1-5 霧華織の洗礼【side 眞姫瓏】

「……きりはなおり……」


 目的地に向かう途中、その言葉をずっとはんすうしていた。


 濃霧が立ち込めている辺りを見る余裕も、到底、わたしにはない。

 少し傷んだ着物が湿気にやられているのがわかる。


 重い足取りで進んだ先には、古びた木造の大きなお家が建っていた。

 はた織りの音が聞こえて、ため息をつく。


 どうしてだろう。私はため息をついてばっかりだ。


 弱い力で表の扉を叩くと、すぐに、中から人がやってきた。

 私より、うんと小柄なおばあさんだった。


「あらあら、どちら様でしょうか?」

「……えっと……」


 名乗る。それだけの動作でさえできないなんて、本当に終わっている。並大抵の教養さえ、終わっている。


「……ち、はや、た、……たま、たま……と、言います……」


 舌が絡まる。

 頭では分かっているのに、うまく言葉が出てこない。

 心臓の音が耳の奥で響く。


「珠姫ちゃんねぇ。ほら、入って入って」


 お兄ちゃんに「名乗りなさい」と言われた名前を、疑われずに済んでよかった。

 ほっと息をつく私を緊張していると勘違いしたおばあさんが、微笑みかける。


「大丈夫よ。じさんはちーっと気難しいけど、このトメが、ちゃあんと叱るから、いつも。だから、心配しなくていいのよ」


 あいづちを打つのが下手な私は、はぁ、とため息混じりに頷くことしかできず。

 

 ……どうして、笑えないのだろう。

 せっかく温かく迎え入れてくれる人がいるのに。

 私はこの場にいていい者ではない気がする。


 何度目かもわからないため息が、あしもとの、影とも呼べぬ影に消えていった。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



「ほら、じさん。お客さんが来られたよ。しっかりね、迎えてあげないと。ほら、仕事ばっかしとらんで」


 トントン、という規則正しい音がよく聞こえる。

 薄暗い中に浮かぶのは、糸を整えるためのはた織り機と、布地の山。


 その中で、一際、いかにも熟練工というおじいさんが居座っていた。


「……なんじゃ」


 ああ、歓迎されていないだな、という目つきだった。

 思えば幼い頃は、こういう目でばっか見られていたっけ。


「そんな言い方はないでしょうに。はるばる遠いところから来て、疲れているはずなんよ。労わってあげるくらいは、しやりなさい」

「……どこの馬の骨ともわからん若造を、わしは許しとらんぞ」


 薄々、勘づいていた。

 私のような者を歓迎してくれる方なんて、早々にいない、と。わかっていたから、何を言われても、疲れはしても傷つきはしない。


「ごめんね、うちの主人が」

「……いえ、大、丈夫、です……」

「お部屋に案内するからね」


 それでも、トメさんの表情は、優しかった。誰のことも傷つけない、そんな懐の深さが感じられた。


「ところで、珠姫ちゃんは、どこから来たんだい?」

「……え」


 突然話しかけられて、私は足を止めた。

 喉が閉まっていく。


 どこから……。

 正直に答えるなら、もちろん都。でも、そんなことは、口が裂けても言えない。嘘をつこうにも、上手な嘘が思いつかない。


「……ああ、言いたくないのなら、いいんだよ。別にトメにも、絶対に聞かんといかん理由はないからね」


 視線が自ずと床に落ちて、ため息がこぼれた。

 また、あきれさせてしまったかもしれない。自分が馬鹿馬鹿しくて仕方ない。


「ほら、着いたよ。荷物を下ろし終わったら、教えてね。手伝ってほしいことがあったら、いつでも言いな」


 トメさんが部屋から出ていった後に廊下を見ると、近くで何やら作業をしていた。


 でも、トメさんの手をわずらわせるわけにはいけない。

 背負っていた荷物を下ろして中身を取り出したとき、糸が手をくすぐった。見れば、着物のそでがほつれて、糸が垂れている。


 でも、この袖は何度もい直しているから、もうそろそろ、終わりかな。

 出かけている最中に破れたら嫌だから、寝間着程度に使っておこう。


 さいほう道具は……いや、任務のために、裁縫道具を持ってくるなんて、それこそ馬鹿馬鹿しい。

 縫い直しは帰ってきてから……。


「……お客様? そんなボロボロのお着物を持ってきたの?」


 女の子の声がして、ビクッと肩をすくめる。おそるおそる振り返ると、私と同じくらいの年の女の子が経っていた。

 外見は、その子の方が上。


「……えっ、あ、ん……」

「……ああ、責めているようだったらごめんなさい。あの、正直に、思ったことを口にしちゃって」


 慌てているようにも、意図しているようにも聞こえて、私は思わず口にする。


「……申し訳ございません」

「あ、素直に謝るの? 自分が悪いと思っているのね」


 幼い頃に周りから言われ続けた言葉よりは、全然マシだ。そうだと思っていたけれども、彼女は、お構いなしに続ける。


「でも、一体ここに何の用? ここがどこか知って来た? ええそう、織物工房よ。まさか、織物について何にも知らないのに泊まりに来たんじゃ、ないでしょうね?」

「………」

「もしも別の用なら、その辺の家や、あの宿屋に泊まるのが普通よ」


 それは分かっている。正直言って、私でも、どうしてここに泊まるのか、本当の理由は知らない。

 多分、「地域の織物産業と妖魔との関わりを調べたい」とお兄ちゃんが考えたから、だと思う。


 けれども、気づかれたら。

 村を巻き込む厄介者、だとか、余計な騒ぎを起こす、だとか。悪い印象を与えてしまうかもしれない。


 そうしたら、任務の目安期間の五日も経たないうちに、私はここにはいられなくなる……かもしれない。


「あのね、あたしたちは、修業をしているの。織物産業を、霧華織を、後世に伝えていく。ここはそのために造られた場所、あなたみたいな、どこの馬の骨ともわからない旅人さんを泊めてく場所じゃないの」


 下手に動かない私を見て、何を言ってもいいとでも思ったのか、笑い混じりに言い放つ彼女。黙ってそれを聞く私のことを、誰もがみじめだと思うだろう。


「望んでもないお客様を泊めなきゃなんて、まっぴらごめんよ」


 そうに決まっている。

 来てほしくもない者が急にやってこられて、しかもそれは、来るはずのない者。面倒なことこの上ない。申し訳ない。


「……何も言わないんね。まあいいわ。真面目にお仕事してるあたしたちを邪魔しないんなら、まあ、許してあげてもいいんじゃない?」


 感謝のような、落胆のような、安堵のような。名称しがたいけれども、少なくとも、明るくはない気持ちが込み上げてきた。


 彼女はその後すぐに部屋を出て行ったけれども、すぐに「トメばあが甘いからよね」とか「頭を冷やしてほしいわ」などと、つぶやき──という割には大きな声でぶつぶつ言い始めた。

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