祖母の話

上月祈 かみづきいのり

ソーダ水がはじける

 ばあちゃんは立派だった。いつでも背筋を伸ばして生きていたのだから。でも僕の前では年下の悪戯いたずらっ子みたいだった。

 よくオセロやトランプで遊んだけれど、ばあちゃんと遊ぶときには掟が一つあった。

『正座をする』

 たったそれだけ。ばあちゃんは椅子が嫌いだったからだ。僕は正座が嫌いだったけれど、意地でも正座をした。ひそかにばあちゃんに我慢比べを挑んでいたのだ。

 でも勝ったことは一度もなかった。僕が痺れに耐えかねて足を崩すと、仕草で察したばあちゃんも四つ這いで向かってくる。必ず笑い声を漏らしながら僕の太腿やふくらはぎを遠慮なくつついた。

 もう一度言う。ばあちゃんは僕の前では悪戯っ子だった。

 痛くはないがむず痒い正座後の足。突かれると尚更不快だ。その状態を伝えられないのはもどかしかった。

 でもばあちゃんが言葉にするとなんだか悪いものに思えなかった。ばあちゃんは決まって、

「ソーダ水がはじけてる」

 と口にした。的確な表現だと今でも思う。加えて爽やかだ。

 そういえば、僕の足はソーダ水で満たされる感覚を久しく忘れている。

 ばあちゃんが病気で死んでしまったのは二十年前。半年ほど寝たきりが続き、のちに入院をすることになった。

 家からも離れた。みんなの気遣いに対して本人は儚げに笑っていたけれど。

 僕が病院へお見舞いに行った際に、正座ができないことが苦ではないかと聞いたことがあった。

「どうして?」

 心底不思議そうな声に対して答える。

「だって、正座しないとソーダ水にならないじゃん」

 とんちんかんな僕の理論にばあちゃんは大笑い。

「私のはね、気が抜けてもおいしく飲める人生だからいいのよ。あんたも、思いどおりにはいかないだろうけど、良い味した人生にしなさい」

 主旨がつかめない僕は質問した。「ばあちゃんのは?」

 間を置いてからばあちゃんは答えた。

「ラムネみたいに、時々飲みたくなる味」

 ばあちゃんは左手で僕の頭を一撫でするとさり気なく僕の右頬を二度突いた。そして笑って一言。

「また来てね」

 二カ月後、僕の知らぬ間にばあちゃんはこっそり息を引き取った。それは二十年前の今日だった。葬式の時は必死に堪えて涙を見せなかった。しかし、思い出に浸ったというのは、きっと丁度いい頃合いなのだろう。

 幸い、ここには誰もいなかった。

 だからはじけるように、ほろほろ泣いた。

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