配がない。



笑顔で舌鼓を打つ陽毬とは対照的に由美はパスタの減りが遅い。そういえば会った時から妙に浮かない顔をしてた気がする。もしかして具合が悪いのだろうか、それなら無理しないで今日の予定はキャンセルしてくれて良かったのに。そう言うと由美は右手を顔の前で振って、「具合は悪くないよ」と笑いながら否定した。やはりその笑顔がぎこちないように見える。


「ねえ、何かあった?元気ないよね」


「…そんなことないよ」


と言いながら目が泳ぐ。ほら、やっぱり嘘を吐いている。


「私じゃ頼りないかもしれないけど、話聞くくらいは出来るよ?」


「…」


陽毬が引き下がりそうにないと察した由美はフォークを置き、大きく息を吐いた。


「…私の悩みじゃないの…その、陽毬のこと」


「え、私?」


思いもよらぬ由美の言葉に目をパチパチと瞬く。尚も言いづらそうに口籠る由美だが、こんなことを言われて続きを聞かない選択肢はない。


「私のことって何?」


「…落ち着いて聞いてね。1ヶ月くらい前、仕事帰りに同じ部署の人と飲みに行ったの。その帰りに繁華街の近くを通った時に…霧島先輩に似た人を見かけたんだ」


霧島先輩というのは陽毬の彼氏の名前で、陽毬は下の名前「龍司りゅうじ」と呼び捨ててにしてる。サークルの1つ上の先輩で大学2年の時に向こうから告白されて付き合い始めた。


彼は気さくで穏やかな人柄で告白された時は驚いたが受け入れた。昨年龍司が就職してから暫くの間はすれ違いの日々が続いたものの、関係は良好だ。


由美も同じサークルだったので龍司のことは勿論知ってる。陽毬達の仲が良いことも。


陽毬は暗い表情の由美に嫌な予感がしていた。後に続く言葉が何と無く分かってしまったが、こちらから口を出すことはなく由美が話すのを待った。


「それで…先輩女の人と歩いてて…会社の人かな?って思ったんだけど女の人の方がやけにベタベタしてて変だなって…気になって少し跡を付けたの、そしたら…2人してホテルに入って行って…ごめんね、直ぐに言わなくて。本当に先輩かどうか確信持てなかったんだ。そしたらこの間、サークル同じだった美里が連絡してきてね。霧島先輩違う女の人と歩いてたけど、陽毬とは別れたのかって。確信したよ、私の見間違いじゃないって。美里には適当に誤魔化しておいたから、誰かに言ってはないと思う…いつか陽毬には言わないといけないって分かってたんだけど言えなくて」


「…」


覚悟はしていた。それでも言葉にされると、かなり心に来るものがある。一瞬、目の前が真っ白になった。


龍司とは喧嘩らしい喧嘩をすることは殆どなく、陽毬に何かを強要するもなかった。大手企業に勤める龍司はかなり忙しく、陽毬も無理に会いたいと望むことはなかったけど上手くやれていると信じていた。


そういえば、ここ半年程向こうの都合で予定がキャンセルになったことが多々あった。仕事だという彼の言葉を鵜呑みにしていたけれど、本当は違ったのかもしれない。


「…ありがとう、話してくれて」


「やっぱり、私たちの見間違いかも」


「2人して見間違えるって中々ないよ、それに最近予定が急にキャンセルになること多かったんだ。理由が何となく分かって、少しスッキリした」


陽毬はスマホを取り出しメッセージアプリを開く。龍司に送った最新メッセージは昨日、今日大学の友人と遊ぶというもの。それに対する龍司の返事はスタンプのみ。彼は彼で休日を満喫してる…その内容については深く考えたくないが。


(今日、直接確かめたほうがいいかな)


陽毬は思い立ったらすぐ行動するタイプだ。ウジウジ悩むよりはっきりさせたいのだ。


龍司は今日1日陽毬が訪ねてくることは絶対ないと油断してるはず。2回も目撃されてるところを見ると、相手とは頻繁に会ってる…陽毬との予定をキャンセルしてでも。


本当は怖い。陽毬は陽毬なりに龍司のことが好きだったし向こうも同じだと信じていた。彼の性格上陽毬の他に好きな人が出来たら、ちゃんと正直に話してくれると信じていた。だからこそ彼の裏切りが辛い。


