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nako.

菜々子と浩司

第1話

「なぁ、その話全然おもんないねんけど」


 あまりにもバッサリ斬られたため、菜々子ななこは一瞬ハサミを止めた。


「別に面白い話として喋ってるワケじゃないし。『彼氏とはどーなん?』って聞かれたから」

「いやいや、それにしてもよ。てか、氷食べる派か食べない派かなんてどーでもええわ」


 平日の午前中。駅近の商業施設にとってオープンして間もない暇な時間。ファッション雑貨店の販売員である菜々子は、関西弁の同僚マユと店内のカウンターで新商品の値札作りをしていた。作業をしながら雑談をしているとマユから話を振られたので、先日のデート中に恋人の浩司こうじとの間で盛り上がったエピソードを語ってみたのだった。






 一昨日の話だ。休日に浩司とデートで映画を観て、その後カフェに入った。菜々子はホットのピーチティーを、浩司はアイスコーヒーを頼んで映画の感想などを話しながら時間を過ごしていた。

 会話をしながら浩司を見ていると、菜々子はあることに気が付いた。浩司はアイスコーヒーにストローを刺さず、そのままグラスに口を付けて飲んでいた。近年ファミレスやファストフード店は、環境問題の観点からプラスチックストローは希望しなければ提供しない傾向にある。そして、紙ストローは口当たりが悪かったりもするため、ストローなしで飲む人も一定数いる。浩司がそのタイプなのか、はたまた環境問題に配慮する思考の持ち主なのか、交際歴3ヶ月の菜々子にはわからない。ただ、自分はコールドのソフトドリンクには必ずストローを刺して飲むので『浩司はストロー使わない派なんだ』と気になっただけだ。それが良いとか悪いとかはなんとも思わない。

 そんなことに思考を巡らしていると、次はバリッ、ボリッ、という音が聞こえてきた。浩司は直接グラスに口を付けてアイスコーヒーを飲み、その際口内に流れ込んできたクラッシュアイスを噛み砕いていたのだ。


「浩司、氷食べてるの?」

「え、そうだけど」

「えー、氷食べる派なんだ……」

「なんだよ、なんか悪い?」

「別に……でもなんていうか、浩司って意外とオジサンくさいんだなーって」

「ええっ!? どこが!?」


 菜々子の父親も同じように氷を食べる派なのだが、それを母親に行儀が悪いと注意されているのを幼少期からよく目にしていた。そして菜々子もどちらかというと母親と同じ考えなのである。

 菜々子は勝手な偏見で浩司のことをスマートで都会的な好青年だと思っていた。だが父親と同じ行儀が悪いとされる癖があることを知り、僅かに幻滅した。思わず言及しようとしたのだが、楽しい休日デートの一コマで敢えて波風を立てることもないと思い、『オジサンくさい』というやんわりした指摘でやり過ごした。すると今度は浩司が『オジサンくさい』というワードに引っ掛かり、具体的にオジサンくさいと感じる行動はなんなのか、と話はすり替わっていった……というエピソードをマユに話したところ、『おもんない』という厳しい評価を受けてしまったのだった。




「関西人ってオチがない話に厳しいんだねー」

「オチっていうか……結局菜々子は彼氏に氷食べる癖気になるとか、やめて欲しいとか、なんも言わんかったワケやん? それ以上発展せんかった話聞かされてもどうリアクションしたらええんかわからんし」


 マユははっきりした性格だ。気になったり嫌だと感じたことは口に出すし、その上でこうすれば解決すると答えを出したがる。菜々子は別に解決を求めていないし、単純に話を聞いて欲しかっただけなのだが……こういうところで性格の違いによるもどかしさを感じる。所詮ただの同僚だと割り切ってはいるが。


「まぁ、別にええけど。どうせまた長続きしないんやろし」

「ちょっとそれ酷くない? そんなのわかんないじゃん」

「いやいや。ちょっとした違和感ですら指摘せずに有耶無耶にしてんねんで? そういうのもチリツモで、我慢出来んくなった時に爆発して喧嘩になるんやんか」


 ぐうの音も出ない。今までがまさにそうで、些細な事からすれ違いが起き、長続きせずに数ヶ月で別れてしまうような恋愛ばかりを繰り返してきた。きっとマユの言う通り、違和感が生じた段階で言える関係性を相手と築く方が良いのだろう。しかし菜々子は言い争いになり得る事を極端に避ける性格である。今回だってカフェで飲み物の氷を食べるのはマナー違反なのではないか、と発言する勇気がなかった。仮に発言したとして、頭のいい浩司を納得させるだけの話術は自分には備わっていないと判断してしまっていた。


