第1話

 最近どことなく、何をしていても暇を感じる。高校2年生になって、半年以上が経ち余計に思う。

 中学までは授業中が暇で暇で、早く学校が終わって部活の時間が来ないかなって、待ち焦がれていたけど、高校に入ってからはそうは思わなくなった。別にサッカーが嫌いになったわけではない。

 中学生の頃は、本気でプロのサッカー選手になれると思っていた。名門の市立白水高校しりつしらみずこうこうから推薦が来た時は、このままエスカレーターでプロ選手になれると思っていた。

 でも、現実は違った。

 俺のような選手はそこら辺にゴロゴロいて、そんでもって、みんな勉強もそこそこできて、社会の付き合い方って言うのかな、そんなものも知っていて、自分がまだ子供だって実感する。周りとの差を感じる。

 たまに地元のプロ選手が練習を教えに来てくれる。J1リーグにも上ったことのある本物の人たち。その中で何度か試合もしたことがある。圧倒的な強さのプロ選手。どう足掻いても埋まらない差。たちまち現実を見せられては、またいつも通りのきつい練習が始まる。1年の間に何度も経験したから、負けることには慣れてきているけど、プロは無理なんだって毎度思い知らされる。

 サッカーもダメ。勉強もダメ。社会との付き合い方もダメ。競技を変えるほどの足の才能も、頭もない。自分に残るものは何もない。

 将来はそこら辺にでもあるコンビニで、一生バイトを続けながら人生を終えるのだろうな。そんなことが頭をよぎるが、意外と悪くない。俺にはそれが1番似合っているかもしれない。とも思う。

 だって、まずここ市立白水高校に入れたのが奇跡なのだ。県内では有数の進学校。偏差値も県内トップレベル。ほとんどが有名私立大や国公立大に進学する。勉強第一な学校。中学生の時、ほとんどビリのような俺が入れたこと自体ありえない措置だ。どんな力が働いたのか。自分のことだから考えたくはない。

 

神山かみやま君。人の話を聞いていますか?」

 

「あ、はい。もちろん聞いています」

 

「では、この問題答えてみてください」

 

「えっと……わかりません」

 

 数学の教鞭を取る教師は頭を抱えながらため息を吐いた。

 

「そんなことだと思ってました。誰のためにしているのか考えてください」

 

「すみません。どうしても数学だけはわからなくて……」

 

 教師はまたため息を吐いた。

 

「数学だけならまだ良かったのですけどね……」

 

 遠い目をしながら窓から外を眺めていた。窓の外には飛び立ったばかりの飛行機が学校を横断していて、まだ肉眼ではっきりと見える位置にいた。

 そんな先生を見つめて俺は苦笑いをすることしかできなかった。

 外はあいにくの曇り空で、空は決して綺麗だとは言えない灰色に染まっていた。そろそろ夕刻と言われる時間になるが、秋は始まりを告げたばかりだから、日はまだ明るい。

 暗くなる頃には部活には大幅に遅れたことになるから、少しでも早くこの補習を終えなければならないけど、終わる気配を感じれずにいた。

 

「一旦宿題にするから、明日にまた提出してください。君の進退はそれから決めます。今日はもう終わりです。疲れたので」

 

 ようやく数学の補習から解放された俺は、廊下を軽く走りながら靴箱を目指していた。

 今日もどうせ基礎練だ。早く行っても筋トレばかりさせられるから、ゆっくり行ってもいいかも。

 そう思った俺は、足を止めてゆっくりと歩き出した。

 基礎トレになったのは、俺も悪いところがある。

 つい1週間前の話だ。他校との練習試合。来年用に2年生を中心としたメンバー編成。初めてミッドフィールダーでスタメンを獲得した。端的に言えば、その試合で俺は足を怪我した。幸いにも激しい接触ではなかったから軽い捻挫ねんざで済んだけど、この捻挫がなかなか治らない。そろそろ走れてもいい頃なのに、全力を出そうとすると足が痛む。医者からは気持ちの問題もあると言われた。全くその通りだと思う。足は治ってくれないと困るけど、治らないで欲しいと願う自分もいる。

 部活に行きたくないとかそんなことは思ってもない。でも、行かなくてもいいかなって思っている。怪我を理由にサボっていると言われればそうかもしれない。もう、1年生の時のような情熱は持っていない。大きすぎる夢は捨てる方が賢明だ。それよりも現実を見て、勉強をしなければ。赤点、今回もそれ相応にある。担任からは補習回数歴代1位なんて揶揄われている。まあ、担任の言うことだから信じてないけど。

 

 

 ぼーっと歩いていて、階段に差し掛かる手前で俺は足を止めた。実際には何かを踏んでしまって、滑れ転けそうになったから身体の動きを止めたのだった。

 なんだ。こんなところに誰がバナナの皮でも仕掛けたのだ。ゲームじゃないんだぞ。

 そんな気持ちで足元を見てみると、そこにあったのは1冊のノートだった。薄い水色の至って普通のノート。表紙には『海辺ノート』と書かれていた。

 この廊下は学校の中でも1番人通の多い廊下だ。誰かの落とし物に違いない。

 と、そのノートを拾い上げた瞬間だった。今まで感じたことのない激しい頭痛に襲われ、俺はその場に座り込んだ。サッカーをしていて、足腰には自信があったから、座る動作に移れたけど、もし運動もしていなかったら、間違いなくこの場に倒れ込んでいただろう。

 いや、そんなことはどうでもいいんだ。とりあえず、この頭痛をどうにかしないと。ああ、だめだ。頭が痛すぎて何も考えられない。このまま死ぬのか。

 そう思っていたけど、ノートから手を離すと、頭痛はみるみるうちに引いていき、大量の汗と荒い息づかいだけが残っていた。

 何なんだこのノートと思うのも束の間、階段の踊り場から僕を見下ろす影が1つあった。したから見る限りは女子。膝付近で広がりが見えるから間違いない。あとは逆光が強すぎて見えない。くそっ。

 その女子は静かに階段を降りてきて、俺の目の前で立ち止まった。

 俺はこの女子を知っている。同じ学年。同じクラスにはなったことはないけど、本当か嘘かわからない悪い噂はいくつも聞いている。

 年上のヤンチャな彼氏がいるとか。毎晩夜遊びをしているだとか。夜のお店で働いているとか。最近では変な趣味を始めたとか。

 同じ学年でこのことを知らない奴はいないだろう。故に名前だけは広まりきっている。

 彼女の名前は、三好七海みよしななみだ。

 三好は、俺の前に落ちているノートを睨みながらに拾い上げて大事そうに抱えていた。

 

「見た?」

 

 突然三好からそう言われて驚いた。まさか、あの誰とも話をしないと言われている三好の声を聞いてしまうとは。明日くらいに何かいいことでもあるかもしれない。

 さっさと答えろと言わんばかりに睨まれた俺は首を横に振る。

 

「……見てない」

 

「あっそ」

 

 三好はそれだけ言って廊下の先へと消えていった。

 今行って靴箱で鉢合わせてしまうのは嫌だったから、しばらく階段で座って休んで、時間を空けてから俺は靴箱を目指した。

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