第五章 第一公演 敗走

 舞台の上に立つと、まず最初に観客たちの姿が目に留まった。ざっと四百人以上は、俺たちの演劇を観に来ているようである。

 そして、俺たちの姿を見るなり、観客たちは見下したような目を向けて嘲笑を始めた。パグが言っていたとおり、観客たちは俺たちを侮蔑するために訪れているようである。


 あれらに構っていても仕方ないので、俺は裏方の一人に指示し、緞帳を閉じてもらった。観客たちへの怒りが、初舞台に立つ不安や緊張を和らげてくれているようにも感じた。

 演劇を開くうえで、演劇前の仕込みに十五分ほど、演劇後のばらしに五分ほどの時間を設けてもらっている。俺たちはリハーサルで練習したとおりに、すり足で手早く仕込みを開始した。


 まず、劇中でどこに役者が立つか、どこにオブジェクトを配置するかを示す、バミリと呼ばれる印をつけていく。当然、劇場の床に直接書き込むわけにはいかない。代わりに、観客から見えないくらいの平たい小石をいくつか用意し、それらに色を塗ったり数字などの記号を書いたりして、バミリとした。

 奥にはまず木々のオブジェクトを設置する。子供たちが枝をくっつけて、できる限りリアルな木に近づけたものだ。天井に届きそうなほどに巨大なものだったが、これらを運ぶ際は、パグを始めとした力持ちの男性たちが活躍してくれた。

 だが、これらの木々はすぐには使わない。場面転換に備え、舞台中央にある中引幕で隠しておく。大きなオブジェクトはほかにもあるが、ひとまずは上手に置き、舞台の左右にある袖幕で観客席から見えないようにした。


 子供たちを中引幕の裏側に、バトラーさんをグランドピアノに向かわせ、スタンバイしてもらう。最後に、裏方たちから銃のレプリカを役者たちに手渡してもらい、衣装も問題ないことを確認して、仕込みを完了とした。

 みんなにうなずきかけて激励すると、みんなのこわばった顔が少しばかり緩んだように見えた。数人の役者を舞台に残し、俺たちが上手と下手に分かれて撤収したところで、ローラから司会の劇場スタッフに合図を送り、アナウンスをしてもらう。


「ただいまより、ローリエ劇団による『敗走』を上演いたします」


 演劇が開始した。ローラは主役として舞台に出るため、ここからは舞台監督助手であるマスコロさんが、俺たちに指示を送ることとなる。

 マスコロさんの合図により、閉じていた緞帳が徐々に開かれた。観客たちの視線が再び注がれ、舞台裏にいるみんなの顔に緊張の色が表れ始める。


 今緊張をほぐすには、行動を起こすほかない。それを示してくれるかのように、上手に隠れていたローラが舞台へ躍り出た。

 舞台では、味方兵を演じる役者たちが、すでに死体となって倒れている。ローラは声を押し殺して泣きながら、死体の横をふらふらと通りすぎていく。

 同時に、袖幕に隠れながら、マスコロさんが観客に向かって声を張った。


「戦争に敗れ、仲間がみな死んだ。人手が足りず徴兵に駆り出された者同士で、共に生きて帰ろうと誓い合った仲だった」


 マスコロさんが口を止めずに、中引幕の裏にいる子供たちに右手で合図を送る。すると、間もなくして耳をつんざくような破裂音が数回ほど響き渡った。子供たちによる風船の破裂音である。これにより、敵兵による銃声を演出している。

 舞台に注目すると、銃声に怯えたローラが、辺りを見渡しながら身を震わせていた。瞳は小刻みに揺れ、嘔吐してしまうのではないかと思わず心配してしまうほどの戦慄だった。


 マスコロさんのナレーションが続く。


「終戦した後も、残兵狩りによる敵の銃声がどこからともなく鳴り続ける。様々な感情がサリアの心に渦巻き、掻きむしったが、それを鎮める暇などなかった。足を止めれば、敵兵がこちらへやって来る。死にたくないという生への渇望が、サリアの足を動かす唯一の原動力となった」


