第56話「さようなら。永遠に」
大満洲国哈爾浜特別市にあるグラース満洲支部の地下三階に、北側通路を歩く達城の姿があった。
無機質な通路を進むその足取りは、せわしないものだった。
通路の最奥には鋼鉄製の扉があり、開くと、そこから怜奈が出てくる。苦々しい表情を浮かべつつ顔を上げた怜奈と、やって来た達城の目が合った。
「っ! 達城さん……」
気まずそうに視線を逸らした怜奈に対し、達城は目の前で立ち止まると優しい笑顔を浮かべた。
「怜奈君、ご苦労様。無事、任務を終えてくれたようで何よりだよ」
「いえ。ソフィーヤ・バユノフは……」
「ん? 逃したわけではないんでしょ? 高柳君たちの救出も完璧だったらしいじゃない。任せてよかったよ」
「そう、言っていただけて、ありがたい、のですが……」
怜奈はどうにも歯切れが悪かった。
何を口にするべきか逡巡した怜奈が、結果として発したのはソフィーヤのことではなかった。
「弟さんのこと、聞きましたか?」
「……うん。奪ったんだろう。クリストフ・シャルディニーの剣を」
「それだけではありません。再顕現……いえ、武器創造を土壇場でやりました」
「っ! ……本当、なんだね?」
「はい。それも、固有能力があるようでした」
「っ……」
達城は苦虫を嚙み潰したように顔をゆがめた。
「なんでだ。どうしてこうも……くそっ」
漏れ出てしまう達城の本心に、怜奈は何も言葉を発せなかった。
何もできない歯がゆさと、良い報告ばかりとはいかなかった作戦の結果に、怜奈自身納得しきれていない部分は多かった。
「達城さん。その……」
どうにか絞り出した怜奈の声に、達城はハッとして顔を上げると、ぎこちないながらも笑顔を作った。
「悪いね。冷静さを欠きそうだった。気にしないでくれ」
「いえ、その……」
「とにかく、よくやってくれた。しばらくは休息をとってほしい。お母さんも心配しているだろうし、テイラー君と英国に戻ると良いよ」
「はい。でも……」
煮え切らない怜奈の態度に、達城はつい拳を強く握りこんだ。
「頼む。今は休んでくれ。……頼むから」
「……。はい。わかりました」
「っ……。すまない」
怜奈の横を通り過ぎた達城が鋼鉄製の扉を開けると、冷気が一気に流れだし、鼻腔を刺す薬品と金属の匂いが混じった空気が広がった。
達城はそれを意にも介さず、中へと入っていく。部屋の上部には、遺体安置室と書かれていた。
内部に入ると、入口の脇に冷却警告灯が点滅していて、内部の温度が外気よりも十度以上低いことを示している。
室内は、白と灰色を基調とした無機質な空間で、壁には断熱材が貼られ、床は排液用の傾斜がつけられていた。
照明は最低限に抑えられており、蛍光灯の光が冷却棚のステンレス面に反射して、青白い光を放っている。
室内の中央には、ひときわ大きな冷却処置台が据えられていた。そこに一人、横たわる少女の元へ、達城は歩み寄った。
「……
ソフィーヤの胸元から足先までを覆うように、白い布が掛けられていたが、顔は露出していた。死後硬直が始まっていたため、表情はわずかに強張っていたが、目は閉じられ、口元も静かだった。直美の攻撃によりついた傷も、目立たないよう処置がしてある。
冷気で硬くなり、頬に張りつくように落ちた髪に達城はそっと触れた。そのまま、青白く血の気を失った頬へとゆっくり壊れ物に触れるように指先を滑らせる。
ソフィーヤの小柄な体格は布の上からでもわかる程度に、わずかに浮かび上がっていて、達城はその姿に自身の胸元を抑えると強く歯噛みした。
「どうして、こんな……なんで……」
その輪郭は、戦場を駆けた使い手のものとは思えないほど静かで、脆く映った。
「
静まりかえる室内に、空気を循環させるファンの音と蛍光灯の電流がわずかに唸り照明のカバーが冷気で収縮する音が鳴が小さく響く。
「……」
達城は黙ったままソフィーヤに背を向けると、ゆっくりと壁に向かって歩き、そして拳を突き立てた。
「くそったれがぁ! ふざけんじゃねぇよ!」
冷静な仮面が剥がれ落ちるような、心からの叫びだった。
「これじゃあ、真輝の才能に嫉妬していたあの頃と何も変わらないだろうが! わかっていて放置したんだろうが! 言い訳してんじゃねぇ! 僕が浅はかだったから、甘えで力を与えたから……だからこうなったんだろうが! ……全部、僕が……僕が原因じゃないかよ! ……くそっ」
達城は壁に背を預けると、脱力しながら床にへたり込む。
「くそぉっ…………。っ……なんで、こんな……」
泣き言が続きそうになったが、それを抑えるように達城は自らの唇を噛みしめ、顔を上げた。その視線の先には、ソフィーヤの横顔があった。
「その日の覚悟を忘れるな……。真輝も自分の能力を開花させ始めた……時間がない。もう、失敗は許されない。情に流されるな。僕は必ず、この世界を掌握する。使い手の力……そのすべてを手に入れて、僕が絶対の存在になる。そのために、こんなことで決意を鈍らせるわけにはいかないんだ」
まるで自分に言い聞かせるように、達城はそうこぼすと立ち上がった。
最後にソフィーヤの顔を一瞥すると、どうしても我慢ができなかったのか、口を開いた。
「
達城は振り返ることなく、鋼鉄製のドアを開けた。外に出ると、そこには怜奈の姿があった。
「……すまない。聞こえていたかな」
「いえ、何も聞こえてはいません」
「……そうか」
悲痛に歪む怜奈の表情は、その言が嘘であることを証明していた。
それを達城も理解しながら、あえて口にはしない。
「振り返るな。僕たちには、為すべきもののために進む以外の道はない。そうだろう?」
達城の落ち着いた平坦な口調に、怜奈はグッと表情を引き締めると、強い眼差しで正面を睨みつけながら返した。
「ええ。わかっています」
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