「なんか……マユちゃんと話してると、グサグサ刺さること多いなぁ」

「ああ、気にしてんねやったらごめんやで? でも折角やったら長続きする方がええやんか。そしたらマッチングアプリ削除出来るんやし」

「まぁそうなんだけどね」

「大体長続きするか不安やから、削除せんとそのままなんやろ? その時点で半分無理かもって思ってもうてるやん」

「うっ、今のが一番ヤバい……致命傷」














 退勤後帰宅してからも、マユに言われた言葉が菜々子の頭の中を駆け巡っていた。


“折角やったら長続きする方がええやんか。そしたらマッチングアプリ削除出来るんやし”

“大体長続きするか不安やから、削除せんとそのままなんやろ? その時点で半分無理かもって思ってもうてるやん”





 菜々子は学生時代、どちらかと言うと地味な女子のグループに属していた。中学生の時も高校生の時も、好きな人は出来たとしても既にクラスの中心的な女子とカップル成立していて片想いで終わる……制服デートをするという小さな夢が叶うことはなかった。

 高校卒業後は短大に進学し、周囲の女子を参考にメイクやファッションを研究したりして“大学デビュー”を狙ったのだが、そもそも女子の比率が多い短大だったため、自然に出会って恋愛に発展する、という機会には恵まれなかった。マッチングアプリを使うようになったのはそんな背景からである。

 マッチングアプリを使うようになってからは、恋愛がスタートするまでこんなにも展開が早いものなのかと驚いたものだ。“自然恋愛”だとお互い意識し合うキッカケが必要だし、交際に発展するまで時間もかかる。その点マッチングアプリで出会った場合、双方ある程度やる気があるのだからそういったことはショートカットされるのだ。最初はこんなにも駆け足で大人の女性になっていっていいのだろうかと不安になったものだが、そんな感覚は徐々に薄れていき“ファストフード的恋愛”に慣れていったのだった。


 菜々子にとって初めての彼氏はマッチングアプリを介して知り合った10歳年上の男だった。当時短大生だった自分でも耳にした事がある大手企業に勤めていて、爽やかな好青年……のように見えていた。デートで食事をすれば自分がトイレに行っている間に会計は済ませるし、常に落ち着いた雰囲気で接してくるので、大人の恋愛をしているような錯覚に陥っていたのだろう。

 この頃菜々子は男から、さりげなく自分好みの女に変えられていることに気付けていなかった。もっと派手で華やかな見た目の方が好きだと言われたら、その通りに服装やメイクも変えたし、性的なことの要求にも彼が喜ぶのなら、と応えていた。しかし彼のスマホをこっそり覗き見してしまった時、彼には自分と同じような女性が複数人いることが判明した。彼にとって菜々子は“彼女”ではなく、ただの“ヤリ目”のうちの1人だったのだ。菜々子が問いただすと男は開き直り「じゃあ終わりにしよっか」と言い残し去ってしまった。


 初の恋愛体験が苦く惨めなものだったので、菜々子は悔しさから早く次の相手を見つけようとまたマッチングアプリを開いた。それからはもう滅茶苦茶で、1ヶ月や2ヶ月で別れてしまう、酷い時は数回会って身体の関係だけ、というようなこともあった。そんな菜々子を“ヤリマン”だと影で噂する同級生もいて、その誤解を受けたまま短大卒業を迎えることになった。

 一体どうしてこうなってしまったのか。ただ“心が満たされる恋愛をしたい”だけなのに、何故かそれが上手くいかない。自己分析する限り、我儘わがままでもなければメンヘラでもないから、自分の性格上の問題ではないとは思いたい。が、以前マユに「男にナメられてるんやで、チョロい女やと思われてんねん」と言われたことがある。そして今日の勤務中に指摘された“違和感を放置しがち”な性質であること……。それを改善すれば、長続きせずにまたマッチングアプリに頼るというゲームの周回プレイみたいな状態から抜け出せるようになるのだろうか。


「私だって、早く『コイツ』から卒業したいよ……」







 小さく呟いたその時、「ピンポーン」とインターホンの音が鳴り響いた。菜々子は我に返り、急いで玄関の方へ向かった。


「ごめんな、遅くなって」

「大丈夫、下準備してたから。残業だった?」

「まぁ、そんなとこ」


 訪問客は浩司である。仕事終わりに菜々子の家に立ち寄り、一緒に夕食を取る約束をしていたのだった。

 菜々子は部屋で寛いで待っているよう伝えたが、浩司はかばんを置くと菜々子の後を追ってキッチンまでやって来た。夕食の準備途中の光景を見ながら何処か楽しそうな様子。以前自炊は全くしないと話していたので、きっと物珍しいのだろうと菜々子は思った。


