第5話 本が好きだから
「藤宮さん、これ……」
英一が本を返すと、藤宮が受け取って聞いてきた。
「あの……どうでしたか?」
「すごくよかったよ」英一はパチパチと目をしばたたかせて答えた。
「生徒会長、目が……」藤宮が英一の目の下にできた大きなクマに気付いて恐る恐る言った。
「昨日ちょっと徹夜してね……気づいたら朝だったよ」
「大丈夫なんですか?」
「うん、授業中ちょっと寝たし……」
言いながら英一は、あっと言ってはいけないことに気づく。
清廉潔白な生徒会長が授業中に居眠りをしていたなんて、そんなの完全にイメージが崩れる出来事だ。
「ああいや、いまのは……」
くすりと、藤宮が口に手を添えて笑った。
「生徒会長もそういう所があるんですね」
「他の人には言わないでよ」
英一は苦笑いを浮かべた。
「それで本のことだけど、映画にはないイメージボードがたくさんあったし、画面だと近くで見れないから一枚の絵をあそこまでじっくり眺められるのはいいね」
「わたしはそこまで深く考えたことはなかったですけど……」藤宮がぽかんとした表情で言う。「そう言われるとそんな気がします」
映画ではつい動いているキャラクターにばかり目が行ってしまい、町の小さな背景などに注意がいかない。けれどこうして一枚の絵として見ると、しっかりと『町らしさ』が随所に感じられた。
天空の城ラピュタの本編でスラッグ渓谷のシーンはそのスケールの大きさに反して想像以上に少なかった。天空の城ラピュタにおけるスラッグ渓谷とは、パズーとシータの出会いの場であり、冒険の始まりの場所である。
例えば本編の重要なシーンでもある列車の場面では、線路を伝ってやってくる列車の背後に巨大な山がそびえ立っており、山の表面に煙突のついた建物が張り付いているようなカットが確認できる。これだけでもスラッグ渓谷がかなり広い場所であることは間違いないのであるが、さらにシータとパズーの二人が飛行石の力で渓谷の下に沈んでいくシーンでは、今まで見られなかった渓谷の谷底の町の風景が描かれている。
この数フーレムのカットだけで、どんどんと町の全容が露になりスケールの大きさに圧倒されるのだが、その後谷底の町が登場するようなことはなく、美術資料の方でも絵が数カット分描かれているだけで詳しい説明などはなかった。
それでも英一は、その背景に町の歴史を感じざるを得なかった。谷底に描かれている建物は、一見かなりの数あるのだが、人がいる気配がまるでしない。まるで何年も人が住んでいないように埃をかぶったような色づきでひっそりと佇んでいるのだ。
かつてはヒトが住んでいたが、何かしらの理由があり離れざるを得なかったか、断片的な情報からそうした推察を巡らせることしかできない。しかし考えれば考えるほど世界観は確かなものになっていく。自分の中で、その場所が単なる空想の町ではなく、人が住み歴史が紡がれてきた町として現実のものへと生まれ変わるのだ。
「他にもあるの?」
「はい、家にあと何冊か……今度持ってきましょうか?」
「ううん、いいよ」
「そうですか……」
読書に戻った藤宮に英一はそういえばと話しかけた。
「藤宮さん、Vtuberって知ってる?」
「Vtuberですか? はい、少しは」
「たとえば藤宮さんがVtuberだったら、どういうことをやるのかな?」
「えっ」
藤宮が本を床に落とした。「あっ」と声をあげて本を拾いにかがんだ彼女の髪が、英一の鼻をかすむ。
「ごめん、変なことを言うつもりはなくてさ……Vtuberっていうものを最近知って、すごく自由に色んなことを楽しんでいる感じが羨ましくて……自分ももしそういうことができたらって考えたんだけど、あんまり思いつかなくて」
藤宮がじゅっと本を抱き締めた。
「……本の紹介とかしてみたいなって思いますけど、そこまで喋れる自信もないので」
「ああ、僕もね……知識のない自分がそういうことやっても本気でやってる人達には敵わないよなって」
さっきみたいな考察も、あげている人はたくさんいる。けれど英一は、知識を広めるためにそれをしようとは思えなかった。自分の中で咀嚼して、その回答がどうであれ、自分の中で決着がつけられればそれでいい。
自分の本当の種は、外部に晒してしまうのは正直かなり恥ずかしいところがある。
「けどやっぱり、同じ本を好きな人がいるのはすごく嬉しいし安心するよ」
「そうですね」
藤宮が読んでいる本はなかなか活字の濃そうなものだったので、英一は読もうとは思えなかったから、読めるようになれば楽しいんだろうなあと、藤宮を見ていて思った。
「藤宮さんはクラスにそういうこと話せる人いるの?」
「はい、一人」藤宮が頷いた。
「それじゃあ」と英一は改まって言った。「少し酷な質問になるけど、もしその人が藤宮さんが好きな本をそんなに好きにならなかったら、藤宮さんはどうする……?」
「それは、その人を嫌いになるってことですか?」
英一が頷くと、藤宮は口を開いた。
「それはないと思います」
「それはどうして?」
「わたしが好きな本をその人が好きにならないのは当たり前なので。互いに本は好きですけど、趣味で繋がっているわけじゃなくて、
「そっか……ありがとう。こんな質問にちゃんと答えてくれて」
「いえ……生徒会長なので。こういうカウンセリングみたいなのもしてるのかなと思って。ちょっと新鮮でした」
「ああうん、たまにはね」
英一は苦笑いを浮かべた。
「……それで、何かわかったの?」
睨みつける静香に英一はいやあと後ろ髪を掻いた。
「このバカ! あんぽんたん!」
「まあまあ静香殿、英一殿も一生懸命探しておられたのですし」
静香はきっ、と鋭い目を遥に向けた。
「アンタは何かやったの……?」
「ああいや、我はその……ラベンダーの香りのする女子生徒を探しておりましたが」
遥の取り出した手紙を奪い取って振り回しながら静香が叫ぶ。
「お巡りさーん! ここに変態がいまーす!」
「ああやめて、叫ばないで!」
「だったらもっとちゃんと探しなさいよ」静香はすっと手を下ろした。「……だめね、やっぱり降りましょう。この依頼」
静香がが言うと、遥がむうと唸り声をあげて英一を見た。
「英一殿はどう思うでござるか?」
「ボクは……うん、そうだね」
英一が頷くと、静香と遥はすぐさま身支度を整えた。
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