某公立高校読書部活動報告書

@offside

第1話『保健室の沢田さん』に関する報告書

 時は令和、初秋の頃。


 


 地方創生が叫ばれるようになって久しい今日こんにちではあるが、閑散というのとは少し違う、長閑のどかと言い表しても差し支えない処は、今でも日本の各地に点在する。

 森田もりた 千夏ちなつは地元の高校に通う1年生である。彼女が通う高校は、進学校としてそれなりに知られてはいる。公立高校なので9割近くは地元学区内からの学生であるのだが、にも関わらず毎年の受験の際には、ほぼ定員割れを起こしたことがない。当然のことながら、生徒の人数を満たすため合格点の引き下げや、学区外からの推薦受験を推奨している訳ではない。そのような事をしなくても、何故か定員割れを起こさないのだ。卒業後の進学率も毎年高い水準のまま推移している。他の地域では生徒の人数の減少が懸念されている昨今、これは大いに評価される点だと思われる。


 もっとも、実際に通っている生徒側からすれば、それ程深く考えている訳ではない。千夏に至っては「徒歩10分で通える」ことが志望した最大にして唯一の理由であり、曰く「8時に起きても間に合うのと、8時に家を出ても間に合わない」のは天国と地獄ほどの違いがあるかららしい。

 

 「言いたいことは分かるんだけれどさあ・・・。本当に8時まで寝ちゃって、それで遅刻するー、とか言いながら食パン咥えて走る人、あたしリアルで初めて見た。」

 千夏の級友、小野おの みどりが小言めいたことを口にする。

 「私もまさか自分が実演することになるとは思わなかった。」

 

 厳密に言えば、翠は千夏が走っているところを直接見た訳ではない。食パン咥えて全力疾走などという”はしたなさ”を発揮した結果、千夏自身遅刻は免れたものの、教室に着くなり右脇腹の激痛に襲われ座席で冷や汗をかく事となった。そのため千夏は朝のHRの時、担任から保健室に行くように言われてしまった。今、千夏は保険委員の翠に付き添われ保健室に向かっている途中である。

 

 「失礼しまーす。腹痛が酷いので少し休ませて下さーい。」

保健室に到着するなり、翠は場違いな程賑々しくも爽快な声で挨拶した。

 「・・・・、あなた随分健康そうじゃない。本当に腹痛なの?」

 「あ、すいません。あたしは付き添いです。休ませて欲しいのはこの子です。」

翠に言われて保健事務の教諭は、並んで立っている千夏に視線を移した。

 「あら、確かにあまり顔色が良くないわね。いいわ、少しの間横になって休んで行きなさい。」

 「分かりました。ありがとうございます。」


 腹痛の原因について深く追求されなかったことに感謝しつつ、千夏は仕切りのカーテンを開けて、そのままベットに横になった。幸いな事に痛みはかなり治まりつつある。これなら教諭の言う通り、少し休めば問題なさそうだった。


 「付き添いのあなたは保健委員?」

 「はい、そうです。」

 「なら、このノートにあなたの名前と何年何組か書いておいて。それと今ベットを使用してる彼女の名前も一緒にお願い。」

 「はい、わかりました。」

そう言うと翠は、指定されたノートに自分の名前と学年、組名を記入していった。


 (そっかあ、考えてみたら、保健室の先生って普段あたし達との接点って少ないからなあ。名前忘れられちゃってるかもねえ。)

 記入をしながら、翠は思いを巡らせている。保健委員である自分の名前を覚えてもらえていないのは少し寂しい気もするが、基本保健の教諭は生徒側が怪我や体調不良を訴えてこない限り、自ら進んで関わっていくことは稀である。むしろ保健室が暇であればあるほど、校内が平和である証拠とも言える。


 それによく考えてみれば、翠は保健委員の活動にはそれ程積極的ではない。月に一度の各種委員会の集まりの時でさえ、敢て目立たない様に隅の方に移動し、何か意見を求めらそうな時でも指名されないように隅で大人しくしている。いってしまえば「面倒くさい」のだ。

 (ま、しょうがないよねえ。)

そして、考え事をしながらノートの空欄部分を埋めていった


 【小野 翠 1年A組】


 そのままベットの使用者欄に千夏の名前を書こうとしてふとその手を止めた。そして千夏に向かって声を掛ける。

 「ねえ、千夏。」

 「何?」

 「あなたの苗字ってなんだっけ?」


 へ?今更??と千夏は少し驚きつつ「森田だよ、森林しんりんしんに田んぼの田で森田。」

 「ああそうだった、そうだった。ごめんね、別に深い意味はないのよ。あたしの中では千夏は『千夏』として覚え込んでたからさあ。」


 翠が云わんとしていることは何となく理解出来る。彼女とは小学校の頃からの付き合いであり、いわゆる幼馴染というやつである。翠も別に森田という苗字の事をどうでもいいと思っていた訳ではないだろう。彼女から見れば”私”という個人の特定に関しては「森田さん」より「千夏」の方がしっくりくるだけの事である。逆に今更翠から「森田さん」と呼び掛けられても、急に距離感を感じてしまい無性に寂しくなるかもしれない。


 千夏がベットの上で横になりながら、そんな思いに耽っている間にノートの記入を終えた翠は、1限目開始のチャイムが鳴る前に教室へ戻っていった。やがてチャイムが鳴り、時間の経過と共に痛みの和らいだ千夏もベットから這い出てきた。そして教諭に「もう大丈夫です」と告げる。改めてお礼を言った後、そのまま教室へ戻ろうとした。


 その時、「失礼します。」


 千夏と入れ違うように一人の女生徒が保健室に入っていった。


「あら、沢田さん。どうしたの。」

教諭が心配そうな声でその女生徒に尋ねる。

 聞く気もないのに、女生徒の個人情報なまえを耳にしてしまった千夏は、若干バツが悪い思いをしながら教室へと向かう。その途中、

(先生が顔と名前を覚えてたって事は、よく保健室に顔を出してるか、それともこの学校内ではちょっとした有名人のどちらか、ってことだよね。そう言えば沢田っていう苗字に聞き覚えがあるような・・・・。)

などと考え事をしながら歩いていたため、気付いた時にはA組の教室の前を通り過ぎ、慌てて引き返す羽目になった。


 その後、特に何事もなく時間は経過していき、やがて放課後・・・。


 この学校の部活動は体育会系、文科系とも、それなりに活発であり、生徒の殆どは何らかの部に入部している。体育会系は、特に強豪と言われる程、突出して有名な部がある訳ではないのだが、それでも学校の創立以来、複数回のインターハイ出場経験を誇る部活が数多く揃っている。

 又、文科系については合唱部や吹奏楽部が、地元ではかなり親しまれており、何らかの催しに招待されることが多く、その歌唱や演奏を披露する機会に恵まれている。


 そして、現在この学校で注目されているのは、文科系の「書道部」であろう。

 当時1年生だった沢田 文子という女生徒の書いた作品が、書道部の顧問の目に留まり、高校生部門の作品として全国大会へ出品されたのがきっかけであった。

 その時は佳作に選出されている。そして2年生となった今年、彼女の書は全国大会で見事に優秀賞に入選したのである。これだけでも充分に素晴らしい結果と言えるが、最終的には全国での「大賞」は逃しているため、地元では「次回こそは」を期待する声も、ちらほら上がっていた。


 「それで、千夏としてはその後の沢田さんの容体が気になる訳だ。」

 「え、だって普通気になるでしょ。有名人かどうかは別としてもさ、女子が顔色悪くして保健室に入っていったんだよ。心配になるじゃない。」

 「確かにそうなんだけどねえ。たださあ、冷たいって思われるかもしれないけど、あたしその『沢田さん』の顔色、実際には見てない分、何となくが沸かないのよ。」

 「そういうものなのかなあ?」


 千夏と翠は、二人が所属する「読書部」の部室で、机を挟んで対峙していた。千夏にしてみれば、保健室に入っていった女生徒の容体が気になるだけで、彼女が沢田さんであるかどうかは二の次なのだが、翠にしてみれば、実際その場に居なかったため心配出来る要素が薄い。その為、何故千夏が女生徒を書道部の沢田さんである、と特定しているのか、その方が気になってしまっていた。


