第60話 僕の魂の在るところ

 

「ねえ、桃ちゃん。この映像、もう一度観せてもらえないかな?」


 僕が頼むと、桃ちゃんは「おうよ!」と気持ちの良い返事をしてくれる。

 そうして再びスクリーンに映し出されたのは、あの黒背景に白い文字だった。


 『人の魂は、人の記憶に宿る』。


 たった三分程度の、僕らの日常を切り取ったショートムービー。

 おそらくはコンテストでの受賞は難しいだろう、世の中にとっては何の価値もないと思われる映像。


 けれど僕にとっては、大事な人と、大好きな街で過ごした、かけがえのない時間がそこに詰まっていた。

 過去の思い出を、僕の人生を再生するかのようなそれは、まるで走馬灯のようだった。


 映像を見ながら、段々と意識が遠のいていくのがわかった。


 もう、目を開けているのも辛くなってくる。


 そろそろ時間なのかもしれない、と思った。


「ねえ、凪」


 隣に座っていた彼に、僕は声をかける。


「手を、握ってくれないかな」


 きっとこれが、最後のお願いになる。

 彼の温もりを、最後まで感じていたかった。


 凪もそれを察してくれたのか、少しだけ驚いたように、けれど何かを悟ったように、小さく頷いて、僕の右手を両手で包み込んでくれる。


 彼の体温と、そこに流れる血の脈動を感じながら、僕は言った。


「凪……今までありがとう」


 視界が霞んで、何も見えなくなる。


 彼の手の感触も、段々とわからなくなっていく。


「美波。……おい、美波!」


 視界も、思考も、すべてが真っ白に塗りつぶされていく中で、凪の声だけが耳に届く。


 人は死の間際、最後に聴覚だけが残るという迷信がある。

 もしかしたら、これがそうなのかもしれない。


 凪が泣いている。

 美波、美波と、何度も僕の名前を呼んでいる。


 応えられないのが残念だった。


(ごめんね)


 美波ぼくが消えていく。


 意識が、空へと還っていく。


「美波。俺、忘れないよ。美波のこと。ずっと……忘れないから」


 最後の瞬間まで、彼は僕に寄り添ってくれた。

 きっとこれからも、僕のことを覚えていてくれる。


 そんな人がそばにいてくれた僕の人生は、間違いなく幸せだった。




 人の魂はどこに宿るのだろう?

 脳か、心臓か。はたまた体の全ての細胞か。


 あるいは記憶に宿るのだろうか。


 もしも魂の在処が記憶にあるとすれば、この世に生きる誰か一人でも僕のことを覚えていてくれるなら、僕の魂はそこに存在する。


 凪が僕のことを覚えてくれている限り、その記憶の中に、僕は生き続ける。




 僕は、愛崎美波。


 体は女だけど、心は男。


 恋愛対象は女性で、明るく元気な、ちょっと強引な可愛い子が好き。


 性別のことで悩んだり、母とケンカしたり、辛いこともたくさんあったけれど、良い友達に恵まれて、幸せな思い出をたくさん作ることができた。


 そして、それを覚えてくれている人たちがいる。


 『僕』が何者であるかの証明は、きっとそれで十分だったんだ。


 凪も、沙耶も、桃ちゃんも、みんなが僕の存在を証明してくれる。


 そして、母だってきっと。




 光希くんは、元気にしてるかな。


 僕はもうそろそろ、お迎えが来るみたいだ。


 夏の終わりまで生きることはできなかったけれど、でも、思い残したことはないよ。


 僕の生きた証はここにある。


 僕が幸せだったことを、覚えてくれている人がいるから。


 だから、お先に。

 

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