世界最強暗殺一族異世界召喚

水色の山葵/ズイ

第1話 最悪の召喚


「殺されたくなかったらさっさと酒買ってこいよクソガキ!」


 まだ六歳の少年にそう怒鳴りつけるような父親だった。

 理由はうろ覚えであまり詳細には憶えていない。確か借金がどうとか、横領がどうとか、マフィアがどうとか……そんなことを言っていた気がする。そんな父親が特に荒れていた日の夜、僕は腫れ上がった瞼を必死に開けてその光景を目に焼き付けた。


 僕の両親は僕の目の前で、たった一人の和服姿の少女に殺された。


「だから僕はこの方に仕えているのです。分かりますか?」

「んっ! んんんんんーーーーーーーーーー!!」


 薄暗い倉庫の中、椅子に縛り付けられ布を口に詰められたその清楚華憐な少女は、咲良彩萌さくらあやめという僕と主の通う高校のクラスメイトだった。

 彼女の父親が数年前ある会社のお金を持ち逃げした。その会社の社長は借金苦に追われたが死の間際に保険金と死後の自分の肉体の全てを代金として依頼を出した。「自分を不幸にした人間とその家族を殺してほしい」と。


 だから僕等はここに居る。

 たとえ相手がクラスメイトであっても暗殺の指令が出ればそれを全うする。それこそが暗納家の本懐である。


「それにしても咲良さんは偉いですよね。父子家庭でもお父様と一緒に真摯に生きてこられたのは学校での態度を見ていれば明らかですから。父親が屑でも子供は白鳥になる、それを証明して見せて貰っているようです」


 父親は胴体と頭蓋を引き離されて、既に彼女の足下に転がっている。


「ねぇロア」


 世界で一番綺麗な声で、主は僕の名前を呼んだ。

 黒を基調に菊の花があしらわれた和服は彼女の仕事着だ。真っ黒な髪に真っ黒な瞳、闇に愛されていると言っても過言のないその世界で一番の美貌、美声。彼女に声を掛けられるだけで僕の心臓はときめく。


 僕はすぐさま膝をつき、彼女に首を垂れる。我が主、暗納輝夜あんのうかぐや様に。


「なんでございましょう、輝夜様」

「この人ロアと同じ状況、だよ? 助けたい、って思わないの?」

「全く。輝夜様のご判断こそが僕の信じる全てです」

「んんんんんんんん!!!」


 煩いな。僕と主の会話の邪魔をするなんて許せない。殺してしまおうか。

 そう思って睨みつけると、彼女はビクリと身体を震わせて少し静かになってくれた。僕の思いが通じたみたいで嬉しい。


「彩萌さん、私ね、彩萌さんのこと結構好き、だった。明るくて清楚で男の子とも物怖じせずに普通に話していて、すごく可愛くて、すごいなーって、貴女みたいに私も自信を付けたいなぁって……すごく憧れていたの」

「んん……?」

「中身だけじゃないよ。髪の毛の手入れとか、お化粧の仕方とか、色んな感情を表せるそのお顔も、なにより笑った顔がすっごく素敵で。だから……明日からそれが見れなくなるなんて残念……」

「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 それは二年間の高校生活の中で聞いた彼女のどんな声よりも大きな呻き声だった。涙を鼻水を涎を、垂らしてぐちゃぐちゃに顔を歪めるその顔には清楚さの欠片もありはしなかったけれど、輝夜様が仰るのだからその顔も素敵だ。