 「ねえ、よーく考えてみてよ。千夏ってばさあ、沢田さんのこと保健室で会った時以外で見かけた事ってあるの?」

 「・・・・、ないわね。」

 「でしょ。なのにどうしてその保健室に来た人が沢田 文子先輩だってわかったの?」

 「わかったっていうか、林先生が彼女の顔を見てすぐ、沢田さん、って言ってたからさあ、顔と名前覚えてもらえる位有名なのかな、って思ったの。」


 林先生とは保健事務の教諭のことである、いつも白衣の胸元に「林」と書かれたネームバッチをつけている。立場上普段から生徒達との接触はそれほど多くない。ノートに名前を記入させているのは、保険室への入出管理も目的の一つだが、それよりも、後でノートを見た時に顔と名前を一致させるため利用される事の方が多い。その林先生が保健室に入ってきた女生徒を見るなり「沢田さん」と言ったのだ。これは顔と名前が一致するほどの有名であるからか、若しくは何等かの理由で頻繁に保健室に出入りしているかのどちらかではないかと思えたのだ。この二つの理由を比較した場合、頻繁に保健室に行く理由とは何かと考えれば、それは病弱だからという結果に行きつきかねない。千夏からすれば、そういった悲しい結末は無意識のうちに避けた部分があるのだろう。


(それに、あの時の沢田さんは付き添いなしにで保健室まで来てた。頻繁に保健室に行くほど病弱な人だったとしたら、保健委員の付き添いなしで行かせるのってやっぱり変だよね。)


 つまり、一人で保健室に行ける位には症状が軽いだけでなく、付き添い無しでも問題ないだろうと思ってもらえる位に普段は健康だということになる。そうなると当然保健室には滅多に行かないことになるが、それでも林先生が名前を覚えていた事を考えれば・・・、

 (あれ?ってことは、普段健康な人が、たまたま軽い不調を訴えただけってことになるのかな・・・。だとすると、心配するだけ無駄?)


 千夏が頭の中で、少々薄情な結論を出しかけた時、先ほどから二人と同じ部室内で静かに読書に勤しんでいた一人の男子生徒に向かって、不意に翠が声をかけた。


 「ねえ、オタ君はどう思う」

急に声を掛けられた男子生徒は決して狼狽えた様には見えなかった。彼は手元の文庫本から視線を外すことなく、二人に対して、悪びれず正直にこう答えた。

 「・・・・、ごめん聞いてなかった。」


 彼の名前は邦村くにむら つかさという。1年C組に所属しており、この4月に学区外から引っこしてきた転校生であった。この学校では珍しい地元以外の生徒である。元は都内23区の大田区に住んでいたこともあってか、千夏と翠の二人からは、いつの間にか「オタ君」と呼ばれるようになり、それがそのまま定着していた。因みにクラス内では普通に、邦村君と呼ばれている。


 「読書部」の活動場所は図書室の隣にある資料準備室であり、通常は各々が読み込んだ作品について、感想を述べあったりしていくのが普段の活動内容となっている。部員はこの3名以外にも2年生の男女1名ずつ在籍していて本来はそれぞれ部長、副部長となっている。だが、この2名とも現状は部員として名前を登録しているだけの完全な幽霊部員状態である。その結果、司、千夏、翠の3名のみの活動が現在までの間ずっと続いている。


 司は、今回の千夏と翠の会話が、図書部の活動趣旨に沿った会話ではなかったため、完全に聞き流していた。しかし無関心状態の司をそのまま放置しておいてくれるほど、千夏と翠の二人は優しくはなかった。


 「じゃあ、もう一回話すからさ、オタ君も一緒に考えてよ」


 いえ、結構ですと心の中で答える司を無視する形で、千夏は再度、今朝の保健室での出来事を語り始めた。当然自分が腹痛を起こした原因については一切口にしていない。


 「で、改めて聞くけどオタ君はどう思う。」と、今度は千夏が訊いてきた

 「・・・・・・・。」


 結果、改めて聞いても、「別にどうとも」思わない司であった。何をどうすれば保健室に来た沢田さんについて会話する事が、読書部の活動内容として相応しい事になるのだろう。しょうがないなと思いつつ・・・、