 先ほどまで聞こえていた観客たちの嘲笑は、今ではすっかり失せてしまっていた。戦争をテーマにした物語であるため、張り詰めた緊張感に圧倒されたのだろう。無論、その緊張感を演出しているのは、ローラの迫真の演技にほかならない。


 場面転換のため、暗転幕が閉じられる。ローラは次のシーンに備え、死体役の人たちとともに、すり足で下手へと引き返していった。

 ここでマスコロさんが合図を送る。裏方の手によって中引幕が開かれ、設置していた木々のオブジェクトがようやくお披露目となった。先ほどまで隠れていた子供たちには、一旦舞台裏に隠れてもらった。


 暗転幕が開かれ、次のシーンに移る。下手からローラが現れ、今度はうつむいたままとぼとぼと歩いていった。

 同時に、俺の出番が回ってくる。独りになったサリアとともに行動し、友人となる男の役だ。俺はまだ袖幕に隠れたまま、ローラに声をかけた。


「よお、そこのあんた!」


 俺の呼び声を聞き、サリアは悲鳴を上げて身じろいだ。俺は銃を握ったまま両手を上げて、敵意がないことを示しながら歩み寄る形で登場した。観客たちの目がまだ怖く感じたが、ローラが迫真の演技で観客たちを黙らせてくれていたので、ずいぶんとやりやすかった。


「俺はウィリアムって言うんだ。あんたは?」


 ローラは口を閉ざしたまま、再びうつむいて立ち尽くした。そして、銃を取り落とし、両手で顔を覆いながらむせび泣き始める。

 ウィリアムは軟派だが、気遣いはきちんとできる男だ。俺は声をかけるのを止め、ただそばにいることで、ローラが演じるサリアに寄り添った。


 マスコロさんのナレーションが聞こえてくる。


「サリアはすぐに名乗ることができなかった。同じ軍服を着ていたので、味方であることはすぐに理解した。しかし、仲間たちを失ったショックが強すぎるあまり、錯乱状態に陥っていたのだ」


 暗転幕が閉じられる中、マスコロさんがナレーションを続ける。


「ウィリアムと名乗った男は、心が鎮まるまでそばに付き添ってくれた。長い時間を経て、サリアがようやく平静を取り戻すと、ウィリアムは俺と一緒に行こうと呼びかけた。せめて俺たちだけでも生き延びよう。そして、仲間たちのことを後世に伝えなければ。ウィリアムの言葉に賛同し、サリアはウィリアムとともに歩み始めた」


 ナレーションが終わるまでの間に、俺とローラは次の準備に取り掛かった。ローラは舞台中央からやや左に立ち、俺は一旦上手へ引き返す。そして、上手で待ち受けていた裏方にいくつかのラズベリーを受け取り、片手に握った。

 再び暗転幕が開かれる。ローラはその場で膝を突き、物拾いの仕草をしていた。


「サリア、そっちはどうだ?」


 ローラに声をかけながら、俺は再び舞台に上がり、バミリどおりの位置に立つ。


「全然よ。虫に食われた木の実しか見つからない」


 ローラは肩を竦めて答えた。この台詞によって、観客は俺たちが食料探しをしているのだと理解してくれたはずだ。

 続けて、俺は軟派なウィリアムらしく陽気に台詞を続ける。


「そんなお前に朗報だ」


 俺は握っていた手を広げ、ラズベリーをローラに見せた。


「一、二、三、四……八個もあるわ!」


 ラズベリーを見るなり、ローラは小さく飛び跳ねながら声を弾ませた。得意げになりながら、俺はローラに言う。


「遠慮せず食べろよ。しばらく何も食べれていなかったんだろ?」

「あなたは食べないの?」


 目を丸くするローラに対し、俺は髪をたくし上げてかっこつけながら答える。


「レディーファーストってやつさ、俺のことは気にしなくていい」

「調子いいこと言って、本当は先に食べたとかじゃないの?」


 訝しげに見つめてくるローラに、俺は「お見通しじゃないか」とうなだれる。そして、おかしさのあまり二人でアハハと笑い合った。

 重苦しい空気が解れたからか、観客席からもクスリと笑い声が聞こえてくる。想定通りに緊張を解せたこと、そして自分たちの劇に見入ってくれていることに、俺は心の中で安堵した。


