The潜入 1万 カクヨム短編

鷹山トシキ

第1話

 昭和50年代、冬の夜。冷たい風が窓を叩く中、木造の家の中はコタツの暖かさに包まれていた。テレビからは、当時の人気音楽番組「ザ・ベストテン」のテーマ曲が流れている。リビングのコタツには、二人の姿があった。


 彼女、春美は大学生で、目の前でうつむいている彼、健一とは高校時代から付き合っている。健一は卒業後、家業を継ぐため地元の工場に就職し、毎日遅くまで働いている。最近は仕事の忙しさに加え、将来の不安もあって二人の会話は少なくなっていた。


「ねぇ、見て見て!松田聖子、今日も1位よ。」春美が微笑みながらコタツの上のテレビを指さす。彼女の明るい声は、静まりかけた空気を和らげようとしているかのようだ。しかし、健一はぼんやりとテレビを見つめたまま、反応が薄い。


「……ふーん、すごいね」健一の声には熱がこもっていない。春美は少し眉をひそめ、手元の湯呑を見つめる。冷えた空気が、ふたりの間に漂っているようだった。


 しばらくして、春美が勇気を振り絞って言った。「健ちゃん、最近元気ないけど……仕事、大変?」


 健一は驚いたように春美を見つめ、少しの間黙り込んだ後、ぽつりと口を開いた。「……うん、まあな。家業だし、逃げられないしさ。やるしかないんだけど、なんか自分がどこに向かってるのか、わからなくなる時があるんだ」


 その言葉に、春美は健一の手をそっと握った。「健ちゃん、私、何もしてあげられないけど、そばにいるから。頑張らなくてもいいんだよ、無理しないで」


 その瞬間、健一は彼女の手の温もりに救われた気がした。いつも明るく、どんな時でも笑顔を見せてくれる春美が、彼の心の支えになっていることに気づく。今まで自分のことでいっぱいで、彼女の存在の大きさを忘れかけていた。


「ありがとう、春美」健一は小さく微笑み、彼女の手を強く握り返した。「お前がいてくれて、ほんとに良かった」


 二人の間に、再び心地よい沈黙が訪れる。外の寒さとは対照的に、コタツの中は二人の心の距離を縮め、優しいぬくもりに満ちていた。テレビの中では、松田聖子が楽しげに歌い、昭和の夜は静かに深まっていった。


 その夜、コタツの中で春美と健一は暖かい空間に包まれていたが、外では次第に風が強まり、家の窓を激しく叩き始めた。突然、テレビの音が不意に途切れ、部屋の明かりがちらついた。まるで電気が一瞬にして消えてしまうかのような感覚だった。


「えっ、停電?」春美が驚いて声を上げた瞬間、窓の外から奇妙な光が差し込んできた。明るく青白い光が部屋を照らし出し、二人は思わず顔を見合わせた。


「春美、あれ…何だ?」健一が恐る恐る窓に近づく。外には信じられない光景が広がっていた。庭の木々の間に、巨大な裂け目のようなものが現れていた。まるで異次元への扉が開いたかのように、青白い光がその裂け目から放たれていた。


「健ちゃん…これ、夢じゃないよね?」春美は健一にしがみつき、二人はその不思議な光に引き寄せられるように、外へと足を運んだ。


 裂け目に近づくと、その奥から低く響く声が聞こえた。声は言葉を紡いでいたが、まるで古代の言語のようで理解できない。風が強く吹き、二人の髪を激しく揺らす中、裂け目から突然、巨大な影が現れた。


それは、まるで神話の中に出てくるような巨人の姿をした魔物だった。灰色の肌に、大きな角が頭に生え、腕には鎖のようなものが巻きついている。目は燃えるような赤で、二人をじっと見下ろしていた。


「ようやく見つけた…」低く響く声が二人の耳に届いた。


「な、何を…?」健一が震える声で問いかけると、魔物はゆっくりと口を開いた。


「お前たち、選ばれし者だ。この世界に忍び寄る闇を討つべく、力を授けるためにここへ現れたのだ」


 春美と健一は驚き、言葉を失った。だが、魔物の目は真剣で、まるで彼らにしか見えない何かを見つめているようだった。


「お前たちには、この世界を救う運命がある。私が力を与える。それを使い、闇に立ち向かえ」魔物が手を差し出すと、青白い光が再び二人を包み込んだ。


 突然、春美の手には不思議な杖が現れた。杖は古代の文字で刻まれており、手に持つと心が落ち着くような感覚が広がった。健一の手には、重厚な剣が握られていた。その剣は、光の中で力強く輝き、まるで健一の心と一体化しているかのようだった。


「これから始まる戦いは容易ではない。しかし、お前たちにはその力がある」魔物はそう言い残し、再び裂け目の中に消えていった。


 二人は、その場に立ち尽くしたまま、お互いの手に現れた武器を見つめた。これが現実なのか夢なのか、もはやわからなくなっていた。しかし、彼らは感じていた。自分たちの運命が大きく変わる瞬間が今、訪れているのだと。


 春美は杖を握りしめ、静かに健一を見つめた。「健ちゃん、私たち…行くしかないね」


健一も深く頷いた。「ああ、どんな闇が待っていようと、お前と一緒なら乗り越えられる」


こうして、二人の新たな冒険が始まった。昭和の平和な日常から、異世界の戦士としての運命へと足を踏み出したのだ。



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