とある新宿の風景から case.2 A/B

nako.

とある新宿の風景から

第1話

〜side A〜


8月n日



『……では、ご案内は以上です。ご不明な点はございませんか? ……いえ、とんでもないことです。わたくし、佐藤が承りました。それでは、失礼致しました』


 午前8時47分、終話。これから入力作業をして、終わる頃には定時になっているだろう。

 今日は特別大きなトラブルもなかったし、残業にはならないはずだ。


わたるさーん、すんません聞いてもいいですか?」


 ……って安心した矢先になんだよ、声優志望君。俺は自分の後処理で忙しいんだが。


『おお、何?』

「なんかー、よくわかんないクレームだけ言われた感じなんですけど、これって応対結果何選べば良いんですっけ?」

『基本“完了”でいいよ。こっちから折り返す必要がなければ』

「あざす」

『人に聞く前に業務マニュアルで確認する癖づけ、したほうがいいよ』

「了解っす」


 ちゃんとわかってんだか。まぁ、彼にとっては本業で上手くいくまでのバイトっていう感覚なんだろうけどさ。

 トークスキルあるんだから、もっと丁寧な仕事をすれば評価も上がるだろうに。実に勿体無い。

 と、雑念が浮かびつつも淡々と入力作業を済ませ、全ての作業ツールを閉じ、急いで打刻した。定時きっかりとはいかず、2〜3分過ぎていた。









 高層ビルのエントランスを抜けて外に出ると、真っ先に太陽光が目を刺激してくる。

 長く夜勤生活をしているが、いつまで経っても慣れないし、退勤後外界に出たこの瞬間が一番不快だ。おまけに夏特有の熱と湿気もセットときている。

 目が慣れるまでの間、俯き加減で駅までの道を歩いていく。

 今日の晩飯はどうしようか。駅前の定食屋で魚焼き定食ってところかな。連勤は今日で終わったし、一杯だけビールを頼んでもいいような気がする。世の中の人にとっては朝飯の時間なんだろうが、俺にとっては晩飯だからな。


 俺は、西新宿のオフィス街にあるコールセンターで勤務をしている。

 クレジットカード会社の所謂お客様センター的なところで、夜勤帯で受ける問い合わせのほとんどは「飲んでいたら財布ごとなくした」というような紛失時の対応だ。

 正直面倒臭いケースが多いが、日中に比べて問い合わせ件数が少ないし深夜手当も出るから、俺は割の良い仕事だと思っている。


 元々は大学卒業後、就活を経て入社したところに勤めていたのだが、そこは5年持たなかった。営業が合わず、ストレスで体を壊してしまったのだ。

 ここは再就職先を探す間の繋ぎのつもりで始めたのだが、やりたいことや興味を持てるものが見つからなかったため、そのままズルズル続けることになり今に至る。

 非正規雇用は将来が不安だし、夜勤生活も健康的ではないというのが一般論だろう。だが俺に言わせれば、営業成績を気にしながら自ら戦場に飛び込むより、顧客からの入電を待っている今の方がずっと精神衛生上マシだ。夜勤帯オペレータースタッフの中でリーダー職になっているから手当もあるし、その気になればキャリアアップの道もあるしな。まぁ、今のところは現状維持でいきたいんだけども。




 陽の光に慣れてきて目線を上げると、ちょうど目の前で高速バスが停車した。

 この辺りは夜間運行の高速バスの降り場にもなっているから珍しい光景ではない。それにしては到着が遅い方だとは思うが。こういうバスは大体東京・新宿には午前6時頃着になっている。高速道路で渋滞でも発生していたのだろうか。

 長旅で疲れているのか、バスから降りて来る人々は皆死んだような表情をしている。そんな中、降車するなり迷うことなく颯爽と歩いていく女性が目に留まった。

 女性…というよりは少女か。背伸びした服装をしているが、顔に幼さが残っている。高校生ぐらいか。学生なら夏休みが始まったばかりだろうし、1人で東京観光にでも来たのだろうかと想像する。念のため言っておくが、俺は別にロリコン趣味ではない。たまたま彼女が俺の数メートル先にいて、ずっと俺と同じ方向に歩いて行ってるだけなのだ。


 数メートル先にいる少女がなかなか視界から外れないまま、駅近くの高架を通り過ぎた。

 他の路線の新宿駅が固まっているのに対し、俺が使っている路線の駅は若干離れた所に位置している。職場から駅までの距離が遠いというデメリットはあるが、都心部にある路線の中では比較的混雑しない方だと思う。ただ、すぐ側に歌舞伎町があるのでお世辞にも上品な人が使っている路線とは言えない。

 俺は間も無く駅の改札へ続く階段にたどり着いてしまいそうなのだが、彼女は一体何処へ向かうのだろう。ひょっとして……歌舞伎町方面へ行こうとしているのではないか?

