第8話 狂信
「なぁ聞いたか教団の噂」
「なにお前、あんなの信じてんの?あるわけないじゃん」
「まぁ、胡散臭いとは思うんだけどさ」
教団。最近までゴロツキが集まっていた場所に突然美しい城が立ち、住み着いた連中だ。そこではどんな望みも叶うと言う。
美味い飯、金銀財宝、怪我や病気の治療、醜女は美女に変わり、老婆は少女になる桃源郷。
「俺も信じてなかったんだけど、ウチの隣の長男が行ってきたらしいんだよ」
「なに!?それで!なにか持って帰ったのか!?」
「興味津々じゃないか。それがさ、どんな凄いものかと思ったら手にいっぱいの食いものだったんだ」
「なんだそりゃ。貰えたら嬉しいけどよ、もっと凄いのが貰えるんじゃないのか?」
「そいつが言うには、これを食べて教祖様にしっかり感謝して、次に会った時に感謝を捧げるんだと。その気持ち次第で次はもっといい物が貰えるらしい」
「感謝?食い物貰って感謝したらまた食い物貰えるんか?」
「食い物だけじゃなくて、噂されてる物を貰ってる奴もいたらしいぞ。教祖は感謝に溢れる世の中を目指しているらしい」
「へぇ、いいじゃないか。それじゃこの話を教えてくれたお前にもありがとうだな」
「おう、聞いてくれてありがとうよ。ははは!」
こんな話をしながらも胡散臭さが拭えなくて足は向かなかった。
それから10日後。隣の家の長男がやってきて、家も畑も俺にくれるという。家族で教団に移住するらしい。
何でも本部の周囲に集合住宅という物が作られているらしく、この世の物とは思えないほど快適で便利な場所なんだとか。
仕事は無く、日に三度食事の後に礼拝をする事だけが義務付けられている。熱心な信者はよりよい生活、怪我や病気の治療、そして若返りまで与えられるという話だ。
嘘だろう?食い物だけでもおかしい、誰かが働いて作っているはずだ。行ったら奴隷にされるんじゃないか?
必死に説得した。特別仲がよかったわけじゃないが、そんな物に騙されて奴隷にされるなんてかわいそうだ。だって毎日頑張って仕事をしていたじゃないか、そんなのってないぜ。
帰ってきた言葉は「ありがとう」だった。
心配してくれてありがとう、今までありがとう、引き止めてくれてありがとう。何を言っても感謝が返ってくるだけだった。
最後には全てを諦めて見送った。僅かな手荷物だけで家を捨てて旅立つ隣の家族。見送ってくれてありがとうの言葉が薄ら寒く聞こえた。
この村はもう終わりだ。何軒かが離れたくらいなら財産を譲られて喜んでいる者もいたが、だんだんと櫛の歯が抜けるように人が居なくなった。今ではウチを含め10世帯も住んでいない。
「俺んトコもよ、息子に行かせてみたら全部本当だって言うからよ、家族で行くことにしたんだ」
「そうか、達者でな」
「おめぇも来いよ。嘘だったとしても、村のみんなが居たらきっとなんとでもなるぜ」
「よかったら家族を連れてってくれねぇか、俺は最後まで村に残りてぇんだ」
「………わかった。任せておけ」
一人で村に残った。
一人で畑を耕し、一人で水を汲み、一人で掃除をして、一人で飯を食い、一人で冬支度を整えた。
寒い、寂しい。いつしか生きる気力も萎え、病気に罹り、あっさり動けなくなった。
人は一人では生きていけないんだ。俺を支えていてくれた家族に感謝、共に働いた村の皆に感謝、産み育ててくれた両親に感謝。
そしてそれを奪った教団には憎しみを、俺に苦しみを与えた教団に憎しみを、死にゆく俺の全ての恨みを。
俺は教団の全てを拒否して自由に死ぬぞ、お前らに感謝なんてせずに恨んで死ぬぞ、ざまぁみやがれ!俺は自由だ!
意識が遠くなるなか、懐かしい声が聞こえた気がする。
「教祖様!こちらです!こんなところまでありがとうございます!」
「いいんだいいんだ、この村出身の多くの者が心配していたからな。いつも通り礼拝してくれればいい」
「ありがとうございます!」
「ふむ、こいつか。栄養失調と過労から肺炎にでもなったかな?治療×5」
男の声が聞こえた後、急に体に力が戻ってきた。
なんだ?何が起こった?跳ね起きた俺の前に湯気の立つご馳走が並べられている。なに?なにが?これは?
「あんた!」
「とうちゃん!」
居なくなったはずの嫁と息子がしがみついて来る。なんだこれは、夢か?俺の希望がそのまま形になったような。頭は痺れて回らないのに、勝手に涙が出てきやがる。家族を抱きしめた。鼻水を垂らして声を上げて泣いた。
これが俺の欲しかったもの!他に何も要らない!ありがとうございます!もう間違えたりしません!
「教祖様!ありがとうございます!ありがとうございます!生涯感謝を捧げます!」
「うん、ありがとう。日々感謝を捧げるんだ。それだけでみんな幸せになれる」
「ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!」
なんだ、これがあの教団の教祖か。俺癒やし、飯をくれて、家族に会わせてくれたのか。
「教祖様、ありがとうございます。俺が間違っていました」
「いいんだ、村の者が居なくなって大変だっただろう。済まなかったな、生きていてくれてありがとう」
「とんでもない。ありがとうございます、ありがとう、ありがとう」
回復した俺は教団本部の周りに作られた集合住宅に移り住んだ。
村は無くなった。畑も放棄された。もう誰も働く必要なんて無いんだ。
毎日感謝を捧げる。教祖様ありがとうございます。食事も、家も、家族も、全てあなたが与えてくれた物です。ありがとうございます。ありがとうございます。
世の中には俺のようなへそ曲がりも沢山いるだろう。無駄な苦労をしているはずだ。教えてやろう、救ってやろう、教団に参加して教祖様に感謝を捧げるだけで開放されるんだ。世界のすべての人の為に、教祖様への感謝を広げよう。
それが俺がこの世界に存在する理由のすべてだ。
冬が終わり温かい春が訪れた頃。俺の家族が住む一帯は教団の中央部と呼ばれるようになっていた。
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