第5話「彷徨う心」
お昼を終えた後、渚紗は直美に車を出してもらい一旦実家へ戻った。部屋着を持ってくると言っていたが、まだ居座るつもりなのか。
川崎は、さすがに制服だけというわけにはいかないということで、沢渡が持ってきた洋服を貸してもらうことになり、岸家へと行った。
そんな中で俺は春花とともにリビングでくつろいでいる。
ソファーに座り生徒手帳を眺めていると、春花が俺の二の腕にくっつきつつ、こちらを見上げてきた。
「真輝」
「なんだ?」
「大丈夫なの? 千夏ちゃん」
「さあな。俺にもわからん」
昨日、風呂に入ったときにあらましは伝えた。
春花のことだ。川崎たちがいるときはおくびにも出さないが、実際は相当心配しているに違いない。
「山下が動いてんだ。俺たちは待つ以外やりようはないだろ」
「まあ、それは確かにそうなんだけどね……。なんか、嫌だよね」
「なにがだ?」
「だってさ、例えば真輝と別れて別の人と結婚しろって言われたら、私、嫌だもん」
「そうか」
春花も川崎ももう年齢的には結婚できるんだよな。俺だって、あと一年もせずに結婚可能年齢になるんだ。
「なあ、春花」
「なに?」
「俺達も結婚するんだろうな」
「……うん。そう、できたらいいよね」
落ち着いた返答は、予想外だった。
ふと春花の顔を見ると、どこか儚げに笑っていて…………わかってしまった。
いつ死ぬともわからない自分が俺と結婚したら、人生を縛る鎖になるとか、どうせそんなくだらないことを考えているんだろう。
「春花」
「ふぇ?」
俺は、春花の肩を抱き寄せた。
「形で何かが変わるわけじゃない。それでも、法の下認められる形を残せるってのは、きっと大事なことなんだ。だから、素直な想いだけで決断してくれ」
「……うん。ありがと」
春花の頭が俺の肩に乗せられる。それ以上の答えはなかった。それだけ、大事なことだからだ。
結婚をしないわけがないとお互いに思っていても、軽く決断することなどできはしない。
そう。結婚は、家と家との結びつきだ。それは、その家の歴史とそれをつないできた俺たち子孫が次代につなげていく重要なつながりだ。
素直で強い想いの元、納得のいく形がいいに決まっている。少なくとも俺は、そう思う。
……川崎のこれは明らかに違う。俺から見れば、ただの見栄と虚勢に他人の人生を巻き込んだ挙句、家の格までも下げかねない愚行にしか見えない。
「山下も、いい加減覚悟を決めろよな」
口を突いて出たつぶやきに、春花は頬を膨らませつつ何度も頷いた。
「全くだよ! 覚悟が足りないね、山下君は!」
「本当にな」
そうこう話しているうちに、玄関から物音がした。沢渡と川崎が何やら会話している声が近づいてきて、リビングへと入って来る。
「ただいま」
「も、戻りました」
見れば、川崎は親から借りたのかと疑いたくなるくらい体格にあわない白いTシャツと、黒いハーフパンツを身に着けていた。
沢渡も決して長身ではないが、川崎と比べたらその差は歴然だ。仕方がないだろう。春花や直美ではさらに体格が違いすぎるので、他に選択肢もないからな。
……渚紗では、逆の意味で着られないだろうしな。
「さて」
俺は立ち上がると、川崎を目をまっすぐ見つめた。
俺に何を言われるのか察したのだろう。川崎はすぐに視線を逸らしやがった。
「はぁ……。沢渡、お前は宿題の消化でもしろ」
「え? な、なんでいきなり?」
そうあからさまに嫌そうな顔をするなよ。
「お前、去年も夏休み終わりギリギリに、半べそかきながらどうにか仕上げたじゃねぇか」
「で、でもさ、ほら。今年はもう半分くらい終わって――」
「それも、俺が言って無理やりやらせたからだろうが」
「う……」
「春花。見てやってくれ」
「はーい!」
春花は立ち上がると、沢渡の肩を掴み、そのまま廊下へと連れ出していった。宿題をとりに岸家へととんぼ返りだろう。
何はともあれ、これでこの場は俺と川崎の二人きりだ。
「川崎」
「……はい」
「聞かせてくれるな?」
「……わかり、ました」
うつむき気味に気まずそうにしている川崎には悪いが、協力する以上は、本人の口から聞けることは聞いておきたい。
万が一、食い違いや勘違いがあったときに、それが重大なミスを誘発する恐れもあるからな。
「ここでいいな? 座ってくれ」
「は、はい」
俺に促されるまま、昨日山下が来ていたときと同じ場所に川崎が座ったので、俺も同様に右斜め前の二人がけのソファーに移動し、腰を下ろした。
「それで? 少し前に聞いた時は、お見合いをするって話だったじゃねぇか。いつの間に結婚が決まったんだ」
「じ、実家に帰ったら、そう言われて……」
「見合いはしたのか?」
「し、してません……。でも、ああいうのはあくまで形だけで、結婚は事前に決まっていることが多いみたいで……」
財閥では暗黙の了解なのかもしれないけどな、知らねぇよ。
「……まあいい。それで? 結婚が嫌で飛び出してきたってのは間違いないか?」
「……はい。こんな形で結婚するのは、嫌だったので」
まあ、そうなんだろうな。
「お前も財閥の娘だろ? 過去はどうあれ、家のためにという気持ちはないのか?」
川崎は肩をピクリと震わせると、思いつめた表情で口をぎゅっと引き締めた。
「なくは……ありません。でも、こんな形は嫌なんです」
「こんな形ってのは?」
「私怨で結婚させられるようなのは、違うと思います。家の為だというのでしたら、もっと納得のいく形でないと嫌です」
「どうしたら納得できるんだよ? 相手の家柄か? それとも事前に細かく説明されていたらいいのか?」
「それは……」
川崎の視線が彷徨う。本当は、山下が好きだから、というのが理由のほぼすべてなんだろうな。
俺にああ聞かれたから、とりあえず受けの良さそうな言葉を選んでみましたってところだろ。
「なあ、川崎。こんな行動を起こすくらいなら、なんで嫌だとはっきり言えない」
「そ、それは……」
「親はお前を家のために矜持を持つようには育ててこなかったんだよな? つまり、今までは脇に避けていたくせに、都合のいい時だけ使おうとしてるってことだ。それは、お前をなめているからじゃないのか?」
「っ……」
悲痛そうな表情を見せるが、このくらいは言わなければ気が済まなかった。
俺はお前に言ったはずだ。山下に話してみろって。だが、実際は話もせず、これだけの騒ぎになる行動を後先考えず起こしたんだ。
俺も山下も、いうなればその尻拭いに奔走させられている。事前に話してくれていれば、少なくとも後手に回らずに済んだはずなんだ。
言いにくい話だったのは分かる。だが、言わずに行動を起こしてしまうこいつには、多少きつくても言ってやらなきゃダメなんだ。
じゃなきゃ、また何も言わずに大胆な行動をしかねない。
大事なのは意思疎通と、腹を割って話すことだ。それができなけりゃ、何かを理解してやることも、動いてやることもできるわけがないんだからな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます