ローリエを捧ぐ

阿瀬ままれ

序章 ブライダル王家のわがまま姫

「まだしばらく雪は止まなそうね」


 お嬢さまの何気ない一言に釣られ、俺も真横にある廊下の窓に目を向けた。

 三月になっても、窓の外では相も変わらず、雪がしきりに降り続けている。ここブライダル王国は北の最果てに位置しており、年における降雪期間が半年以上も占める。そんなブライダル王国で暮らす俺たちにとって、この光景はもはや見慣れたものだ。


 廊下の窓から目を離し、ぶどう色の艶やかなロングドレスをたくし上げ、お嬢さまは再び先に歩き出す。俺は無言のまま後についていった。

 余すところなく宝石がちりばめられたティアラを被り、艶のある金髪をハーフアップにまとめ、威風堂々とした態度で闊歩する彼女は、名をロリアーナ・リシャール・ブライダルという。このブライダル王国を統べるリシャール国王の長女であらせられる。王族として勉学に励む彼女の日々は、俺なんかでは足元にも及ばないほど、多忙かつ過酷なものだ。

 そんなロリアーナ嬢を、執事としてそばで支えるのが、俺ことアスーム・ジェンキンスの務めである。黒のタキシードを身にまとっているのも、油性のポマードで黒髪をサイドパートにまとめているのも、すべては執事として王室に仕えるためだ。


 だが、彼女の従僕として、俺は一つの悩みを抱えている。何を隠そうこのロリアーナ嬢、次期国王になる気が全くと言っていいほどない。少年のころから付き従い、ロリアーナ嬢に信頼されるようになってからというもの、二人きりになるたびに「勉強つまんない、演劇がやりたい」という愚痴を聞かされているのである。

 ブライダル王国を含むフローラ大陸の国々では、芸術が何よりも重んじられている。どんなに出生が落ちぶれた者でも、一流の芸術さえ身につければ、身分や国境を越えた称賛を浴びることができる。年に一度、先進国が世界有数の芸術家たちを集め、アテナ国際芸術祭という祭典を開催しているほどだ。

 ロリアーナ嬢は、そのアテナを鑑賞しては胸を打たれ、自分もアテナの舞台に立つのを日々夢見ておられる。ロリアーナ嬢自身が演劇を好まれているのもあるが、これには俺にも原因がある。


 八年前、執事室で息抜きに小説の執筆をしていたときのことだ。ロリアーナ嬢が急用で執務室に押しかけ、俺は偶然にも執筆しているところを彼女に見つかってしまったのである。俺は彼女の命令で、自作小説を彼女に献上する羽目になった。

 俺は弱みを握られたと思い、がっくりとうなだれた。だが意外なことに、ロリアーナ嬢は俺の小説を一通り読み終えると、「すごく面白かった」とたいそう気に入られた。それ以降、事あるごとに演劇の道に誘われるようになってしまったわけだ。当然、次期国王になっていただくよう支える身としては、そのような誘いに応じれるわけがないのだが。


「あーあ、演劇がやりたいなあ。私の演技とあなたの脚本があれば、世界一の演劇を作ることだって夢じゃないのに」


 ロリアーナ嬢の私室前に到着し、俺が扉を開けて中に入られるなり、ロリアーナ嬢がまたいつもの愚痴をこぼす。今や俺は二十四歳、そしてロリアーナ嬢は十八歳になられる。そろそろ夢を見てばかりいないで王家の勉強に集中してほしいものなのだが、執事という立場上、なかなか強くいさめられないから困ったものだ。

 俺も彼女に続いて部屋に入る。シャンデリアに燭台、光沢のあるアンティークソファやクローゼット、巨大な姿見にいくつもの絵画と、豪華絢爛な装飾の数々が目に留まる。これらに囲まれた王城での華やかな暮らしも、演劇しか興味がないロリアーナ嬢にとってはどうでもいいものなのかもしれない。

 壁際に置かれたチェストに向かい、一番下の引き出しを開けながら、ロリアーナ嬢はいつもと同じように言う。


「また稽古に付き合ってよ、アスーム。テーブルをお願い」


 俺は従僕なので、彼女の命令にはうなずくほかない。俺はソファの前に置いてある丸テーブルを持ち上げ、ロリアーナ嬢の前まで丁重に運んだ。

 その上に、ロリアーナ嬢がチェストから取り出した物を広げる。俺たちが演劇の稽古をするために、ロリアーナ嬢が俺の小説を基に作成した台本だ。俺たちはテーブルの前に立ち、それぞれ演技を織り交ぜながら、台本の台詞を交互に読み上げていった。

 演劇の稽古は、今のような二人きりのときにお忍びで行っている。ロリアーナ嬢に振り回される形とはいえ、一介の執事ごときが王族の者と慣れ親しんでいるところを誰かに見られたら、問答無用で打ち首に遭うことだろう。だが、ロリアーナ嬢が熱心に演技をなさるお姿を目の当たりにして、俺自身も彼女を説得することができなくなってしまっている。


 ロリアーナ嬢はおてんばでわがままだ。加えてちびだから威厳がまるでなく、いずれ国王になってもうまくやれるのだろうかと度々心配になる。

 だが、こと演劇に対する彼女の熱意と才能は、誇張なしに本物だ。台本の情景や台詞に込められた心情を的確に汲み取り、語気や息遣い、間の取りかた、演技の一挙一動を駆使して最大限に表現する。俺が頭の中で思い描いた小説の登場人物が、本当に目の前に現れたかのようだと、彼女に何度錯覚させられたことか。

 当然、アテナなどで活躍するような一流の芸術家たちには劣ることだろう。しかし、師がいない中、独学でここまで演技を極められるのは天賦の才というほかない。

 もし彼女が王家ではなく芸術家の娘として生まれていたら、アテナの舞台に立つ彼女の姿を拝めたのかもしれない。そんな、考えてはならない空想を時折描いてしまう。

 このことは彼女には内緒にするつもりだ。正直に話せば、さらに調子に乗るのが目に見えている。

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