デッドエンド⑥/Jail Quantum

 フィールドにはただ一人、ジュラだけが立っている。


 レギュレーション:デッドエンドの規定では、この時点で決着となり、ゴングがなるはずだ。

 大歓声もそこそこに、試合終了の合図がないことで観客がどよめく。


 ジュラは一人、焦がれるかのようにして実況席を見つめていた。


 鎖が一本伸びてきて、解けて光になり、光は収束してレィル・クアンタムを形作った。


「お疲れ様です、ジュラさん。ギソードさんも、ユイさんも、“イミテレオ”のみなさんも、なにより客席の皆々様に至るまで。このレィル・クアンタム、感謝申し上げます」


 “クアンタヌ”メンバーのイメージカラーを意匠に組み入れたドレスを翻し、一礼するレィル。


「…………。席に戻れ、レィル」

 ひどく不機嫌な低い声音で、ジュラが言う。

 レィルは微笑みで返した。


舞台ここはアクターたちが魂を捧げ戦う場所だ。客席に戻れ、レィル」

「う、ふ、ふ」

 艶美に笑み、レィルはハンカチでジュラの額の汗を拭う。


「【仕切り直しです】」

 鎖の擦れる音に言葉が乗る。


 レィルがそう唱えると、ジュラの魔力置換アストラル体が解除され、光芒の鎖で拘束された生身に戻る。


(奴隷への術的契約の応用か……)

 ジュラは今もなお、レィルの《拘束令状レディ・タキオン》の術的契約によって、神経系血管系リンパ系から魔力回路まで全てを縛られている。


 結界による非魔力置換アストラル体排除機能を凌駕し、ジュラは舞台に留められた。


「……邪魔をするな」

「あなたの言う邪魔とは?」

「“イミテレオ”との決着はついた。《大完声エヴォルテージ》も無効化した。レィルの言っていた復讐は終わっただろう」

「まだです」

「これ以上、ファンに迷惑をかけるな」

「迷惑⁉︎」


 魔力放出によるプレッシャーが、スタジアム全体を揺るがす。


「あぁ、迷惑だ。俺を再びアクターとして舞台に立つ機会をくれたのは感謝している。この先ずっと、レィルに繋がれても返しきれないほどの恩がある」

「…………」


「だからこそ、アクターとして俺は抗議している。レィルは間違っている。いますぐ舞台から降りろ」

「ヤです」


「アクターでもない、興行もしないなら、舞台から降りろ!」

「うるっさいなぁ!」


 地団駄を踏み、レィルは魔力置換アストラル体へと換装した。


 ……魔力置換アストラル体の形成は、一朝一日で習得できるものではない。レィルはそれを、才能一つで成し遂げた。


「うるさい、うるさい、うるさい! あなた、なんて言いました⁉︎ またアクターにしてくれたから、一生わたしの奴隷になるって言いましたよね⁉︎」


「そうだ。この恩に報いるためなら、なんでも差し出そう」


「いままで一度だって、可愛いって言ってくれなかったくせに!」


「なんの話だ!」


「なんでもって言いましたよね? ……、なら、いまここでプロポーズからのキスです。できますよね?」


「……、…………………………落ち着け、レィル」

「落ち着けなくしたのは、あなたです」

 知らずのうちに、ジュラを縛る鎖は解けていた。


 それでもジュラがレィルを力尽くで舞台から降ろさないのは、困惑と……が大きいからだ。


「なんでもしてくれるんですよね? ほら、ほら」

「術式で俺を操れば済む話だろう」

「それじゃダメなんです!」

「……? 結果は同じじゃないか」


「ジュラ・アイオライトーッ! この人でなしーッ!」

「ペチャパイスキーじゃなかったのかー⁉︎」

「女の敵〜〜っ‼︎」

 ジュラのデリカシーのない発言に、オーディエンスは罵声で答えた。


「違う! 俺は胸は大きい方がいい!」


「ぶっ殺すぞー‼︎」

「じゃあペチャパイスキーってなんだよ! おれたちを騙してたのか⁉︎」

「な、なんなんだ……⁉︎」

 崖っぷちに立たされたような錯覚に陥るジュラ。


「よ、ペチャパイスキー」

「や、ペチャパイスキー」

 そんな男の肩を叩いたのは、他ならぬギソードとユイだった。


「……敗者は去れ」

「お前今日帰ったらシバくからな」

「打ち上げの晩ごはん奢ってもらうからね」

「なんなんだよ」


「なんだもかんだもない。いまこうしてお嬢さんがここに立ってるってんなら、お前のやることは一つだろ」

「ほらほら。仕切り直しなんだから、ちゃんと演らないと」


 二人は一際強くジュラの肩を押し、突き放す。


「それと。忘れ物だぞ、ペチャパイスキー」

「一応、これもね。疲れてるでしょ?」

 ギソードが予備のダンボールマスクを、ユイが謎発光ドリンクをジュラに託し、地下道へと戻っていく。振り返ることはなかった。


「……まったく」


 その毒としか思えない飲料を飲み干し(喉が鳴るたびに客席の悲鳴は増していった)、この数ヶ月馴染みに馴染んだダンボールを被る。


「……はぁ。レィル」

「は、はいっ」


「アクターをやってきて――ジュラ・アイオライトとして、マスクド・ペチャパイスキーとして、たくさんのファンに応援され、支えてもらってきた」


 述懐し、マスクド・ペチャパイスキーはふと客席を見渡す。


「でも、舞台ここに立ってくれたファンは、レィルがはじめてだよ」


 開戦規定、五メートルの離隔。


 魔力置換アストラル体に換装し、ペチャパイスキーは、その赤い瞳をレィルの血溜まりのような双眸に合わせた。


「[外付け]マスクド・ペチャパイスキー」

 ペチャパイスキーが呟いたそれは、対戦開始前の紹介だった。


「ふ。《拘束令状レディ・タキオン》、改め《拘束令嬢ヘヴィ・タキオン》レィル・クアンタム」

 続いてレィル。自身を戒める拘束を振り払うような仕草で、改めてペチャパイスキーに向かい合う。


「あなたが好きです、ペチャパイスキーッ!」


 ゴング代わりとばかりに、レィルが絶叫した。


 十本の鎖が意思を持ったように這い走る。とても個人が扱っているとは思えないその軌道を、しかしペチャパイスキーは[大躍動ストレングス]で潜り抜けた。


 魔力の籠ったペチャパイスキーの貫手。チェーンによる鞭打で弾かれる。


「あなたの答えを聞かせてください!」

「言わせてみろ、レィル!」

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