三:選ばれし精鋭への道は遠い

3-1 筆記やっと終わったんだけど【side 早弥】

「そこまで!」


 うわっ。

 試験監督の怒号のような声のせいで、筆からぼくじゅうが垂れてしまった。


「解答用紙はまだ乾いていないため、そのまま置いていって構わないが、絶対に長机にぶつかったり、揺らしたり、倒したりしないこと。他人の解答用紙を汚し、採点できなくなった場合は、汚した者を失格とする」


 うわっ……帰るときも気をつけなきゃいけないの……。

 まあ、それで、汚された人が不合格になったら可哀想だものね。仕方ないよね。


 チラリと横を見る。女の子は、墨で手を真っ黒にしていた。

 うん。かく言う僕も、結構汚れてしまったんですがね。


おんみょうてん結界けっかいじょうじゅ……呪禁じゅきんふう祓除ふつじょ……」


 やっぱり怖い。何を唱えているんだろう……でも、試験の前に言っていた。お祓いの言葉だ。


「陰陽調ちょう妖祓除滅ようふつじょめつ……」


 ボソボソとはしていても、静かな会場の中ではよく聞こえる。周りの受験者も、こっちを見ていた。


「なんだあれ、怖っ……」

「おれら、呪い殺されるのか……?」


 邪気を清めているようには見えないらしい。まあ、仕方ない。わかっている僕でさえ、到底そうには見えないのだから。


「よし。帰ってよろしい」


 女の子はため息をついて立ち上がる。他の受験者も続々と立ち上がって、続々と出口に向かう。

 僕もそれにまぎれるように、外に出た。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



「あ、お帰り」


 出て少し経ったところ、受験者の行く先が分かれてきたところに、寳來ほうらいくんがいた。

 腕に、小さな子供を抱えている。


「ただいま。その子は?」


 僕が訊ねると、寳來くんは少しの間を置いて答えた。


「弟。くうっていうんだ」


 澄んだ水色の瞳が、蒼天そうてんを映し出している。

 寳來くんが空雅くんの頭を撫でると、空雅くんは無邪気に笑った。


「かわいい〜。何歳なの?」

「二百五十三歳になったばかりだよ」


 へえ、まだ小さいねえ、と言いかけて、閉口する。

 ……二百五十三歳になったばかり? 僕よりずっと年上だ……。

 あやかしって怖……。


「前言わなかった? あやかしって長寿なんだよ」

「いや、長寿にも程が……」


 ある。あるでしょ。


「あ、そういえば、明日が実技だけど、大丈夫?」


 話題転換。

 そっか、明日が実技試験か……。

 隊長自らの訓練があるから、うん、きっと。


「大丈夫だと思う。で、どこでやるの?」

珠寿化すずかやま。ここからだと、列車を使って十時間かな」

「十時間? 列車?」


 この世界に列車ってあるんだ……。

 というか十時間って、遠い……。


「ごめんね、空雅。俺、もう行く」


 そう言って寳來くんは空雅くんを下ろす。向こうに、和装の若い女性が見えた。

 いわゆる、乳母うば、かな。


「霊弥たちを迎えに行こっか。そしたら、こうえきに行く」

「……うん」


 寳來くんが進む方向に、僕も体を向けた。



 ✿❀❖*✿❀❖*✿❀❖*



 夕暮れ、茜色の雲が棚引く。


 僕は今、皇都駅と呼ばれる駅にいる。

 石造りの柱や藍色の瓦屋根が、夕日に赤く照らされていた。


 改札口やホームに、何十人もの受験生が集っている。僕も、その波に揉まれるように改札をくぐった。


「霊弥くん、切符はちゃんと持ってる?」

「ああ。お前みたいに忘れ物をよくするやつじゃないからな」


 なんか、悲しいぐらいにディスられた気がしたけど、気のせいだ。


 なお、この世界に交通系電子マネーというものは存在せず、原始的な切符らしい。

 それでも、近世では、最先端の技術なんだけどね。


「前の方の車両だから……この辺かな」


 霊弥くんと二人並んで、前の方と思わしきところで足を止める。

 そうこうする間にも、受験生が雪崩なだれのように入ってくる。

 こんないたんだ……。


 寳來くんからもらった借り物の懐中時計を確認する。

 彼いわく「駅の時計はずれているかもしれないから、ちゃんとしたのを使って」ということらしい。

 というか、時間の制度はどのようなもので……?


 一応、列車がやってくるのは六時だ。残り一分。

 春なのに、冬のような冷たい風が吹いてくる。視界を邪魔する横髪を耳にかけて、列車が今走っている方向を見る。


「あ、見えた」


 煙突えんとつから黒い煙をさかんに吐き出している。小説の挿絵や漫画で見るような、大正時代っぽい感じの蒸気機関車。

 ……僕は人生で初めて、蒸気機関車に乗る。


「すごー。でか」


 一番前の客車が前に停まる。扉の近くで待っていた人が扉を開けて、そこに続々と皆が乗っていく。

 僕もその中に──。


「おい、こら待てぇ!」


 へっ……!?

 見れば、駅員さんが、棍棒こんぼうを持って走ってくるではないか……って危ないです! 今すぐその棍棒を下ろしてください!


「皇子殿でんが乗られるぞ。そこのお前ら、道を開けろ! 聞いてんのか!? 皇子殿下が乗られるんだ!」


 皇子殿下……え、寳來くん!? なんで!? 寳來くんは、受験しないのに……?

 そう思って間もなく、寳來くんが改札をくぐる。人混みは、まるで潮が引くように、寳來くんと距離をとった。

 周囲の空気が一変するのが分かった。


 何かが違う。いや、違いすぎる。


「……どうして、寳來くんが?」

「……何でだろうな」


 ホームに立った寳來くん。

 列車に乗り込むと思ったのに、なぜか僕の前に来て──。


「……高身長ってうらやましい」


 僕の肩をつかんで、そんな、場違いなことを言った。

 ……高身長って羨ましい? 今その話する?


「俺、木履これ履いてやっと早弥に追いつけるんだから。皇帝の令息だから背が低いんだって言われるんだよ? ひどくない? これ歩きにくいんだから」

「え、えっと……」


 黒目を動かして霊弥くんを見たけれども、困ったような表情で「俺に聞くな」と訴えてくるのみ。

 霊弥くんだから仕方ないと分かってた。うん、でも……。


「あの……列車の時間とか、大丈夫?」

「み、皇子様、早く乗りましょう……皆、見ていますから」

「はー……仕方ないね。いいよ、乗る乗る」


 一番乗りで客車に乗り込む寳來くんに続いて、護衛さんが乗る。

 最後尾の人に手招きされたので、僕たちも乗り込んだ。

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