 暗転幕が閉じていき、同時にマスコロさんの声が響く。


「人気を感じない森にいるうちは、そしてウィリアムと一緒にいるうちは、どうにか気を楽にすることができた。太陽と月、そして星座の位置を頼りに、サリアたちは祖国へと進み続ける」


 ここからは物語の流れが大きく変わる。俺とローラは、今度は一緒に上手へ戻り、次に備えた。俺だけは、先ほどもらったラズベリーを裏方に返し、代わりに長い木の枝を受け取って杖のようにした。

 暗転幕が開き、次のシーンが始まる。ローラが先に舞台へ上がり、俺は杖を突きながらふらふらと後をついて行く。


「ねえ、ウィリアム。私たちが出会ってから、一週間くらいは経つわよね?」


 バミリの位置で立ち止まるなり、ローラが振り返って俺に尋ねる。


「そうだな。今日がきっかり一週間だったはずだ」


 俺はすぐそばにある木のオブジェクトに腕を軽く乗せ、もたれかかりながら答えた。ローラが畳みかけるように台詞を言い、俺は応答を続ける。


「私たちが道中で見つけた食料も、前にあなたがラズベリーをくれてから、それっきりだった」

「ああ。その辺の狐とかを狩りたいところだが、銃声を敵に聞かれるわけにもいかないしな」

「ラズベリーのおかげで、私はまだ歩ける元気が残っているわ。でもあなたは違う」

「昔から食い意地が人一倍あったもんでな。ちょっと食えなくなるだけですぐひもじくなっちまう」

「嘘よ!」


 ローラが地面を踏み鳴らしながら叫び、俺はその勢いに身じろぐ。劇場内にもまた緊張感が漂い始めた。

 ローラが台詞を続ける。


「あなたはあの時、自分も先に食べたってはぐらかしたけど、本当は数日どころじゃない間何も食べていないんだわ。おそらくは、私たちが敗戦した二週間前から一度も。でなければ、この前みたいに気を失って倒れたりしないわ」


 ついに図星を突かれ、俺は黙り込みながら視線を落とした。ローラが肩を貸しながら、木の根元に座らせてくれる。


「急いで食料を探してくる。すぐに戻って来るから待っていてちょうだい」


 そう言うなり、ローラは駆け足で下手へ退場していった。舞台上には、木にもたれかかった俺だけが取り残され、一斉に観客たちの視線が注がれる。

 ここから先は、一切の台詞がない。つまり、演技のみで俺が演じるウィリアムの心情を表現する必要がある。ローラと何度もすり合わせをして練習した、重要な場面だ。


 俺は鼻で深く息を吸い、じっくりと息を吐いた。そして、しばらくの沈黙。

 これから行うことは、相当な覚悟がなければできないし、軽々しく決断できるものではない。だからこそ、ウィリアムには相応の時間が必要となる。また、ウィリアムは絶望しているわけでも、怒っているわけでもない。サリアを守り、未来を託せた喜びで、この時の彼は笑みを浮かべていたはずである。


 杖代わりにしていた大きな枝を持ち上げることで、長らくの静寂は破られる。両手で握り、ゆっくりと先の尖ったほうを心臓に向け、突き立てる。

 俺の動作に合わせ、マスコロさんが上手から合図を始めた。実は、俺がもたれかかっている木の裏側では、一人の裏方が似た枝を持ち、すでに備えている。

 そして、俺が胸に枝を突き刺す素振りをすると同時に、マスコロさんの合図で裏方が杖を思いきり地面に突き刺す。こうすることで、俺が本当に胸を突き刺したように観客を錯覚させるのだ。リハーサルで反復したかいもあり、違和感なくタイミングを合わせることができた。


 観客たちの悲鳴を聞きながら、俺は横ざまに倒れて役目を終える。程なくして、ローラの朗らかな呼び声が下手から聞こえてきた。


「お待たせ、ウィリアム! 大収穫だったわ!」


 ラズベリーを両手に抱えたローラが、下手から戻ってくる。だが、俺がその呼び声に応えることはない。しばらく喋り続けていたローラだったが、ある程度近くまで来たところで、異変に気づいて息を呑む。