 背伸びしているとはいえ、俺が思うに歌舞伎町の広場に集まるような派手な見た目の少女ではない。それとも、イマドキは“いかにも”な見た目の子じゃなくても歌舞伎町に集まってしまうのだろうか。考えてみれば自分も32歳だ。10代の子とは一回り以上歳の差があるのだから、イマドキの若者の考えや価値観なんてわかるはずもない。

 君君、どういう子なのかは知らないけど、危ないことに巻き込まれないように気をつけた方がいいと思うぞ。



「若いねー、君高校生?」


 ほらな。案の定、早速声掛けられてる。

 声を掛けた男はスーツ姿だが着こなしがだらしない上、髪を染めていて髭の生やし方もいやらしい。どう見たって水商売か風俗のスカウトマンだ。

 目の前で未成年の女の子が悪い大人に捕まっている……赤の他人だから知らないふりも出来た……けど。


『おい、やめろよ』


 わずかな正義感が俺を突き動かし、首を突っ込んでしまった。

 念の為もう一度言っておくが、俺は断じてロリコンではない。


「は?」

『未成年だと判ってて声かけてんなら、普通にヤベーだろ』

「ああ? お前なんなんだよ」

『え? 俺は……』


 ガラの悪い男と、覚えたての化粧をほどこしたような少女の顔を交互に見て、俺はハッとした。

 俺は……この少女のなんなんだ?


「お兄ちゃん!!」

『え』

「お兄ちゃん、なんでこんなところにいるの!?」

『お、に?』


 えて言わなくてもわかると思うが、俺はこの少女の兄ではない。そもそも俺は一人っ子だ。

 少女が咄嗟とっさの機転で言ったことなのは百も承知だが……えっと、俺はこれに合わせなきゃならないのか?


『お、お前が心配で様子見にきたんだよ!! 友達と一緒じゃなかったのかっ!?』

「これから待ち合わせなのー、なんで着いてくんのぉ??」



 明らかに嘘っぽさ出まくりなやりとりだと思ったのだが、面倒臭いと感じたのか男は舌打ちをして去っていった。

 ほっと一息をついていると、少女が飄々ひょうひょうとした雰囲気で話しかけてくる。


「なんとか乗り切ったねー。……てか、よく見たら“お兄ちゃん”って歳じゃないじゃん。叔父さんとかのほうがリアルだったかも」

『はぁ?』


 おいおい、それが助けてくれた人に対しての態度か?

 どうやら俺が想像していたより生意気な性格のようだ。


「ま、助けてくれてありがとね。じゃあ」

『じゃあって、君どこ行くつもり?』

「どこって、歌舞伎町に決まってるじゃん。そのために来たんだから」


 おいおいおい…。

 折角最大の危機を乗り越えたのに、また危険地帯に飛び込むつもりかよ。

 この子はよっぽど頭が悪いのか、それとも筋金入りの非行少女なのか!?

 と、考えあぐねているうちに、少女は危険地帯に向かって歩き始めていたので、俺はなんとかして止めなければと思った。


『ちょっと待てって』

「何、オジサン。しつこくするならお巡りさん呼ぶけど」

『いやいや……え? さっき俺君を助けたんですけど?』

恩着おんきせがましいの無理。もう放っといて」

『ちょい、待てよ。おい……君さ、もっとよく考えて行動しなよ!!』


 思わず大きな声が出た。近くにいた通行人に振り向かれたが、どうしても言ってやらないと俺の気が済まない。


『さっきのヤツなんか序の口で、君が行こうとしてるところはもっとヤバい連中がウロウロしてる街なんだからな? 君はそのヤバい連中を上手いこと出し抜けるのか? 無知な若い女の子を言いくるめて、汚ねぇことする大人がそこら中にいるんだぞ?』

「そんなの……わかってるもん」

『いや、わかってねーな。ハッキリ言って、見ず知らずの俺に咄嗟に頼るような君が、1人で乗り込むような場所じゃない。その時のノリで突っ走った結果、後悔することになっても知らねーぞ?』


 ついつい説教してしまった。

 若者に対して説教し出したら、いよいよ本当にオジサンの仲間入りだな。

 ウザいんだろ?どうぞウザいと吐き捨ててくれたまえ。


「……なんも知らないくせに。私は後悔したくなかったから……だからここまで来たの」


 てっきり悪態をかれると思っていたのだが、予想に反して少女は深刻そうな表情でそうつぶやいた。

 んん? ところで、言ってる意味がよくわかんねーんだけど。


「お腹空いた」

『え』

「私、昨日の夜から何も食べてない。お金もそんな持ってない」

『だから?』

「朝御飯、食べさせてよ。私のこと放っておけないんでしょ? だったら面倒見てよ」


 ……なるほど。ただの無知な少女ではなさそうだ。

 計算か天然かは知らないが、少なくとも女性に振り回されたい願望を持つ男の心の掴み方はわかっているようだ。

 あ。一応言っておくが、俺はそれに当てはまらないからな。


『……わかったよ。ちょうど俺も飯食うところだった。行きつけの定食屋に連れて行ってやるよ。俺は魚焼き定食だけど』

「却下」

『は?』


 いやいや。奢ってもらう立場で、何注文付けようとしているんだコイツは。

 文句を言う隙も与えず、少女は俺の腕をつかんで歩いていく。


「朝御飯はパンでしょ。エッグマフィンにハッシュポテトで決まり!」


 向かっている先にはお馴染なじみの大手ハンバーガーチェーンがあった。

 ああ、そうだな。朝は俺だってパン派だよ。

 でもな? 夜勤族の俺にとって、今は晩飯の時間なんだよ。


 言い合いする気力もなくなった俺は、少女に引っ張られ、バーガーショップの入口を潜ったのだった。

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