第31話 愛崎美波

 

          ◯



 愛崎美波は、『真面目』を絵に描いたような生徒だった。


 少なくとも、表向きはそうだった。

 品行方正、文武両道。

 遅刻をすることもなければ宿題を忘れることもない。

 さらには正義感に溢れ、クラスで揉め事があれば必ず仲裁に入る。

 教師やクラスメイトたちからの信頼も厚く、学級委員長を決める際には彼女を置いて他にないという程だった。


「そんな愛崎が鼻にピーナッツねぇ。これはとんでもない弱みを握っちゃったな」


「誰にも言わないって約束して。こんなことが周りに知れたら、学校で笑い者にされる。それに、もしこれがママの耳に入ったら……」


 愛崎はそう言って顔面蒼白になる。

 そこまで気にするくらいなら、最初から鼻にピーナッツなんか入れなきゃいいのにと思う。


 彼女はどうやら祖父母に連れられて病院ここまで来たらしい。

 親は普段から仕事で遅くなることが多く、祖父母の家が近くにあることもあって、そちらに預けられることが多いのだとか。


「じーちゃんばーちゃんの前では調子に乗るタイプか? 気持ちはわからないでもないけど、本当に意外だったな。愛崎がそんなことをする奴だったなんて」


「別に……。誰にも見られてなければ、ちょっとぐらい羽目を外したっていいでしょ。学校ではずっと真面目なをするの、けっこう疲れるんだから」


 もはや隠すものもなくなったとばかりに、彼女は半ば開き直るように言った。

 その口ぶりからすると、普段の彼女の振る舞いは自然なものではなく、少し無理をして作っているものらしい。


「なんか、本性を現したって感じだな。せっかく学校では真面目なキャラを貫いてるのに、そんなにオープンに話していいのか?」


「井澤くんは不真面目だから、少しくらいこういう話をしてもいいかなって思っただけ。それに、井澤くんはあんまり学校にも来ないでしょ。友達もいないから、私のことを言いふらす心配もなさそうだし」


「って、おい。黙って聞いてれば好き勝手に言ってくれるじゃないか」


 俺が不真面目なのも、学校で友達がいないのも確かに事実だ。

 けれどそれにしたって、ここまではっきりと嫌味を言われる筋合いはない。


「悔しかったら学校に来なよ。それから勉強して、クラスメイトとも仲良くして、社会を学んでいかなきゃ。そうしないと大人になった時に苦労するよ」


 さすがは学級委員長だけあって、教科書みたいなことを言う。


「俺はそういうのはいいんだよ。どうせ勉強したって親が喜ぶわけでもないし。将来がどうとか、そういうのにも全く興味がないし」


 人には人の数だけ家庭の形がある。

 俺の場合は、どれだけ真面目に生きていたって、兄と比較されて親に嘆かれるだけだ。

 ならば最初から手を抜いて生きた方が、少しでも気がラクになるというものである。


「井澤くんはいいよね。そういうのが許される家でさ」


 これまた嫌味っぽいことを言いながら、彼女は丸椅子から立ち上がった。

 どうやら彼女の祖父母が諸々の手続きを終えたようで、部屋の端から手招きしている。


 井澤くんはいいよね——と言ったときの彼女は、わずかに顔を曇らせていたように見えた。

 まるで自分には自由がないとでも言いたげなその態度は、俺にとっては八つ当たりにしか思えない。


「おい、待てよ。俺にだって色々あるんだぞ」


 すかさず抗議しようとしたが、彼女はもはや聞く耳持たんとばかりに無言で離れていく。


 悔しかったら学校に来なよ、と、先ほど彼女が口にしていた言葉が脳裏で蘇る。

 こちらを振り返ろうともしない彼女の背中が、もう一度そう語っているように俺には見えた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る