 咲良彩萌さくらあやめの首元に輝夜様の真っ白な指先が伸びていく。指先が近づくにつれて彼女は身体を悶えさせ表情の蒼白を濃くしていく。

 直前に目の前で見ていたからだ。輝夜様が触れただけで、お父様の首の上下が割かれたその瞬間を。


 彼女こそが世界中の暗殺者の中で頂点と謡われる暗納家の至宝にして次期当主。ようするに世界最高の暗殺者だ。

 そして僕はこのお方の使用人として傍に置いていただいている幸せ者だ。


「ばいばい」


 そう輝夜様が仰ったその瞬間、咲良彩萌さくらあやめの足下が輝きを放ち始めた。まるで彼女を中心に円を描くようなその光はどんどんと強さを増していく。


「お下がりください、輝夜様」

「何が起こっているの?」

「申し訳ございません。分かりません……」


 僕はどうなっても構わない。けれど輝夜様を危険に晒す訳にはいかない。どうすればいい……

 けれどどれだけ考えても、この光をどうにかする方法を僕は後ずさり以外に見つけられなかった。


「ふぉふぇっふぇ……?」


 そう咲良さんが呻いたその瞬間、光は一層強くなり魔法陣のような文様な空間に浮かび上がった。



 ◆



 ――光が収まっていく。


 冷たい微風が頬を撫で、草木の揺れる音が耳に入った。ランタンの明かりしかない倉庫に居たはずであるにも関わらず、まるでその感覚は屋外に出ているようだった。

 いや、目を開ければその感覚は確信に変わる。どう見てもその風景は屋外であり薄く赤い空に黒い葉が生い茂る森の中、我々三名はそんな場所に突如として移動していた。


「ロア、ここどこかな?」

「さぁ、僕にもさっぱり……」


 いや、ダメだ。僕はこのお方の使用人。輝夜様の不愉快の全てを取り除くのが僕の仕事だ。

 僕は縛られた椅子ごとこの場にいた彼女の口元の布を解く。


「僕も主もこの状況を意図していない。ということは犯人の選択肢は一人のみ。これは、どういうことでしょうか? 咲良さん」

「……し、知らないよ!」

「ほう……」


 手袋をはめ直しながら彼女へ近づき見下ろす。僕の身体が影となって彼女の顔を覆った。


「ほんとに私じゃない……です! でも多分これって、異世界転移……なんじゃ……ないかなって……思います……」

「異世界転移……?」

「わ、私実はそのライトノベルとか結構好きで……実は隠れオタクで……」

「それが今何か関係あるのですか?」

「だから、そのライトノベルとかでよくあるの。突然異世界に転移させられちゃうっていう展開が……」

「これは現実です。本の中に登場する状況と混同するのは荒唐無稽でしょう……」

「でも、そんなこと言ったってじゃあどう説明する……んですか?」


 いや、しかし……異世界? そんなことが現実的にありえると?


「確かめる方法、ありますよ……」

「どうぞ、言ってください」

「地球なら絶対ありえないような生物とか植物があれば、異世界……だと思います」

「なるほど……」


 確かにそのようなものが確認できれば僕も異世界という言葉を信じざるを得ないか。

 しかしそうなれば……


「もう家には帰れない、ってこと?」

「どうなんですか咲良さん」

「そういう話のほとんどは、帰れないし帰らない場合が多いい、です」


 咲良さんの言葉に輝夜様はあからさまに下を向く。


「……」

「輝夜様……」

「やった! あ、ロアは私に帰って欲しい?」

「……いえ、僕が仕えるのは暗納家ではなく輝夜様ただお一人。貴女様が望まれるのであれば暗納家と敵対したとしても全く問題はありません」


 暗納家は暗殺一族であり世界的な名家だ。その次期当主が家を捨てたとなれば前代未聞。あの一族は総出で輝夜様を探すだろう。それこそ、世界の境界すら飛び越えてでも。


 だがしかし輝夜様が望まれるのであれば、僕が必ず輝夜様の平穏を守って見せる。


「では輝夜様、もしもこの世界が本当に『異世界』と呼べる場所であった時は、ここに永住するということでよろしいですか?」

「うん。もう殺しはうんざり」

「かしこまりました」


 となれば色々とやっておかなければならないこともある。

 咲良さんに近づき椅子に巻き付いていたロープを解く。


「いいんですか?」


 恐る恐るそう聞いてくる咲良さんに頷くと彼女は椅子から立ち上がった。涙や他の体液で濡れた顔を見て僕はハンカチを渡す。


「あ、ありがとう、ございます」

「では行きますよ咲良さん」

「え、どこへ?」

「貴女の言葉通りここが異世界であるのか確かめる必要があります。それに食料、住居、衣服、必要なものは枚挙に暇がありません。輝夜様に不便を強いるなど言語道断、今日中に生活基盤を整えます」

「ロア、私も手伝う」

「え!? そんな、輝夜様はここでお待ちいただければ僕とこの人で探して参りますので!」

「そう。そうなんだ。そんなに二人になりたいんだ。可愛いもんね。いいよ。いってらっしゃい」

「ひっ……」


 可愛い? あぁ、確かに輝夜様もそう仰られていた。ならば僕が疑問に思う余地などない。


「確かにこの人は可愛いです」

「へぇ……そうなんだ……」

「ちょ、ちょっとロアく……さん」

「なんですか? 今僕は輝夜様と話しているのですが?」

「あ、ごめんなさい。手袋シュッてするのやめてください怖いです」


 何を言っているんだこの人は。おかしな人だな。

 そう思った時だった。ガサガサと森の草木を掻き分けるような音と共に、彼等……いや、それ等は現れた。


「ほう……貴様等か……」

「村人共が召喚した勇者というのは」

「あのお方の供物にしてくれる」


 鼠色の肌に二メートルを越える体躯。二足歩行であるが背より翼が生えていて全く人間とは異なった容姿をしている。そんな生物は見たことがないし地球上に存在するようなものではないだろう。というか人の言葉を話していることの違和感が凄まじい怪物だ。


 その様相は、咲良さんの推論を確定させてしまうだけの説得力を確かに持っている。

 それが三匹。


「ガーゴイル……? 本物?」

「どうやら咲良さんの推測は正解のようですね」


 しかし全裸とは随分と原始的な種族のようだ。こいつらの生活基盤を奪ったとして輝夜様に満足していただけるかどうか……

 いや、まぁそれは……奪ってから考えればいいか。


「輝夜様、咲良さん、お下がりください。ここは僕が」

「え、大丈夫なの!? 相手は怪物だよ」

「うん、分かった」


 使用人とはいえ暗納家で働いている一員であることには変わりない。人を殺す為の武芸の熟達は毎日欠かさずやっている。

 しかしそれだけではない。暗納家で働くとは……世界で最も強い暗殺一族の補佐するということは……常人を辞めるということだ。


「では……」

「なんだ人間、まさか我等と戦う気か?」

「えぇまぁ」


 僕は彼等の一匹へゆっくりと近づく。そのまま拳を握り込み、振りかぶる。


「なんだ、まさかその拳で殴る気か? 馬鹿な人間だ、我等の皮膚は岩石と同等の硬度を………………」


 腹に風穴を開けたガーゴイルの一匹はそのまま後ろへ倒れ、ピクリとも動かなくなった。おかしい、即死でも痙攣くらいはするはずだが……やはりこれは普通の生き物とは全く違う器官で動いているということなのだろうか。


「確かに岩石と同等に硬かったですよ。なので容易でした」

「なんということだ、弟よ!」

「貴様ァァ!」


 残り二匹。一匹目が死んだのを見て翼を使い飛翔し始めた。そのまま僕の頭上まで来た一匹が自重に任せて落下してくる。

 だから、それを受け止め、地面に叩き付け、顔の部分を殴り壊す。すると動かなくなった。


「クソ、何だその力は!?」


 最期の一匹。声を荒げながら背を見せる。他二匹と大して戦闘能力が変わらないのなら逃げるのは当然の判断だろう。

 それに『あの方』とも言っていたし、それに報告するつもりなのだろう。


 けれどそれは困る。生け捕りにして『あの方』の場所まで連れて行って貰わなければならないのだから。


 地面に落ちていた手頃な石を拾い、最後の一匹の右翼へ向けて思い切り投げた。命中。そのまま最後のガーゴイルは落下する。


「……え。ロアさんって人間……ですか?」

「人間ですよ」


 僕は暗納家の血を引いている訳ではない。だから輝夜様のような暗殺者としての類まれなる才能を持ち合わせてはいない。

 それでも輝夜様の傍に居るためには軍隊程度は制圧できる力が必要だった。


 だから暗納家の技術によって僕の肉体を改造して貰った。幾つもの薬品を投与して貰い、手術も繰り返して、僕の身体能力は超人の域へと至った。

 肉体改造の成功率は1%未満だったが僕は運が良かったらしい。まぁ、輝夜様の傍に居られないのなら生きていても意味はないし、肉体改造を受けないという選択肢はなかったのだが。

 けれどこれも輝夜様に比べれば矮小な力でしかない。


「さて、お話を伺いましょうか。ガーゴイルさん」

「ぁ……はは、なんでも聞いてくれ……です……」

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