束縛未来のカタストローフェⅧ 未来への指標編
プロローグ
群馬府高崎市塚沢区岩押町にそびえたつ二七階建てのビルは、特徴的な黒御影石の柱列と強化ガラスの外壁により、存在感を見せつけていた。
その二六階の北側フロアの廊下には、軍服姿の青年の姿があった。襟章の配色から将官だとわかるものの、そこに星は一つもない。
日本陸軍において、この准将という階級に位置する者は一人しかいなかった。
そう、桐原達城である。
達城は磨かれた石材の床を踏みしめ、白とグレーのツートンでデザインされた通路を進んでいく。
廊下の両側には関連部署のプレートが並ぶが、目的の部屋はその奥、突き当りにあった。
黒檀調の重厚な合成材でできたドアには、国連エンブレムと日章旗のプレートが配置されており、上部には支部長室とある。
達城はドアの前へと立つと、二回ノックした。
「達城です」
「ああ、来たか。入ってくれ」
「失礼します」
入ると正面には重厚な執務机があり、そこに座る白髪の中年男性――沢渡和重が、達城にニコリと笑いかけた。
「かけてくれ」
「はい」
淡いベージュの床を数歩歩かなければ、応接用の黒革のソファーにたどり着かない程度には、室内は広かった。
達城が腰掛けてまもなく、高級だと一目でわかるスーツに身を包んだ沢渡が、資料の束を手に、低めのガラステーブルをはさんで向かいのソファーに座る。
「支部長。それで、用件というのは? 直に話があるなんて、珍しいじゃないですか」
「まあね。……最近の複数同時発生や、出現数増加の話は聞いているだろう?」
もちろんそれは、特殊害生物の話である。
達城は少し目を伏せ考えてから、顔を上げた。
「……さらに悪い知らせ、ということですね? まさか、新たな適応種ですか?」
「その通りさ。これを見てくれ」
沢渡から渡された資料の束に達城が目を通し始めると、沢渡は続きを話し始めた。
「その資料は、主に北多摩群付近で不規則発生した際に紛れていた個体に関する分析結果だよ」
「立川工場近くであった発生ですね?」
「そうさ」
春花も戦場に出ており、横山を助けた一件もあった、あの戦闘のことであった。
達城は資料を読み込むうちにその内容に目を見開き、表情は驚愕で歪んだ。
「亀裂のない場所から……特殊害生物の出現が、確認……されたっ」
「厄介な話だよ」
特殊害生物の対処が迅速に行えている背景には、空間の亀裂――つまり、特殊害生物発生地点がセンサーにより検知できることが大きい。
だが、その亀裂が発生しないということは、特殊害生物の出現を今までの方法で事前に知ることができないのと同義であった。
「支部長。以前の適応種はメタマテリアル外皮による量子干渉膜をもつ個体でしたよね?」
「ああ。あの外殻は電磁波と重力波を遮蔽して探知を潜り抜けてきた」
適応種という名は、一部の人間しか知らない。周知されることで混乱を引き起こす可能性があるからと、隠されているのだ。
だが、特殊害生物の中にも、こちらのやり方に適応し、対応してくる種が一定数出てきていた。
「ですが確か、前回のは出現そのものは探知できましたよね?」
「亀裂は発生したからね」
「……でも、今回はしないと……。どういう原理なんですか?」
「細かいことは書類に目を通してほしいが、興亜の解析によれば、膜構造の位相を滑走するようにしてこちらへ侵入している可能性が高いとのことだ」
「なるほど……量子トンネルのようなものですね?」
「そう解釈してもらって構わないよ」
厄介なのが現れた。達城は苦虫をかみつぶしたように資料に目を走らせていく。
沢渡はそれに補足するべき情報を続けた。
「助かっているのは、出現件数が少ないという点だ。通路が亀裂程大きくないから、現状では入ってこられる数やサイズに限りがあるのだろう」
「……ですが、いつまでもそうだとは限らない。ですよね?」
達城の問いに、沢渡はゆっくりと首肯した。
「対応はどうされる予定で?」
「まだ決め切れていない……というより、手が見つかっていないんだ。混乱を避けるため、伝達も最小限にとどめる。旅団長の清水大佐以下には伏せる予定だ。まあ、それでも鼻がいい別班は直ぐに嗅ぎつけてきそうだけどね」
「でしょうね。……つまるところ、私にも対応策を考えるようにと、そういう話ですね?」
「そうだね。君の頭脳を借りたい。頼めるかい?」
「ええ、もちろんです」
「そう言ってくれると思っていたよ。資料は写しで君用だ。持って行ってくれ。ただし……わかっているとは思うけど、紛失は勘弁してくれよ? 漏洩を許容できる案件ではないからね」
「わかっていますよ」
達城は立ち上がると、資料を手に部屋を出ようとしたのだが、
「ああ、そうだ」
声に振り返ると、沢渡は窓ガラスから外を眺めていた。高崎市の街並みと、榛名山の稜線が遠くに見えるはずである。
沢渡はその視線をゆっくりと達城に向けた。瞳は、憎悪にまみれたものであった。
「自由に動いているようだが、その後どうだ?」
「と、言いますと?」
「グラースだよ。全容はつかめそうか?」
何を聞かれるのかと半ば身構えていた達城は、そんな話かと胸をなでおろした。
「ええ、順調です。ただ、もう少しお時間はいただくことになるかと」
「そうか。まあ、順調ならいいんだ」
「支部長。脱獄の件は耳に?」
どうせ話題が出たならと、達城は聞いておきたかった事柄を問うてみることにした。
「聞いたさ。まあ、あれは些事だろう。被害も軽微だし、大局で見れば思考を裂く案件でもあるまい」
「そうですか」
「だが……もしもの時は、本気でつぶせ」
「ええ、もちろんです」
達城は殺意のこもった眼差しで、返すのだった。
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