第4話「お昼の前に」

「あ、兄……ですよね? いま、の……」

「さあな」

「でも……」

「気にするな。大丈夫だ」

「……。……はい」


 川崎はシュンと肩を落とすと、うつむいてしまった。

 だが、本当に大丈夫だ。あえて忠告の電話なんかかけてくるあたり、裏から手をまわして捏造しようとたが上手くいかなかったんだろう。


 もしくは、山下が何かしら動いているのに気づいて、別ルートから崩そうとしたか……どちらにしろ、やり方がずさんすぎる。あれでは、よほどの馬鹿以外は引っかからない。


 通話のやり取りを知らないからか、渚紗も不安そうにこちらを見ていた。お前の兄が上手くやるのを待つしかないさ。

 どこか空気が重くなっていた。だが、そんなことなどお構いなしにぶち壊してくるのはいつもこいつだ。


「やっほーっ! 帰ったよん!」


 そう、直美だ。リビングに意気揚々と飛び込んできたが、タイミングはばっちりだったな。

 簡単なTシャツとマムジーンズという実に動きやすそうな格好をしている。


「あり? どうしたのさ。なんかあった?」

「いいや。それより……」


 白いワンピース姿の沢渡が、大荷物を両手に持って入ってきた。

 すべて食材だとすれば、一週間はもつ量だ。


「うぅ……重いですよぉ」


 涙目だが、使い手であればその程度難なく運べるようでなくては困る。

 というか、本当は言うほどきつくはないだろう。


「沢渡。買ってきたものを必要に応じて冷蔵庫に入れておいてくれ」

「……え。だって今、さんざん振り回されて、全部荷物持って――」

「冷凍庫に入れるものを優先してくれよ。野菜室は、傷みづらいかを気にして入れる順番を考えて――」

「い、いやいや、桐原君ちょっと待って! 私にそれはさすがに荷が重いよ!」

「この時期、牛乳はドアポケットに入れないでくれよ? 開閉のたびに温度が上がるから傷みやすいんだ」

「いやいや、話聞いてよ。無理だって……わかんないってぇ……」


 沢渡お前、それ言ってて悲しくならないのか? 生活力ないって言ってるようなもんだぞ。


「あ、あの……」


 俺の横でおずおずと手を挙げたのは川崎だった。


「私、手伝いますよ?」

「私もやるわ!」


 渚紗もなぜかノリノリだ。

 まあ、そうだな。川崎はしっかり一人暮らししているようだし、任せて大丈夫だろう。


「沢渡。川崎によく教わるんだぞ」

「うぅ……雑用ばっかり……」


 沢渡はぶつくさと文句を言っていたが、とぼとぼと冷蔵庫へ向かっていった。川崎と渚紗も続く。

 後姿を眺めつついると、直美が俺の横へやってきた。


「なお坊。そろそろ、細かいこと教えてくれても良いんじゃない?」

「……ああ」


 別段これは、俺と山下だけでどうにかしなければならない話じゃない。

 川崎が知られたくない可能性も考慮したが、大して関りがない直美に知られたところで、どうということはないだろう。


「直美。場所を移そう」

「おっけー」




 春花がまだ寝ていることを考慮し、俺と直美は川崎たちを泊めている、両親の元寝室にやってきた。

 直美がそのままベッドへと腰掛けたので、俺は部屋の端にある化粧台の椅子に座る。


「で? 教えておくれよ」

「一応言っておくが、俺もそんなに詳しくは知らないぞ」

「そうなのかい? まあ、私よりは知ってるでしょ。何も知らないのは気持ち悪いからねん。教えてくれよ」

「ああ。川崎から聞いた話なんだが――」


 そうして俺は、知っている限りの事情を直美に話した。

 川崎が言っていた内容はもちろんのことながら、昨日山下の口から語られたあらましについてもだ。

 俺が話し始めてすぐ、直美の表情は曇りはじめ、先ほどかかってきた電話の内容まで話し終えた時には、珍しく怖い表情をしていた。


「なお坊。さすがに、財閥の人間とは言っても、おいたがすぎる気がするねぇ……」

「ああ。一応確認しておくが俺が警察の厄介になる可能性は――」

「ないよ」


 即答か。まあ、そうだろうとは思っていたけどな。


「なお坊もわかっていると思うけど、こんなことで警察は動かない。まあ、財閥系の人間から圧力かけられれば、軽犯罪とか何かがあれば、無理やり勾留するくらいはするかもしれないけどね」

「なんだよそれ」


 横暴にもほどがあるだろ。


「世の中、そんなものなんだよ、残念ながらね。ただ、警察だって馬鹿じゃない。国防省に喧嘩を売っていい案件かどうかくらい、判断つかないわけないよ」

「そうか」


 なんとも釈然としない感じはするが、とりあえず目先の問題はないということだろうな。


「なお坊もわかってるとは思うけど、下手に慌てて動いても相手の思うつぼだよ。後は、相手の出方を見てじゃないかな?」

「ああ、そうだな」

「何か力になれそうなことがあったら、言ってくれよっ」

「ふっ……ああ、頼む」


 直美は白い歯を見せつつ、得意げに笑った。なんだかんだと頼りにしちまってるな。いい姉って感じだよ、本当に。


「ん?」


 廊下にどたどたと騒がしい足音が響き、続いて、


「真輝ー? どこぉ? お腹すいたんだけどなぁ~」


 俺は立ち上がると、部屋のドアノブに手をかける。


「なお坊。恋人って言うより、お母さんだね」

「さあな」


 どうなんだろうかね?

 ドアを開けて廊下に出ると、左手にある階段をちょうど降りようとしている春花の姿があった。


「おい、春花」

「あ! 真輝~」


 俺に気が付くと、相変わらず裸のまま、日本人とは思えないサイズの胸部を跳ねまわらせつつ俺のほうへと駆け寄ってきて、抱き着いて来た。


「えへへ、おはよう」

「ああ。……今日は服着ろよ?」

「えぇ~? なんで?」

「川崎と山下の妹がいるだろ? 昨日も風呂出た後ふらふら裸でいたのを見て、目を彷徨わせていたからな」

「? 女同士なのにね。変なの~」


 まあ、俺もそうは思うがな。

 最近知ったが、自宅でも服を脱ぐ奴は少ないらしい。

 俺は体温調節程度に思っていたし、春花の前以外で裸になる機会も少なかったから、気にしたこともなかったけどな。


「ま、とりあえず何か着ていればいいだろ。暑いしな」

「だね~」


 春花は俺の部屋へとそのまま向かっていった。

 俺はどちらかというと、春花の後姿のほうが好みだ。白い背中に黒いポニーテールのコントラストが透き通るような肌を際立たせている。

 ウエストから臀部へと対極の曲線をなし、ハリがあって垂れることないその柔らかな丸みは、淡い光が沿うようにこれでもかと存在を主張していた。


「なお坊って、尻フェチだよね」


 急に後ろから話しかけられた。振り返ると、直美がニヤニヤしてやがる。


「……変なこと言ってると、飯抜きにするぞ」

「えっ!? そんなご無体なぁ~」

「さ、行くか」


 俺はそのままリビングへと向かった。いい加減、飯を作ってやらなければならないからな。

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