1-4 うわさの宿屋【side 寳來】

「予約したがみです」

「ああ、八神さんね。……時に予約、と」


 四人と分かれて少し歩いたところにある宿屋『西にしざと』は、山にあるいおりにも、やや豪勢な家にも見える建物だった。

 木の温かみが、いかにも、宿屋、という感じがする。


 ちなみに『八神』は、おれめい──というか、仕事で使う別称だ。

 りゅうかん、なんて記名すれば、間違いなく「皇族か、その類いだ」と気づかれてしまう。それでは本末転倒だ。


 母上──こうていは、俺が強いから、という理由で、こういう割り振りにしなさい、と指示したのでは、とか思う。

 自分がごうがんそんなのも、わかりきったこと。


「ここに訪れたのは初めてですか?」


 猫なで声にも近い、若くかん高い声で、女中がしゃべる。

 心の奥で渦巻く黒い感情を笑顔で隠しながら答えた。


「ええ。霧が濃いですが、それすらげんそうてきに映る、素敵な村ですね」


 母やから教わった処世術の一つだ。

 例え、裏でどろどろした黒い感情を抱えていても、それを顔に表さずに、あくまでも愛想笑いを浮かべる。


 ──それが、しっでもぞうでも、ふんがいでもえんこんでも。


「そうですか。四泊五日のご予約でしたね。ごゆっくりお過ごし下さいませ」


 いつもなら一等の部屋を用意するところ、今回は違う。

 普段使っているより遥かに狭い客室は、


『友人の眠る隣の部屋から、ざくざく、と何かを切る音が聞こえて──』


 依頼文に書かれていた、事件が起きた部屋。


 手紙には送り主の名前などが書かれていたので、本人に部屋番号をたずねるのは容易だった。

 記録が残っていたので、すぐにわかった。


 ここで事件が起きたなら、ようはここに侵入したことになる。

 妖魔は自由に形を変えられ、姿をにすることもできるけれども、存在自体は消せない。入るには、何かしらの通路や隙間が必要だ。


 天井と壁の隙間は……ない。

 隠し扉らしきものも……ない。

 外から入れる小さな穴も……ない。


 見た感じ、傷みの少なそうな建物だ。妖魔が牙やら爪やらを立てて傷をつけそうだけど、その痕跡も見当たらない。


 精神にかんしょうする……?

 妖魔が外部から対象者の脳内に入り込んで乗っ取り、そして……。


 あり得る。

 物理的な侵入は不可でも、能力の行使は、遠くからでもできる。建物内にいる対象者に、建物外から使うことも。


 一番に警戒するのは……それか。


 今はまだ日が出ているから、ようはあまりしない。けれども、夜も更ければ強まるに決まっている。

 ……まあ、すぐにわかるけど。


 室内に何か見当たらないなら、建物の全域を探す……というへんてきなことを考えて、羽織を脱ぐ。

 予備の着物に着替えて、扉の前に立つ。


 鍵穴に異常は……ない。妖魔が入り込んだ痕跡はない。あるのは鍵をしたせいでできた細かい傷だけ。

 扉の隙間には……ない。


 ここまでないと、隠滅か、最初からなかったか。

 やっぱり、精神への干渉の可能性は高い。


 はぁ、とため息をついて、眉間にしわを寄せる。


 実のところ、隊長といえど、今回が初任務。

 これまでは、隊員の訓練と、組織そのものの管理、書類の作成や整理が主で、現地におもむいたのは初めてだ。


 ただ、隊長になるために、別の部隊で働いていたことはあった。

 そのときは、こんな調査、難航したっけ。


 果て、この柱は──。


「あら、先ほどの八神様ではありませんか」


 柱に顔を寄せたとき、左側から、わざとらしいほどハキハキとした、若い女の声がした。

 黒目だけ動かすと、そこに、先ほどの女中が立っている。

 貼り付けられたような笑顔がうっとうしい。


「何をなさっているのですか?」


 たっぷりと毒を含んだような甘い笑顔や声色だが、勘の鋭い者でもなければ、気づかなかったと思う。

 ……仕方ないけど。


「申し訳ありません、あなた様には関係のない話です。……さっさと寝て下さい」


 そう言いながら左手を向けた。そして、女中は撃たれたように胸を押さえて、その場に倒れ込む。


 よくあるさいみんほうようりょく版だ。

 対象者の精神を無理やり操る妖力。残念ながら、強い《げんそうのうりょく》を持たない俺は、眠らせることしかできないけど。


 ……柱に異常は、ない。

 紙のような妖魔もいるし、そいつらは狭い隙間を通れるけれども、それができそうな隙間もない。ひび割れの一つも見当たらない。


 精神への干渉としか考えられない。

 一応、脳内に結界を張っておくか……。


 過去に、妖魔に精神を干渉された例はないけれども……もし、がこの世にはある。どうしようもない。


 建物の中央らしき場所に立って、印を結ぶ。俺を囲うように、空中にいくつもの薄い紙が浮かんで、光をまとって各地に散った。


 ……こいつらが妖魔の干渉の対象外だと、いいけど……。

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