8 最後までもてなしてもらうことにする
「見え方も問題ない?」
「はい、特に問題ありません」
ならばもう何もかもオールオッケーだ、奴原の両目は完全復活と相成った。心底ほっとしながら卯の花とけんちん汁をもぐもぐ食べる。そういえば米も白いんだし今回の食卓は本当にとにかく白で溢れているな、などと思っていればおもむろに立ち上がった奴原は冷蔵庫から市販のバニラアイスを出してきた。俺はけっこう間抜けな顔をしたのだろう。ぶはっと息を吐き出して笑われて、奴原がこんなに破顔するの初めて見るかもと思えば場違いなくらい見惚れてしまった。
「バニラアイス、お好きではない?」
「いや、お好きであります、が」
「ふっ、ぶはは、なぜそんな話し方に?」
「特に理由は……いやあの、食後のデザートも白色固定って、けっこう拘るんだな奴原さん」
「せっかくですし、それに……」
奴原は視線を一度ぐるりと回した。何かしら考えた仕草なのだろうが爬虫類じみた動きでちょっとだけ怖くて背筋が伸びた。でも俺の緊張とは裏腹に、奴原は回した目を緩慢に伏せた。
「四人での食事、取れた眼球で台無しにしたので……せめてこのくらいはおもてなしさせてください、久坂部さん」
そう慎重で神妙な憂いた声で言われちゃったらもちろんだとしか返せないわけだ。いや俺は当然として姫野も市平さんも気にしてないはずなんだけど、でも奴原は気に病んでいた。
それなら俺は身を乗り出してバニラアイスを手にとって、
「おもてなし、十分すぎるけど最後までもてなしてもらうことにする」
答えてからバニラアイスの蓋を取る。外はずっと雨が降っているみたいだ。奴原も俺が一口食べた様子を見たあとに、スプーンで白いアイスをすくい取る。バニラの甘さと冷たさは暖房で暖かい部屋の中にちょうどよく、俺たちは終わりに向かう食事の余韻を無言で食べ続けながら堪能していく。
話をしない時間って尋常じゃなく貴重だ。俺と奴原はいつの間にか、こんなに関係性が進んでいるのだ。
気付いちゃったら浸っちゃったけどもバニラアイスを食べ終わった後の奴原が「今度、姫野さんと市平さんにも何かしらで埋め合わせたいです」と言ったので、俺だけめちゃくちゃ特別って訳じゃあないのかもしれねえ。
さてさて何にせよ奴原の目は二つとも復活した。雨がしとしと降る冬の寒い一日はこうして良い方向に終わって、その日は折角なので奴原の部屋にお泊まりまでキメた。奴原は笑顔で新作ホラー小説を何冊も出してきて勧めてくれた。溝横ホラー大賞の大賞受賞作品なんですよと言いながら低い鳥を喰えというSFホラーのような小説を差し出されたので借りることにして、俺は俺で最近買ったミステリー大賞の大賞受賞作の近畿の子供を今度貸し出すと約束した。楽しかった。楽しかったがこう、もっとこう、恋人っぽいムードの何かしらがあったりはしねえのかよ! と思わなくもなく、まあでも目が出来たばっかりだもんな……と無理矢理に納得した。
まあなんていうかレーシックとか網膜剥離治療とか、詳しくはないが目になんらかの異常が起きて治った後は見えにくかったりなんとなく違和感があったりして、いざ尋常に夜の遊戯、なんてことやってる余裕がないのかもしれないなと思ったのだ。
でもこれ、逆というか、違うかった。
「久坂部さんは裸眼なんですか?」
と寝る前に奴原から聞かれ、
「裸眼だけど運転には眼鏡要る程度には視力悪いぜ。奴原は? 生えたばっかだし、2.0だったりするのか、もしかして」
包み隠さず自分の視力事情を話したついでに聞き返したが、奴原は数秒止まった。お? どうした? と思っている間にふっと息を吐き出す喉仏をほどくような笑い声を漏らした。
「変わらないんです」
と返事が来た。
「変わらない? 視力が?」
「はい。……取れる前と生えた後の視力は、同じですね」
奴原の顔、とりわけ両目に視線を向けた。奴原は左眼だけを掌で覆いながら右眼を動かしていて、見え方を確認する素振りだったから無理しなくてもいいと慌てて告げた。奴原は頷いて手を外し、もう寝ましょうか、と独り言の音量で呟いた。同意の前に電気が消された。違和感というか……あ、何か隠したな、とさすがに気が付いたが聞き返したりどうしたんだよと言い募ったりはせずに俺はおとなしく目を閉じた。
……閉じたけども、考えちゃった。
奴原の左眼って、もしかしてともすると有り得なくはない可能性として、取れはしてなかったんじゃないか。だから俺に左眼を渡せずに自分で料理を作って待っていて、取れたように振る舞っていたんじゃないのか。だって左眼が落ちたところは誰も見ていない、偽ろうと思えば簡単にできる……。
と、ここまで考えちゃったけども打ち消した。だって奴原が困って電話して来たのは事実だし、そんなことをする理由がまるでない。
だから結局何を隠したのかはわからなかった。
俺はすとんと寝落ちて翌朝は奴原の部屋から途中まで同伴出勤して、片眼だけだったにせよ見えるようになったんだし四人でのメシも二人でのメシも美味かったんだし今はそれだけでいいじゃねえかとこの疑問はとりあえず心の中へとしまい込んだ。
次に奴原と食うのはまた四人だしバレンタイン前後だし、いろいろガタッと事態が変わったりもする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます