第47話

 旧くからの理念、即ち、研究者によって解釈された黒曜の理念においては、黒き血の加護を受けない者たちは全て殺さなければならないと掲げられているらしい。そして同時に、黒き血の加護を受けている者は殺めてはならないとも、解釈としては読み解けるとのことである。


 加えて教会も、罪無き黒曜の信仰者を、庇護すべき弱者を、殺めてはならないと謳っている。殺めることを考えてすらならないとも、謳っているのだ。


 そこには、信仰者が怪物であってはならないなどという条項は記されていない。


 それはつまり、黒曜を信仰して、黒き血をその身に流してさえいれば赦されるということになる。たとえその身が異形の怪物であろうとも黒き血をその身に流していれば、人間としての理知と誇りを有しているのなら、赦されることを意味する。

 そのように、貴方は解釈を深めてゆく。


 貴方の目の前にいるのは、見るも悍ましき異形の怪物ではある。

 けれどもそれは、理知を有し、慈愛を有し、その身に黒き加護の血を流しているであろう、人間性と信仰心を有した存在なのだ。紛れもなく、黒曜を今も信仰している信仰者なのだ。


 しかし決して、そして如何しようもなく、それは人間ではないのである。


 ――殺すべきでは、ないのではないか。


 ここに至って初めて、貴方は明確に自覚する。

 貴方は目の前の怪物から、豊かな人間性を感じ取っていることを。

 見た目こそ異形であり、人間そのものではないものの、その根底に流れる精神は間違いなく、人間として誇りある生の道を歩んでいると貴方は判じている。


 或いは、これまで見てきたどの人間よりも、優れた人間性を有していると認めてしまっているのだ。


 そのような者を、どうして断罪することができるだろうか。


 人間としての生は、身体に流れる血の色によってのみ示されるものではない。

 信仰する神によってのみ決まるものでもない。

 その身が人間であろうと、怪物であろうと、関係が無いのだ。

 精神の気高さこそが、人間として最も重要ではないのか。

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