3
今度は意外そうに、目をぱちくりさせる。
「雨は涙を表現してるんですよ」
「じゃあ、この雨は泣きやまない涙?」
七下の雨を指差して、彼は言う。
「傷ついた心は傷ついたままでもいいんです。作品が代わりに泣いてくれるから、悲しみは預けておけばいいんですよ」
「預けて……。だから、少し気持ちが楽になれるんだね」
「はい」
未央が雨をモチーフにした作品に傾倒し始めたのは、婚約者の裏切りを知ったときからだろうか。苦しい気持ちは作品に変えて、悲しみを薄めていく。未央はずっとその作業を繰り返している。
「へぇ、すごいや」
「すごいですか?」
「うん、すごい。じゃあ、あれも……」
有村くんは隣に飾られた切り絵を指差し、「あっ、あれも。……あれも?」と、次々に指差していく。
「雨ばっかりだ」
「涙にもいろんな形がありますよね」
「だから、いろんな雨なんだ」
店内に飾られた作品のすべてに、雨にちなんだタイトルがつけられているのに気づいて、目をまん丸にする彼の驚きは新鮮で、自然と笑みがこぼれる。
「実は、そうじゃない作品もあるんですよ」
「どんなの?」
「ポストカードは特別で。清倉の風景だったり、名産品だったり。旅行に来られた方の思い出になるようなデザインにしてるんです。風鈴もあったと思うんだけど」
カウンターに置かれたポストカードをいくつか手に取り、風鈴の切り絵を探す。
「売れちゃったかな」
「そっか……」
期待した分だけ肩を落とす有村くんに申し訳なくなる。
「ポストカードはちょうど千円だから、飾るのにもいいかなって思ったんだけど。待ってね。探してみるから」
カウンターの中に入り、ガラスケースの下にある引き出しを開く。四季ごとのデザインに分けて、ポストカードは入れてある。夏用の作品のストックを一枚ずつ指でめくって確認していく。
そうしている間に、有村くんはふたたび、七下の雨を見上げる。
「一万円もするんだ……」
ぽつりとつぶやく。
「ほとんどの作品はサイズでお値段をつけてるんですよ」
「やっぱりすごいんだな、この店って」
「すごいって?」
「おばあちゃんがここは金持ちの道楽の店だって言ってたから」
その歯に衣着せぬ言い方に、未央はそっと笑む。
開店当初、昔から清倉で暮らす人々が切り雨に興味本位でやってきていたが、「観光客向けだな」や、「美術品だと思わないと買えないな」と思い思いに話して帰っていったものだった。
「ごめんね。やっぱり、風鈴はないみたい。少しお日にちもらえるなら、今からお作りしますよ」
有村くんはがっかりしつつ、首を横に振る。
「いいです。欲しいのは、音の鳴らない風鈴だから。わざわざ探してもらってごめんなさい」
もっとはやく言えばよかったと、彼は腰を半分に曲げて頭を下げる。礼儀正しい子だ。
「風鈴の形をした立体的な切り絵を探してるんですね?」
「窓に下げられるなら、なんでも」
立体的じゃなくてもいいのだろう。
「自分の部屋に飾る用ですか?」
「ううん、お母さんの」
「プレゼント?」
そう尋ねると、有村くんは沈黙した。何やら葛藤しているように見えて、未央も黙って見守る。すると程なくして、彼はため息をつくように告白する。
「お母さん、病気でずっと寝込んでるから、いつも窓から外ばっか見てる」
「そうだったんですか」
「夏は風鈴がないとって、7月にはいつも窓に飾ってた」
飾ってた? 今はないのだろうか。
「涼しい気分になりますよね」
「でも、おばあちゃんがうるさいって外したんだ」
ぎゅっとこぶしを握る手に、悔しさが見える。
「だから、音の鳴らない風鈴を探してるんですね?」
「お母さん、さみしそうにしてた。風鈴が揺れてるのだけでも見てたかったって」
有村くんはお母さんを楽しませたくて、勇気を出して切り雨を訪ねてきたのだろう。その思いを無駄にしてはいけない。未央はすぐさま胸に手を当てる。
「わかりました。窓からつり下げる切り絵の風鈴、作りましょう」
「作れるの?」
パッと表情を明るくする有村くんに、未央はうなずいて見せる。
「有村さんが」
「僕が?」
きょとんとする彼に、未央はにっこりと笑う。
「はい。詳しくは、井沢先生からお伝えしますね」
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