由美には申し訳ないが午後の予定をキャンセルさせてもらった。彼女は文句一つ言わず、また遊ぼうと誘ってくれて駅で別れた。


陽毬は一度家に戻りあるものを取ってくる。龍司の部屋の合鍵だ、彼も陽毬の合鍵を持っている。繁忙期以外は基本的に定時で帰れる陽毬は時折彼の家に上がり夕飯の準備をして待ってることがあった。それも最近はめっきり減ってしまっていた。龍司は陽毬に無理をさせたくないと言っていたが、実際は鬱陶しいと思っていた可能性が出てきた。


一度ドツボにハマると、後ろ向きなことばかり考えてしまう。頭を振ってマイナスな考えを振り払った。


電車を乗り継ぎ、20分ほどで龍司の住むマンションに着いた。エントランスを通り、何度も押した階のエレベーターのボタンを押す。


龍司の部屋の前にたどり着いた陽毬はゆっくり深呼吸を繰り返す。


ちゃんと確かめないといけない。今すぐ引き返したくなる気持ちを押さえ込み、ドアノブに手をかける。


ガチャガチャと音が鳴るだけでノブは回らない。鍵がかかっている。


留守なのだろうか。それなら良い。良くないのはいるのに鍵をかけてる場合。龍司は不用心で家にいる時は鍵をかけない。いるのに鍵をかけてるとしたら。


確認するだけだ、本当に留守なら日を改めれば良い。そう自分に言い聞かせながらカバンから合鍵を取り出す。


ドアノブをゆっくりと回し、音を立てないようドアを開ける。


陽毬の目に飛び込んできたのは、玄関に置かれた女物のパンプスだった。


(…っ!やっぱり)


龍司には姉や妹はいない。親戚まで辿ると分からないが。もう陽毬の中からパンプスの持ち主が「疚しくない相手」である可能性が消え去っていた。


確認する前まではあれほど不安だったのに、分かってしまえば意外と落ち着いている。


陽毬は音を立てないようブーツを脱いで上がった。龍司の部屋は1DKでキッチンを抜けると寝室兼仕事部屋がある。


部屋の前まで近づくと、中から声が聞こえてくる。そう、話し声ではない。色事を思い起こさせる、甘ったるい女と男の声。


聞いてるだけで気分が悪くなってきた。そこへ繋がるドアをノックもせずに開け放つ。


視界に飛び込んできたのはベッドの中で抱き合う男女。ベッドの周りには脱ぎ散らかした服が散乱しており、何をしていたかは一目瞭然。


男の方は彼氏、であるはずの男。もう1人の女の方も陽毬は知っていた。


「佳奈…」


高校の時出会い、大学は違ったものの付き合いは続き就職先で再び一緒になった友人。そんな彼女は陽毬の彼氏と裸でベッドにいる。


悪夢のような光景に陽毬は言葉を失って立ち尽くしようになるも、気持ちを強く持って目の前の2人を睨みつけた。


「…ごめんなさい、お楽しみところ邪魔して」


自分でも驚くほど冷たい声が出た。すると呆然と固まっていた龍司が慌て始める。


「ひ、陽毬何で、いや、これは…ち、違うんだ!」


裸で陽毬ではない女といた癖に何が違うと言うのだ。それから龍司は気の迷いだった、最初は酒の勢いでうっかりしてしまったが、相性が良かったからズルズル続いてしまったと赤裸々に暴露し始め、陽毬の中の隆二の気持ちが急速に冷めていくのを感じている。ドン引きするほどの発言、こんなことを言う人だとは思わなかった。


陽毬は大学時代、龍司を佳奈に紹介したことがある。当時の佳奈の彼氏を交えてダブルデートをしたこともあるが、その後佳奈が彼氏と別れてからは龍司を交えて会うことはなかったはず。


それからは陽毬に隠れてこっそり会っていたということだろう。でなければこんな状況に陥ってない。


龍司は散らばってる下着を手に取ると取り敢えず履き、陽毬に土下座した。許して欲しい、もうしない、本当に好きなのは陽毬だから、と。


陽毬は冷めた目で喚く男を見ていた。


全く心に響かない。さっき自分で言っていただろう、ズルズルと関係を続けてしまっていたと。一度の過ちでも耐え難いのに、何回も繰り返していたのは絶対に無理だ。


「龍司、別れよう」


「え、なんで」


「なんで?逆に別れない理由ないよね。何度も2人で会ってたんでしょ。友達が目撃してるんだよ。私浮気する人は生理的に無理だから」


と吐き捨てながらポイ、と龍司の部屋の合鍵を投げた。彼は突然投げられたものを慌てながらもキャッチした。手の中にあるものを見てこの世の終わりみたいな顔になるが、陽毬に言い返す言葉が浮かばないのかモゴモゴと口籠っている。


