パブにて

@ashleynovels

第1話(完結)

 質素な服装をして、街に出た。この感覚は数ヶ月ぶりだった。


 この街は相変わらずの賑わいを見せている。


 パブについた。壁に寄りかかり、彼女を待つ。あたりには、同じように連れを待っているような人が多くいた。


 変装は彼女の方が得意だ。いつも、肩を叩かれないと、彼女が彼女であると認識できない。

「あ、やっと来た」

「!!」

 俺は驚きで体を震わせ、声のした方を見た。店の周りの群衆の中、右隣に立っていたのは彼女だったのだ。彼女は俺の反応を見て笑っていた。

「驚きすぎじゃない?」

「い、いや。隣にいたの、全然気づかなかったから」

 彼女は笑いを止めるのに必死なようだった。

「相変わらずおもしろい。中行く?」

 俺は頷き、彼女の後に続いてパブに入った。


 数ヶ月前と同じ程度の賑わい様だ。彼女が相変わらず青い缶を注文したことに、俺は安心感を覚えた。


 席に着くと早速、要件を話し出した。自分の仕事仲間が彼女を繋いでほしいというので、今日はそれを理由に彼女と会う約束を数ヶ月ぶりに取り付けたのだ。でも、俺は今さらながらに不安だった。彼女ほどに影響力のある人に、俺のたかが友達同然の仕事仲間を気安く紹介していいものか。失礼なやつだと思われてもおかしくないかもしれない。

 そんな思いと裏腹に、話をしている途中の彼女の顔色は明るいままだった。

「いいよ、もちろん」

 あまりの即答に、俺は驚いた。

「実は、私もあの子たちにずっと会ってみたいって思ってたんだよね。面白そうだから」

「本当に?」

 ああ、そうだ。前に会ったときから随分時間が経っていたから、俺は彼女のこういうときの寛容さ、柔軟さを忘れていた。

 彼女の中には、立場を弁えるという概念がない。自分の影響力や社会的地位は気にせず、会う人も、することも、全てを自分の軸で選んでいるようだった。

「じゃあ、そう伝えておく。また、時間や場所は相談しよう」

「うん」

 あまりにも要件が早く済み、俺は静かに驚いていた。それ以上に嬉しさが勝ることは、気づかないふりをした。

 沈黙が走る。彼女は缶を持ち上げ、グラスに注ぎ、じっくり味わうように飲んだ。その何気ない仕草さえ、彼女の洗練さを隠しきれていなかった。

「ここに来るの、久しぶりだね」

 俺は何気ないようにそう言った。

「そうね」

 彼女は目を逸らし、曖昧に頷いた。その表情からは、少しの罪悪感が滲み出ているような気がした。

「最近どう?……この前、パリに行ったって聞いた」

「そうなの。彼の家族に会いに」

「ああ、それでか」

「うん。そうね、最近は、もちろん自分の仕事に、彼のことも忙しいかな。一緒に仕事関係のパーティーに行ったり、家族付き合いしたりね。……あんまり街中で派手なことしたりいろんな人と関わってると、世間体が、とか彼に言われるから、自分1人の時間は静かに過ごすようにしてる」

 それを聞いて、俺は呆れた笑いを漏らさずにいられなかった。どうしようもない感情が湧いて、それを隠すように窓の方に目をやった。

 彼女が息を吐く音が聞こえた。

「……何?言いたいことでもあるの?」

「いや。……あの人と付き合うのは大変だなと思っただけ。こうやって自由に生き生きとしている姿を、あの人は知らないのか」

 彼女は少しの沈黙のうちに、ため息をつくように切り出した。

「ねえ、怒ってるよね、きっと」

「…………」

 俺は答えず彼女を見つめた。彼女は俺がどんな風に感じているのか、わかっていると思ったから。

「あの人と付き合い出して、全然私たちが話す機会がなくなったのはわかってる。友達として最低だよね。あの人が言うことを振り切って、堂々と会いに来るのが筋だろうって、私も思う。でも、この関係は、今の私にとって本当に必要なの」

 その確信めいた言い方に、俺は違和感を抱かずにいられなかった。

「そう思ってるのはわかってたけど、でもどうしてもわからない。なんで君みたいな人が、彼との関係にそこまでこだわる必要がある?」

「……私の今の事業の状況、わかるでしょ。彼や彼の家族の助けなしじゃ無理なの」

「君は今まで1人でやってきただろ。だったら、金持ちと恋愛することが唯一の再建の道じゃないなんてわかりきってるだろうに」

「わかったような口効かないで」

 彼女の声が少しきつくなった。俺は気まずさを消すためにテーブルから視線を逸らした。

「……でも、それよりも1番大事なのは、自分の自由を諦めてもいいと思えるほど、あの人のことが好きかってことだと思うけど」

 俺は小声で呟くように言った。

 彼女はしばらく沈黙したのちに静かに言った。

「私には彼と付き合う理由がある。それだけで充分だと思わない?」

 彼女らしい発言だった。

 それに対して俺は何も言わなかった。こういうときの彼女に何か言っても無駄なことは充分にわかっていたからだ。

 彼女の決断は、自然といえば自然なのかもしれない。今までの彼女も、目標のためになんでも犠牲にしてやってきたことは明らかだった。今回もその一例に過ぎないのだろう。

 でもこの違和感は、今回彼女が諦めているのが自律だということだった。自分軸で常に動く彼女が、どうしてそんな決断をしたのか。俺は考えるのをやめることができなかった。

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