第21話:はがれる仮面


「ほら、あいつ」


「マジかー。引くわ」


「冤罪だって話だよ?」


「疑われている時点でアウトじゃね?」


 それが俺を遠巻きに見つめる人間の噂だった。あっさり俺に聞こえているのは、あるいは聞かせているのだろうか。下着ドロボーとしてつるし上げられた俺の過去。それによって俺は立場を失い、尊厳を失い、友人を失った。


「やっほ。佐倉くん」


 その俺に唯一話しかけてくれる女神。それが角夢杏子ちゃん……であったはずだった。


「? どうかした?」


「いや。何も……」


「私を見て驚くことある?」


「ちょっと考えごとしてただけだ」


「ライブ来てくれたよね? 握手会、私を選んでくれてありがとうございます」


「ああ、推しだから」


「ルイちゃんとかタマモちゃんとかを選ばなくていいの?」


「アイツらは……ちょっと」


 距離が近すぎる。


「アイツら?」


「俺の角夢杏子ちゃんを差し置いてセンターに居座っているのが気に食わなくてな」


「あは、そこでマイナス感情を持ってたら嫌な奴ですよ」


「だな。自重しよう」


 そう言って俺は苦笑した。


『…………その下着ドロボー事件……杏子ちゃんの自作自演って可能性は無いですか?』


 不意にそんな古内院タマモの推測が頭をよぎる。俺は表情が固まり、息苦しくなって、杏子ちゃんの前から逃げた。


『…………例えばですけど。……自分でマアジのカバンにパンツを入れて……盗まれたと騒ぎ立てる。……そうしてマアジを貶めて……自分は理解者として振る舞う……とか』


 その意見には頷ける部分があった。事件が起きたのは中学時代の水泳の時間。もちろん男子が下着ドロボーをすれば目につく。というかロッカールームに入れるかすら怪しい。だが女子であれば入ることも出来るだろう。まして犯人が被害者本人であれば、自分の下着を扱うことなど容易いはずだ。つまり杏子ちゃんが犯人だとしたら、全てが頷ける程度には理屈に無理がない。


「大丈夫? 佐倉くん?」


 俺が俯いていると、杏子ちゃんが話かけてきた。どうやら俺は自念の渦に呑まれていたらしい。


「ああ、大丈夫だ。っていうか俺に話しかけるな」


「なんで?」


 なんでて。俺と一緒にいるだけで杏子ちゃんの株が下がる。それは女子として、そしてアイドルとしていい方向には作用しない。実際に、俺に話かける杏子ちゃんを見るだけで、微妙な表情をする男子は多い。そんな奴に、という。


「いいじゃん。別に佐倉くんが心配することじゃないよ」


「そう……だな」


 ニコニコ笑顔の杏子ちゃんはそういう。確かにそこには同意する。誰と仲良くするかを自分以外の意思で決めるのは難しい。俺と仲良くしてもメリットはないが、メリットを求めて友情を結ぶというのも、それはそれでちょっと違う。


「大丈夫だよ。私だけは佐倉くんの味方だから」


『…………その下着ドロボー事件……杏子ちゃんの自作自演って可能性は無いですか?』


 考えるな。まさかここまで朗らかな笑顔を向けている天使が犯人などと。


「本当に大丈夫? 顔色悪いよ?」


 誰のせいだと思ってる。


「聞いても仕方ないって思ってるが」


「はあ」


「俺が冤罪を受けた下着ドロボー。杏子ちゃんは誰が犯人だと思ってる?」


「男子であることは確かだと思いますけど……実際のところ物的証拠がない事にはどうにも」


「女子という可能性は?」


「ない、とは言いませんけど……考えたくはありませんね」


 だよな。俺でもそう言う。


「犯人が分かったとか?」


「警察じゃないんだ。わかるわけがない」


「…………そうですか」


 なんでそこでホッとする。お前は犯人じゃないんだろう?


「それはそれとしてですね」


 はあ。


「パンツ欲しいですか?」


 ……………………。


「……まぁ要る要らんで言えば、欲しくないわけもないんだが」


「じゃあ脱ぎますね」


「やめてくれ。俺を退学させる気か」


「でも欲しいんですよね」


 スカートの中に手を突っ込みながら、杏子ちゃんは聞いてくる。


「欲しいだけだ。必要とは言っていない」


「使っていいんですよ?」


「その場合お前が破滅するんだが。そこまで考えてるか?」


「別にパンツくらいは提供してもいいんじゃないかと」


 既にパンツに手をかけているらしい。そのまま下におろせば、パンツが脱げるのだろう。そうなった場合、俺はこの場から逃げるしか対処が無くなる。


「欲しいなら上げますよ?」


「絶対いらん」


「むぅ。そう言われると悔しいですね」


「ていうかだ。そうまでして俺にパンツを押し付けて何がしたいので?」


「あー。やっぱり気付いています?」


「何が?」


 俺は全身全霊ですっ呆けた。


「そっか。分かってないんだね? つまり私はこれからも佐倉くんの隣にいてもいいんだね?」


 それはほぼ肯定の言葉だった。例えようもなく自らの罪業を認める言葉だった。


「せめて……何故って聞いていいか?」


 だから俺から聞けるのはその程度だ。佐倉マアジを下着ドロボーに仕立て上げた。そのことにどんな道理がある?


「こっちも聞きたいな。誰から提供されたの? その予想」


 少なくとも、俺一人ではそこに辿り着かない。そう言う風に杏子ちゃんは俺を堕落させていた。冷静に周りを俯瞰する何某かがいる。そう思想するのは確かに必然だ。


「教えない」


「じゃあ私も自供しない」


 もうそれだけで自供しているようなものだが。俺がスマホで会話を録音していれば、あるいは決定的な証拠になったのだが、それはないと杏子ちゃんも踏んでいるのだろう。


「大好きだよ。佐倉くん。私のファン一号」


 ニコッと笑んで、その様に杏子ちゃんは言う。そこに罪悪感は無く。俺を貶めた悔恨さえもない。何が彼女をそこまでさせたのか。そこから俺には分からない。けれどこの胸の内に滾る失望は、まさに失望と呼べるもので。


「すまん。今日はもう帰る」


「そっか。お大事にね? ちゃんと養生しないと嫌だよ?」


 まさにお前が言うな、なんだが。

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