陽毬はそっちは無視して、ずっと黙っている佳奈の方を向いた。彼女は俯いているため表情は分からない。


「佳奈、なんで」


声は震えている。彼氏に裏切られたことより、友人に裏切られたことの方が堪えていた。


いつから龍司と、ずっと裏切りながら友達として付き合っていたのか、龍司のことが好きなら相談して欲しかった。陽毬は龍司のことがちゃんと好きだったから、佳奈の望むことは出来なかったけど、こんな形になるくらいなら打ち明けてもらったほうが良かった。


聞きたいことは沢山あるのに、上手く纏まらず言葉が出てこない。唇を震わせて黙ったままの陽毬がじっと凝視していると、佳奈がゆっくりと顔を上げた。


彼女は陽毬を見下すような、悪意に満ちた表情をしていた。


「なんで…ね。陽毬私達だけが悪いと思ってるでしょ、あんたにも責任あるからね」


「は?」


友達の彼氏を寝とったとは思えないほど太々しい態度に唖然とする。佳奈はこんなことをいう子だっただろうか。言いたいことをはっきりいう性格で周囲と衝突することも少なくはなかったが、耳馴染みのいい言葉を言わないからそういうところは信用出来たし、陽毬は好きだったのに。


彼女の性格から、今の発言が紛れもない本心なのだと思い知らされた。佳奈はベッドから降りると下着と服を手早く身に着け、こちらを向き直った。


「陽毬、龍司さんの就活が本格化してから会う頻度減らしてたんでしょ。就職してからも暫くはあんまり会ってくれなくて寂しかった、自分はそんなに好かれてないのかもって不安がってた」


さらりと名前呼びした上に、初めて知る事実を突きつけてくる。確かに忙しい龍司に遠慮して連絡することも会うことも控えていた。それは龍司がやるべきことに集中出来るように、自分に関わる時間より優先するべきことをして欲しかったからで。


「違う、就活中も就職してからも忙しそうだから気を遣ってただけで蔑ろにしてたわけじゃない。それにそう思ってたなら直接言ってくれれば」


「悩みを打ち明けられるだけの信頼関係築けてたら、彼が私にわざわざ相談しないよ」


佳奈は陽毬のことで龍司に相談を受け、秘密裏に交流していくうちに親しくなっていった。そして酒の勢いで一夜を共にしてしまい、互いに無かったことにしようとしたらしい、が。


「陽毬マグロなんでしょ?しかも誘っても断られること多かったって聞いたけど。私の方が相性良いって」


いきなりの生々しい発言に陽毬は絶句するも、せめてもの抵抗で龍司を睨み付けた。まさか彼がそんなことまで暴露しているとは思わなかった。


陽毬はあまり積極的ではなく、気持ちがいいのかどうかも自分では判断せず相手に身を任せていた。逆に龍司はそういうことに熱心で、誘いも多かったが乗り気ではなくやんわりと理由を付けて断ることがあったのも事実。気づかなかっただけで、そこらかしらに破綻する要素は存在していたのかもしれない。が、それでも佳奈と浮気して陽毬への不満を溢すのは許されないだろう。心変わりしたなら、不満があったなら言ってくれれば…これも佳奈の言う信頼関係が無かったから難しかったのか。今考えても答えは出そうにない。


陽毬の脳内はこの場からいかに、惨めな姿を晒すことなく立ち去るかについて埋め尽くされている。ぶつけられた悪意をまともに受け止めず、聞き流すことでなんとか両足で立っている状態だ。早く、しないと。


陽毬は決して激情に囚われることなく、努めて冷静に対処しようと大きく息を吐いた。


「…言いたいことは分かったよ、もう良い。2人で好きにすれば?龍司も、佳奈もこれっきりだから」


恥も何もかも捨てて泣いて2人を責め立てても良かった、陽毬にはその権利がある。けど、そこまでの感情が湧いてこない。何処までも冷静な陽毬に佳奈の癪に触ったのか、背を向けた陽毬にまたも悪意をぶつける。


「もっと怒鳴るならなんなりすれば良いのに。いっつも澄まして平気ですって顔してさ。冷たいよね陽毬は。そんなんだから今回も余所見されるんだよ」


陽毬は何も言わず扉を閉めてそのまま部屋から出て行った。もう2度とこの部屋には来ない。耳に佳奈の放った言葉がいつまでも残っている。

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