「ウィリアム……?」


 ローラがか細い声で呼ぶが、俺はなおも微動だにしない。ぽとぽととラズベリーが転がり落ちる音が聞こえ、そのいくつかが俺の腕にぶつかる。

 程なくして、グランドピアノの音色が聞こえてきた。バトラーさんによる讃美歌の演奏だ。苦しみの先には祝福に満ちた終末があると、優しさにあふれたメロディで語りかけてくれる。まるで、死したウィリアムを労い、傷心するサリアに寄り添おうとしてくれているかのようだ。


「そんな、ウィリアム、どうして」


 ローラが駆け寄って両膝をつき、動かなくなった俺の顔を見つめながら言う。いくら肩を揺すっても覆ることのない友の死に、ローラは俺の頬に涙の粒をぽろぽろと零した。


「ようやくあなたと仲良くなれたのに。あなたのこと、もっと知れるところだったのに」


 俺の頬に触れる指は震えている。深い悲しみのあまり、呼吸すらもままならない。劇場全体を呑み込むほどの嘆きが響き渡り、ここで静かに暗転幕が閉じられた。


 観客の目に映らなくなったところで、俺は上半身を起こし、ローラの肩にポンと手を置いた。ローラは熱演の後、感情移入のあまりすぐに平常心を取り戻すことができなくなる。俺はローラの背中をさすりながら一緒に立ち上がり、ラズベリーや枝を回収した裏方たちと一緒に上手へと引き返した。

 舞台の奥では、パグたちが木のオブジェクトから民家のオブジェクトに取り替える作業を迅速に行ってくれている。その間、マスコロさんがまたナレーションを入れた。


「生きた心地がしなかった。死神に魂を売ったかのような気分だった。何日も夜が明け、また腹の虫が鳴り始めると、友の生かしてくれた証がなくなってしまったような気がして、また寂しくなった」


 パグが俺たちに目配せをし、作業が完了したことを伝えてくれる。民家のオブジェクトは横一列に並べるのではなく、一軒を上手から半分ほどはみ出させるのみだ。パグたちが舞台から撤収する間も、マスコロさんのナレーションは続く。


「なぜ私だけが生き延びたのか。私に生き延びる価値などあるのか。身をひそめて敵兵に怯えながら、サリアは自問自答を繰り返す。そして、神に祈ることが多くなった。友を犠牲にした罪を償うために、私に生きる意味を与えてくださいと、両手を組み、切に願い続けた」


 暗転幕が開かれた。民家のオブジェクトを観客に見せながら、マスコロさんの口からも場面が転換したことを伝える。


「ウィリアムと別れてから、さらに一週間の時が流れる。ローラは遠方に小さな町並みがあるのを見つけ、祖国へ戻ってこれたのだと知る」


 ローラが一人で舞台へと向かっていった。子供たちも、民家のオブジェクトの裏に隠れて準備を始める。俺は上手に隠れたまま、ローラたちの演技を見守った。

 身も心も疲弊し、おぼつかない足取りで町中を歩くローラ。しかし、民家を横切ろうとした先で、銃を持った数人の敵兵が徘徊していることに気づき、慌てて民家の陰に隠れる。

 マスコロさんの合図を皮切りに、敵兵たちが会話を始めた。


「ほかに住人は見つかったか?」

「いえ、まだです」

「そうか。敵国の男は全員殺し、女子供は捕虜にするよう命令を受けている。一人たりとも逃すな」


 敵兵たちの会話により、この町は敵兵による制圧を受けているのだと、観客たちに理解させる。間もなくして、会話を終えた敵兵たちが、一人を残して下手へと退場していった。

 観客たちの注目が、再びローラのほうに集まる。ローラは民家の壁に背をくっつけて腰を下ろし、激しく動悸する胸を手で押さえた。

 ふと敵兵のほうに目をやり、ローラははっと息を呑む。下手のほうから男の子が現れ、敵兵に向かってりんごを投げつけたのだ。

 陰惨な物語にできるだけ関わらせないよう、子供たちには裏方作業を任せている。だが、この男の子にだけは、怖くないから裏方以外もできると名乗り出てくれたので、子役を任せることにしている。