 「う~ん。」

 司は、いかにも真面目に考えてますよ、と言わんばかりにわざとらしく腕を組み、そのまま本当に真面目に考え始めてしまった。そしてその挙句、

 「ここで三人で考えていても仕方ないじゃない。そんなに気になるなら、直接保健室に行って林先生に確認してくればいいだけでしょ?」

という何とも面白味のない残念な結論を出してきたのだ。


 当然二人同時に不満の声が上がる。

 「え~っ、それじゃつまんないよぉ・・・。」

 「なんだかそれって、試験の前に正解を知っちゃうみたいでズルしてる感じがする。」

 「小野さん。」「何よ。」「勉強って普通は皆、試験の前に正解を知ろうとしてするものじゃないの?」

 「・・・へ?」

 「だってそうでしょ。試験範囲に枕草子が関係するって通知されたら、皆試験の前に正解を知ろうとして勉強したり調べたりしするんじゃないの。」

 「それもそうか・・・・って、そうじゃなくて!あたしは、要はカンニングっぽくてヤダって言いたいの。」

 「今回のことは別にカンニングっぽくはないと思うけどね。」

 司から見れば、千夏と翠には、さっさと本来の読書部活動の内容に沿った意見交換を始めて欲しいだけなのだ。


 「じゃあさ、オタ君は何でカンニングっぽくないって思う訳?」

千夏の問いに司が答える。

 「森田さんは、保健室に来た沢田さんの事が心配なだけなんでしょ。それって僕達だけで今この場で考えても、絶対に判る事じゃないよ。」

 「え?いや、えっとあの、確かにそうなんだけど、そうじゃないっていうかなんて言うか・・・。」

 

 千夏の反応を見て、司の頭にも疑問が浮かぶ。

 「森田さん、もしかしていつの間にか、保健室に来た『沢田さんが心配』から『あの人が書道部の沢田先輩だったのか知りたい』に趣旨が変わったって事になるのかな?」


 「ハイ、ソウナリマスデス。」

本来の”心配”だけの内容からそれ以外に”好奇心”が絡んで来るようになったため、千夏が俯きながらバツが悪そうに答えた。


 (成程ねえ・・・。まあそうはいってもなあ。)

 司を含め、千夏、翠共、手元にある情報が少なすぎるのだ。

実際、保健室にやって来た沢田さんが書道部の沢田先輩である、と確定させるには決め手に欠ける部分が多い。しかし書道部の沢田先輩ではない、と確定させることも、同じ位決め手に欠ける。にもかかわらず・・・、

 「よし、一旦内容を整理しよう。まず小野さんに聞きたいんだけどいいかな。」

 「え、何?」

不意に話を振られて隙をつかれた形になりながらも翠が応える。


 「小野さんはさっき森田さんに書道部の沢田先輩を見たことあるのか聞いてたよね。」

 「うん、そうね。」

 「で、森田さんは見た事はないと答えた。」

 「そうね、その通り。」

 「小野さんは、書道部の沢田さんを見かけた事は?」

 「ううん、あたしも直接は見たことない。」

 「そうなると、ある意味条件的には森田さんと同じか・・・。」


 そう言いながら司は、机の上にノートを広げると

『ⅹ=保健室に来た沢田さん。y=書道部の沢田先輩。』と記載した。


 「森田さんがx=y、小野さんがx≠yを回答として求めている、ということでいいのかな。」

 「そういう事、そういう事。」

 文系として、この回答の求め方はどうなのかなと思いつつ、司の言葉に対して二人が同時に頷く。

 「ならまず、x=yのケースから考えていこう。ねえ、森田さん。」

 「何?」

 「林先生が顔を見ただけで名前を呼んだから以外に、森田さんがx=yって考えた根拠は何かないのかな。」

 千夏は少し考えてから、ない、と答えた。

「そうなると、この場合問題になるのは、林先生が彼女の名前を知っていた理由が、複数考えられる可能性があるって事になるね。」

 「複数?」と、千夏が意外そうな口調で言う。


 千夏にしてみれば、林先生が名前を知っていた、という時点で校内でも有名なのでは、という考えしか浮かばなかった。ただ、その有名という点だけで考えても、千夏が知らないだけで、書道部以外にも林先生が知っている沢田さんがいるかもしれない。

 

 「そうなのよねえ。あたしもこの学校に沢田っていう苗字の先輩が何人居るかは正直言ってはっきり判らないよ。でもさ、確実に一人だけは、別の沢田先輩がいるってことは知ってるの。だって同じ保険委員で沢田って先輩がいるから。」


 司が、続きを促すように翠の顔を見た。

 「当然保健委員会でその沢田先輩に会ったことはあるよ。だから、もし今回その場にあたしが居たら一発で判ったと思うんだよね。それにさ、この話の中であたしが一番疑問に思ったのは、その沢田先輩が保健室に一人で来たって事。普通は体調不良の生徒がいたら、付き添いに保険委員が付いていくものでしょ。」


 実際に今朝は千夏と翠の二人で保健室に向かったのだ。

 「基本、どんなに症状が軽くても保健室には保険委員の付き添いなしに生徒一人で行くことってないのよ。例外があるとすれば、保険委員がお休みしてる時に付き添いなしで保健室に迎える位の軽い症状の場合、それとその軽い症状をが訴えた場合。」

