第36話 変わっていくこと

 

          ◯



 その日から、俺は何度も愛崎の家に通った。

 何度も会って話すたびに、お互いのことを深く知っていった。

 そうすることで俺はやっと、彼女の抱えている悩みを感じ取った。

 すなわち、彼女は心と体とで性別が違うのだと。


 ——井澤くんはいいよね。男の子でさ。


 彼女は男に生まれたかったのだ。

 女の体でこの世に生まれてきたけれど、心は男そのもの。


 俺と話す時も、単なる同性の友達として接している。

 俺を軽々しく家に誘ったのも、そもそも俺を異性として見ていなかったからだ。


 彼女は俺の前では素の自分でいられる。


 いつも無理をして被っている仮面を取り払って、一人の男であろうとする。


 なのに。


 俺はそんな彼女を一人の女の子として認識して、どうしようもなく惹かれていくのだった。



          ◯



 やがて季節はめぐり、俺たちは中学生になった。


 学校の場所は遠くなり、通学手段は自転車に変わる。

 同級生の数も一気に増え、新しい顔ぶれと対面した。


 環境が変われば、人も自然と変わっていく。

 身近な変化で一番大きかったのは、やはり愛崎のことだった。

 彼女は中学一年の春に、生まれて初めての恋をしたのだ。




「好きな女の子がいるんだ」


 彼女からそんな相談を受けたのは、放課後に二人で近くのショッピングモールに寄った時のことだった。


 学校から歩いていける距離に、年季の入った大型ショッピングモールがある。

 下校時にはそこのフードコートでちょっとだけ腹を満たしていくのが、俺たちの日課になりつつあった。


 この頃にはすでに俺たちの関係は周りに知れ渡っていた。

 異性同士ではあるけれど、恋愛関係ではないただの友達。

 初めはお似合いだと茶化されたこともあったが、愛崎に全くその気がないことは誰の目にも明らかで、すぐにネタにされなくなった。


「好きなか……。そりゃ難儀な話だな」


「そうなんだよ。こっちも見た目は女だしさ。普通に告白しても、たぶん困らせるだけだと思う……。こういう時って、どうしたらいいのかな」


 それを俺に聞くのか、と思った。

 当事者である愛崎にもわからないのに、俺のような身も心も男である人間にそんなことを聞かれても困る。


 それにただでさえ、こっちは目の前の彼女に密かな想いを寄せているというのに。

 いくら愛崎が鈍感とはいえ、あまりにも残酷な仕打ちではないか。


 結局、その後も良い解決策は見つからなかった。

 愛崎は叶わぬ恋を密かに抱えながら、一女子中学生として日々を過ごしていく。


 けれど、彼女は着実に変わりつつあった。

 小学生の頃はあれだけ完璧な優等生を装っていた彼女が、その仮初の姿を崩し始めたのだ。




「昨日、母さんとケンカした」


 言いながら、愛崎はバドミントンのシャトルを頭上へ放り投げ、こちらへサーブを打つ。

 俺がちょっと意地悪な方向へ打ち返しても、運動神経の良い彼女は難なくラリーを続けた。


 放課後の夕暮れ時。

 俺たちは家の近所にある『桜ヶ丘パーク』に来ていた。

 だだっ広いグラウンドの端っこで、二人だけのバドミントンを楽しむ。


 俺はいつもの制服姿だったが、愛崎は体育用のジャージ姿だった。

 ここのところ、彼女は一日中この服装でいることが多い。

 本人曰く、制服のスカートを穿くのがどうしても嫌なのだという。

 教員に注意されてもお構いなしだ。

 

「珍しいな。愛崎が母親とケンカなんて。何をやらかしたんだ?」


 小学生の頃の彼女は、いつも母親の顔色を窺っていた。

 ママ、と呼び慕い、母親の気を損ねることがないよう、細心の注意を払っていたはずだ。


 しかし最近の愛崎は違う。

 もともと母親から言い聞かされていた、「女は女らしく」というルールを平気で破る。

 私服は男物ばかり着るようになり、学校ではずっとジャージ姿でいる。

 さらにはあれだけ長かった綺麗な髪も、今はばっさりと切ってショートカットになっていた。


「やらかしたっていうか……母さんが急にキレたんだよ。の一人称が気に入らないみたいでね」


 彼女は数日前から、自分のことを『ぼく』と呼ぶようになった。


 世の女子中学生の大半は、自分のことを『ぼく』とは呼ばないだろう。

 もちろんゼロではないだろうが、明らかに少数派である。

 少数派であるということは、彼女の母親が許さない。


「僕は放っといてほしいんだけどな。母さんには、この気持ちは理解できないみたいだ」


 彼女は着実に変わりつつある。


 俺が悪影響を与えてしまったのだろうか、と思うこともある。


 彼女にとって何が正解なのか、俺にも、本人にも、誰にもわからなかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る