「お前らのせいでお父さんが死んだんだ。お前らなんか死んじまえ!」


 子供が怒りの限りをぶつけると、程なくして下手から母役の女性が現れた。子供を抱き寄せて庇いながら、女性は「見逃してください」と懇願する。しかし、敵兵は聞く耳を持たなかった。


「一人や二人殺したところで大差はないか……」


 そう呟きながら、敵兵は親子二人に銃口を向け始める。親子二人が怯え、敵兵が容赦なく引き金を引こうとした瞬間。ローラが民家の陰から飛び出し、銃口を敵兵に向けながら、叫んだ。


「逃げて!」


 マスコロさんの合図。子供たちによる風船の破裂音。練習したとおりにタイミングを合わせて、ローラが発砲の演技を行う。

 敵兵が腹を押さえて呻いたところに、すかさずもう一発。ローラの銃撃を受け、敵兵はどさりと倒れて動かなくなる。


「逃げて、早く!」


 切迫した表情をそのままに、ローラは再度親子に向かって叫ぶ。女性はこくこくとうなずくと、子供の手を引っ張り、急いでその場から逃げ出した。


 途端、一発の銃声。ローラがよろめき、胸に手を当てる。自身の被弾に気づくのと同時に、ローラは仰向けに倒れてしまう。

 上手から、銃声を聞きつけた三人の敵兵が現れる。まだ息があるローラのほうへ駆け寄り、三人で取り囲み、一斉に銃口を向けた。


 マスコロさんの合図とともに、多く鳴り響く破裂音。敵兵たちはローラの息の根が止まるまで、何度も何度も銃で撃ち続けた。

 標的が事切れたのを確認し、敵兵たちは殺された敵兵を引きずりながら、下手へと退場する。舞台には、仰向けのまま動かなくなったローラだけが取り残された。


 静寂を破るように、再びグランドピアノの音色が響く。先ほどの曲と違い、今度は恩寵を賜る神への感謝が込められた、静かで美しいメロディの讃美歌だ。

 マスコロさんが最後のナレーションを始める。


「薄れゆく意識の中、サリアは安堵した。よかった、私にも生きる意味が与えられていたのだ。私は、尊い命を繋ぎ止めるために、友や仲間たちから託してもらっていたのだ。私の罪は洗われただろうか。友は私のことを許してくれるだろうか。向こうへ着いたら、まずは彼のもとへ謝りに行かなきゃ。サリアは空を仰ぎ見た。空は青く澄み渡り、こちらの穢れを祓ってくれるかのように、眩い光を放ってくれていた」


 バトラーさんの演奏もここで終わる。裏方の手によって、緞帳が静かに閉じられた。俺たちの演劇の終幕である。


 観客席のほうは、いまだにしんと静まり返っている。何も反応がないことに不安が残るが、いちいち気にしている暇はない。みんな、やれるだけのことをやったのだ。

 これから五分のうちに、ばらしの作業を完了させないといけない。俺は倒れているローラのもとへ向かい、手を引っ張って立ち上がらせた。そして、ローラの合図により、俺たちはばらしを開始する。


 民家のオブジェクトを上手へ運んだり、風船の残骸を手で掻き集めたりしていたところ、ここで予想外のことが起こる。一人、また一人と、観客たちが緞帳の裏にいる俺たちに向かって拍手をし始めたのだ。

 俺たちが唖然とする一方、ローラはぱあっと晴れやかな顔を浮かべた。そして、舞台の中央に立ち、俺たちを手招きしながら言う。


「これはカーテンコールよ。観客の拍手に応じて、最後に出演者全員で一礼をするの」


 ローラの指示に従い、横並びになってから緞帳を開くと、観客たちの拍手と歓声がさらに湧き上がった。

 これまで散々馬鹿にしておいて調子のいい連中だなと正直思ったが、今となってはもう些細なことだ。みんな、俺たちローリエ劇団の演劇を評価してくれているのだと思うと、感謝せずにはいられなかった。

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