 確かに辻褄は合うように思える。この場合、仮に保健室にやって来た沢田先輩がかの有名な書道部の先輩ではなかったとしても、保健委員であるのなら、林先生に名前を覚えられていても不思議ではない。


 「だったら、何で翠の名前は覚えて貰えてなかったのかな。」

 当然の様に千夏から疑問が上がった。

 「しょうがないよ。うちのクラスってさ、みんな健康優良児でしょ。あたし保健室に行ったの今回が2回目だよ。」


 屈託のない笑顔を浮かべて翠が言う。確かに月に一回の割合で各種委員会の集まりがあり、その時に話し合った内容は、夫々の学年代表が後で改めて林先生に報告に行っている。

 「沢田先輩って2年生の学年代表だからね。いくら林先生でも絶対に覚えてるに決まってるわ。」

 翠は、あたしは学年代表じゃないしね、と笑いながら付け加えた。

 「でもそうなると、『保健室の沢田さん』はやっぱり書道部の沢田先輩じゃなかったのかな」

 「何よ、そのトイレの花子さんみたいな呼び名。」


 話がまた奇妙な方向に逸れかけている。司は方向修正のため二人に声を掛けた。

 「書道部の沢田先輩のフルネームは『沢田 文子』って書いてたと思うけど、合ってるかな。」

 司がノートに書いた文字を見て、二人は「うん、正解」と言いながら頷く。

 「なら、この『沢田 文子』の読み方は?」

 司にそう聞かれて、千夏と翠の二人は、隙を突かれたような表情になった。沢田 文子という文字だけで彼女の名前を把握していた事に思い至ったのだ。

 「え、『さわだ ふみこ』じゃないの?」

 恐る恐るといった感じで千夏が言う。

 「じゃあさ、保健委員の沢田さんのフルネームはどう書くの。」

 同じようにノートに沢田と書いた後、司は翠に尋ねた。

 「・・・ごめん、実は知らないんだ。ただ、同じ学年の人からは『さわださん』とか『あやちゃん』って呼ばれてるのを聴いたことがある。」

 翠は普段から、それ程積極的に保健委員として活動していないことがバレてしまったような気がして、苦笑しながら答える。


 翠の話を聞いた司は、先ほど書いた沢田の後に『文』の文字を書き足した。

 「え?」

 ポカンとなる二人。司が話しを続ける。


 「もしかしたら『文』だけじゃなくて『文子』と書いてあやこかもしれないね。もしそうなら、あやちゃんって呼ばれてたとしても違和感ないし。」

 「・・・・・・・・。」

 「保健委員の沢田先輩って何か部に所属してるの?」

 「・・・・、知らない、訊いてない。」 

 「それと、二人とも先輩の名前を『ふみこ』って読んでたみたいだけど、それって誰から聞いたの。」

 「・・・・聞いてない。」

 「文字を見て、そう思い込んでた。」

 「そうなんだ、思い込みって怖いよね。」

 司は初見の時、二人の名前について千夏の事を「ちか」と思い込んでいた事や、翠を「すい」としか読めず困惑していたことなどおくびにも出さない。


 「え、ちょっと待って、つまりオタ君が言いたい事って、保健室の沢田さんは書道部部員であり、なおかつ保健委員でもあるってことなの?」

 急き込むような感じで千夏が司に聞いてくる。


 「その可能性もあるって事。はっきり確定は出来ないけどね。ただ、僕がここで言いたいのは、そういうことじゃない。」

 「ああ!」

 「何だか頭の中こんがらがってきた!」

 まるでシンクロしたように、二人で頭を抱えて机に突っ伏す。


 「今回はここでいくら考え込んでも無駄だって事。」

 司の出した結論に、千夏と翠はお互いに顔を見合わせる。


 「結局さあ、個人情報の確定よりも先に、保健室の沢田さんに何も問題がないことを祈って上げるべきなのかもね。」

 「確かにそうよね。」

 「でも、気になるなあ。やっぱり直接林先生に聞きに行くしかないか。」

 「でもさあ、用事もないのに保健室に行く訳にもいかないし・・・。そうだ、千夏。明日の朝もう一回食パン咥えて走って来てよ。」

 「え、なにそれ・・・。」

 「ちょっと翠、あなた何言いだすのよ!」


 その後暫くして、読書部の活動中に腹痛を起こした司が、同じ部員の千夏と翠に付き添われ保健室に向かう事になった。

 その際、付き添いの女子二名は、林先生からについて、特に心配するほどの事がなかったと聞かされて、ホッとするのだった・・・。





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