「何作ってんの?」

「今日はハンバーグ。今玉ねぎみじん切りにするところ」

「へー、自分でみじん切りにするんだ。偉いじゃん」

「出来るよぉ、これでも子供の時から結構親の手伝いしてたんだからね」

「いや、あれだよ? 意外と料理出来るんだねっていう意味じゃなくてさ、最近は便利な調理器具あるじゃん。取手グルグル回したらみじん切りになるやつとか……」 


 そう言って浩司は、自分の誤解を招いた表現について必死にフォローをし始めた。自分なら自炊で面倒な工程は便利な調理器具に頼るけど、菜々子はちゃんと自分でやっていてすごいね、家庭的なんだね、という意味だったんだと熱弁している。そんな浩司を菜々子は「わかった、別に怒ってない」と言って熱冷ましをするのだった。

 浩司は菜々子より4つ年上のウェブデザイナーだ。普段から理系的な性格で、全てにおいて効率重視である。そしていつも理詰めするような口調で話すため、菜々子は度々何処ぞの論破王とディベート対決をしているような気分になる。それが面倒臭いと感じるのも事実なのだ。


「怒ってないとしてもイラッとはしたんじゃないの、正直」

「そんなことないですー」

「本当に? 語尾強いけど」

「してないってば。してるとしたら、この瓶が開かないことにイライラしてる」

「えー、じゃあ貸してみ?」


 浩司は菜々子から開封前のトマトソースが入った瓶を奪い、軽く捻って開けた。その瓶を受け取ると、菜々子は少し照れながら料理を再開する。


「……ありがとう」

「俺、役に立った?」

「うん……テレビ観ながら待ってて」

「はーい」


 単純過ぎるかもしれないが、女性の握力では中々開けられない瓶などを男性が軽々と開けて渡すというのは、太古の昔から胸キュンなシチュエーションなんだと相場が決まっている。それに浩司は、多少理屈っぽい部分はあっても女性のご機嫌を取るのは上手いのだ。菜々子は今までマッチングアプリを介して付き合ってきた男の中でも、浩司は現時点での優良物件第1位だと思っている。それほど年が離れている訳でもなく、職業的にも将来性がある。この優良物件を手放さないようにするには、やはり菜々子自身が一歩を踏み出すべきなのだ……。


「ねぇ、浩司。そういえばこの前カフェでさ……」

「え、何?」


 菜々子が料理の手を止めて振り返ると、ちょうど浩司が冷蔵庫から飲み物を取り出し、グラスに氷を入れるところだった。製氷機の中の氷を、浩司は素手で掴んでグラスに入れていた。氷用のスコップがあるのにも関わらず。


「何、どうしたの?」

「……何でもない。もうちょっと待っててね」


















「あ、これブルーなくなってるやん……。在庫ってまだある?」

「あー、それはある。私ちょうど裏行くから取ってくるね」

「ほんまに? ありがとうね、菜々子」


 翌日の勤務中、菜々子は商品の補充のためにバックヤードへ向かっていた。なんだか今日は常に動いていたい気分なのだ。


 昨夜のことが頭を過ぎる。浩司と長く付き合っていくためにも、もっと自分の意見を言えるようになろうと決意したのに。早速その決意が揺らいでしまった。

 何故あの時「素手で氷を触らないで」と言えなかったのだろうか。一般的に考えて不衛生だと思うし、指摘するべきことなはずだ。だが浩司の表情からは全く悪気が感じられず、自分がマナー違反をしているだなんて微塵も思ってもいないのだろうと読み取ってしまった。そうして違和感は全て喉の奥に詰まらせたまま、その後の時間を浩司と過ごしたのである。


「はぁ〜、なんで言えなかったんだよ私っ……」


 悔しさやもどかしさのあまり、ブツブツ独り言を呟きながら補充商品をピックアップする菜々子。すれ違う同フロアの従業員はその様子を不審な目で見ているが、菜々子は気付いていない。

 そもそも何で浩司はあんな好青年な見た目なのに、たまに育ちが悪い人のような行動をとるのだろう。そのアンバランスさに戸惑ってしまって一旦思考が停止してしまう、ということもある。まだ付き合って3ヶ月だから彼の生い立ちなんてわからないけど、知的で清潔感のあるビジュアルにそぐわないのだ。


「ひょっとして実家は滅茶苦茶貧乏とか、なのかな……それはそれで嫌なんだけど……」


 そんな独り言&考え事をしていて周りが見えていなかったからか、突然菜々子は誰かとぶつかって転倒してしまった。大人になってから転ぶ事なんて滅多になかったため、恥ずかしさで顔がどんどん熱くなっていく。


「す、すみませんっ……」

「大丈夫? これもですよね?」


 ぶつかった人物が、転倒の際にばら撒いてしまった商品の一つを菜々子に手渡す。それを受け取り顔を上げた瞬間、菜々子の心臓はドクンと大きく脈打った。


「ありがとう……ございます……」

「気をつけてね」


 ぶつかった相手は、同フロアで働く名前も知らない美女であった。長い黒髪をなびかせ、美女は自分の仕事場へ戻って行った。

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