嶺辺路【零】『弘安の役 -蒙古襲来と神風の真実-』

——時は鎌倉。


 もとの民は、大陸から迫り来る世界最大規模の艦隊におびえていた。侵略者の軍勢は、十万とも、二十万とも、いやそれ以上とも言われ、誰もが絶望した。


 これを迎え撃つべく……


 ある日の夕刻、博多湾は志賀島しかのしまの北の海岸沿いの岩場から、ある勇敢な御家人が、単身、小舟で大軍の待ち構える大海原へと出航した。


 小舟を漕ぐ御家人を、だいだいの夕陽が照らすのだが、彼はその頭のてっぺんから足先までを、黒い衣で覆っており、人相を確認できない。


 それに、海へ出るというのに、腰に刺した一本の刀以外に、持ち物はない。



 深い謎に包まれた、御家人だった。



 小舟を漕ぎ続け、沖に出た御家人は、一隻の怪しげな船を見つける。


 そして、難なく、その船に乗り込むことに成功する。


 だが、不思議なことに、人の気配が感じられない。


 御家人が刀をさやから抜いた途端……


 人影。


 強い西陽で、その表情は見えない。


 どこからともなく、敵が切り掛かってきた。


 いや、切るというよりも、突く、と言ったところか。


 敵の持つ武器は、風変わりな短めの槍、と形容するしかない外見をしている。


 その切先きっさきとは逆側、敵が槍の持ち手にしている端の部分は、「へ」の字に折れ曲がっており、これまた奇妙である。


 御家人は、口元に、ニヤリと、横倒しの三日月不敵な笑みを浮かべると……


 その敵に一太刀ひとたち浴びせ、あっさりと倒してしまう。


 すると同じような武器を持った敵が、一人、二人、三人……と、どこから湧いてきたのかはわからないが、数を増やしていく。


 敵は全て、森の木々に溶け込んでしまいそうな、緑色のうねうねした模様の衣服を全身にまとっている。


 何やら、モウコ……モウコ……と、モゴモゴと言っている者がいるが、さっぱり理解できない。


 敵は数の割に士気が低いようだ。


 言語の違いで統率を失っているのか、掛け声の一つもない。


 また、長い船旅で疲弊ひへいしているのか、皆、足取りもふらついている。


 御家人は、敵を、容赦なくバッサバッサと切り倒していく。


 切られなかった者も、勝手に海へ身を投げたので、御家人の目の前からはいなくなった。


 それに、数十万の群勢と聞いていたのに、その船は他の船とはぐれたのか、応援が駆けつける気配もない。


 御家人は、ついには将兵らしき一人を討ち取り……


 独り、船に残された。


 沈みかけの太陽のわずかな明るさを頼りに、船を調べると、一つの、やけに古びた木箱を見つけた。


 それは、古びてはいるものの、頑丈な作りだった。


 だが鍵は壊れていたので、容易に開くことができた。


 箱の中身が、あらわになる。


 刃渡はわたり四尺(参考:一尺はおよそ三〇・三センチメートル)ほどにもなろう、鞘に入った立派な太刀だった。


 御家人は、それを見るや否や、持っていた血塗られた刀を、ぽいと海へ放り投げてしまった。


 そして目の前の、新たなる武器のつかを握り、太刀を鞘から引き抜く。


 すると……


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 紫黒色しこくしょくの、煙のようなものが御家人を包んだ。

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 両手で持つのがやっとらしく、かなり重そうだ。

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 もうすっかり辺りは暗くなり、その細かな様相は確認できない。

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 が、どうやら一般的な刀よりも、かなり黒ずんでいるらしかった。

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 だが、それはびついているとか、汚れているとかそういうわけではなく、元々黒ずんでいるようだった。

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 また、その太刀は、見るものをきつける何かを放っていた。

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 御家人は突如、武者震むしゃぶるいし始め……

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 さっきまで辛そうに両手で構えていた太刀を、片手で軽々、天高くかかげた。

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 切先きっさきが月明かりを反射する。

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 そして、御家人は、雄叫びを上げた。

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 どこまで届いたのかわからない。

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 半島まで届いたかもしれない。

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 それほど大きな雄叫びだった。

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 御家人が、闇に向かって太刀を振るうと……

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 空がたちまち、闇に塗り替えられた。

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 海に、なぎが訪れる。

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 気味が悪いほどの静けさ。

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 それも束の間……

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 嵐が到来した。

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 御家人の乗る船から少し離れた海上に、蒙古軍の四〇〇〇隻の船があったが……

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 全てを飲み込む荒波と、全てを吹き飛ばす暴風雨に襲われた。

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 おびただしい量の氷のつぶてのようなものが降り注ぐ。

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 それから、闇夜が真っ白になるほどの閃光のあと、多くの船が炎上した。

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 おまけに、運よく逃れた者も、全身から血を吹き出す謎の疫病に襲われた。

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 船のほとんどが沈み、残った少数も撤退した。

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 御家人は依然、大きな叫びを響かせ続けていたが……

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 ついに全ての力を使い果たし、倒れ込んだ。


 そしていつの間にか、御家人の姿は、あの太刀ごと、消えていた。


嶺辺路れべる【壱】『多元宇宙丸たもとうちゅまると時空の裂け目』に続く〉

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