第22話「責務両断」
余程注意深く見ていたか、俺がいる可能性を事前に考えていなければ、そう簡単に気づくことはできないはずだ。
仮に、推測だけで声をかけてきたのだとしても、この人の豪胆さは確かなものがある。
「一つ、聞いていいか?」
「なんだね」
デスクを挟んで、俺は川崎父を見据えた。
「俺のことを事前に知っていたな? 誰から聞いた」
「さて。わからんね」
「……そうかよ」
ごまかすか。……言えないのか、言いたくないのか。
真意はわからないが、まあいい。今それはさほど大事なことではないからな。
「で? いいのかよ、放っておいて」
視線でドアの方を促すも、川崎父は難しい表情を見せるだけだった。
「今、あいつに必要なのは悔いる時間だ」
「……悪いが、雅之が悔いるとは俺には思えないな」
「耳の痛い話だ」
現実問題、跡取りがいなくなっては困るんだろう。
悔いさせたいというより、悔いられるように成長してもらわなければ困る。というのが、本心なんだろうな。
「君もわかるだろう。実の妹を道具のように扱う人間に、人はついてこない」
それは、確かにそうかもしれないが……。
「そんなまっとうな発想で、財閥運営がやっていけるのかよ」
「いいや」
川崎父はわずかに遠い目をした後、続けた。
「だがね、根底に確かな人間性を備えていなければ腐るだけだ。腐ったみかんを箱の中に放置するわけにはいかないんだよ」
「……まあ、そうだろうな」
「真と情と律をもって行動し、日本の根幹となる責務を負うことを矜持に、時によっては人を欺く。それができなければ、後は継がせられない」
「……そうか」
高い志だが……それを行動で体現できるようになるのは、並大抵の精神力では難しいんじゃないだろうか。
「愚息がああなってしまった原因の一つは私なのだろう。責任を問われるなら、家の名誉に傷がつかない範囲でなら応えるつもりがある。言い訳もしない。君にかけた迷惑のぶんは、私個人が対応できる範囲で補填させてもらう」
「……」
それがこいつなりの誠意ということなんだろうな。
俺が川崎千夏にとってどういうポジションの人間かをどこまで把握しているかは知らないが、ここまでのやり取りを黙って見せたのは、俺への謝意だったってわけか。
だがな……。
「あまり俺を馬鹿にするなよ?」
「……どういう意味だ。私個人の謝罪では納得できないと言いたいのか?」
「ちげぇよ。俺は俺の意思で勝手にやっただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。謝罪をされるいわれもなければ、感謝されるいわれもない」
「……ふっ」
川崎父は力が抜けたように、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「青いな。そうやって、自分で背負うことを美徳とするのは結構だが、その生き方は報われないぞ?」
「説教か?」
「いいや。大人からの忠告だ」
「……余計なお世話だ」
「だろうな」
どうにも食えないおやじだ。とはいえ、当初のイメージよりは話せる奴である気もしてきた。
「なあ。もう一つ、聞いてもいいか?」
「答えられる範囲なら応じよう」
「ああ、それで構わない。川崎……いや、娘をどう思ってる」
「どうとは?」
聞いておかなければならないだろう。
川崎から聞いてい父親像と目の前の人間はズレがあるように思えてならない。
どこかですれ違いがあったのだとすれば、是正できるに越したことはないはずだ。
「あんたは以前、使い手であるから政略結婚にすら使えないと、
「……ああ」
言い訳もなく、認めるんだな。……つまり、事実なのか。
「なんでそんなことを言った?」
「軍務に身を置くことが決まっているんだ。余計な雑念を抱かせるのは得策とは言えない。ただでさえ国防のために身を粉にしなければならないというのに、家のことまで懸念を抱かせるのは悪手だろう」
言いたいことはわかる。わかるが……だからと言って、それをストレートに伝えることが川崎のためになったとは到底思えない。
実は本音を隠しているんじゃないか? どこかで考えてしまった可能性に、無理やり蓋をしようとした結果なんじゃないか?
そう。例えば、だ。
「お前、本当は娘に家を継がせたかったんじゃないか」
「……」
川崎父は黙り込むと、眉間にしわを寄せて、しばし考えこんでいたが、次いで深いため息を漏らした。
「千夏は純粋で優しい子だ。家を継がせるのは酷というものだ」
「どういう意味だ」
「本人も忘れているようだが、あの子は昔、非常に活発で優秀だった。雅之よりも幼少期はお転婆だったんだ。だが、それが雅之は気に入らなかったんだろうし、親類は使い手として生まれた千夏を冷遇したんだ。結果、あの子はその空気を読んで、それなりの成績しか残さないようになっていった」
「……」
ノーシーボ効果か、それに類するものだろうな。
実際、川崎はできるはずのことも失敗するときがある。極度に自信がないともいえるが、そんなレベルじゃない刷り込みがされていたってことだろう。
「千夏にとって、この家の環境はただの足かせでしかない。……妻も、親類の重圧に耐えかねて一時期は精神的に病んでしまった。今は回復しているが、もう、自分の意見一つ、私の前でさえ言ってくれなくなったんだ」
川崎には、そうはなってほしくないと、言外に言っているのが伝わってくる。
確かに、財閥家の環境はあまりにもハードだろう。周りの視線も、精神的圧も、俺が想像できるレベルをはるかに凌駕しているのかもしれない。
けどな。川崎はそこから逃げたいとは言わなかった。川崎家の娘として誇りをもって生きようとしている。
……なのに。
「あんたのそれは、都合のいい言い訳にしか聞こえねぇよ」
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