第20話
午前中に予定していた面談を済ませたあと執務室で慌ただしく昼食をとり、急いで山を下りる。午後からの面談に少し遅れが出てしまうのは申し訳ないが、遺体が引き取られる前に渡しておかなければならない。飯山に託された大事な任務だ。
警察署は山から下りて、更に十分ほど車を走らせた場所にある。警察署より少し手前にある消防署は、登山中の遭難などに対応できる人員が配置されていることもあって、田舎の割に規模が大きい。飯山の遺体も、彼らが下ろしたのだろう。
車庫の前を行き交う職員を眺めながら通り過ぎるとすぐ、警察署が見えてくる。信号を一つ越えた先にある敷地に、車を乗り入れた。
署内へ入り、休日窓口で前田を呼んでもらったあと、公務員だったことを思い出す。もしかしたら、今日はいないかもしれない。休みのない生活をしていると、忘れてしまう。でも、職員は「今下りてきます」とあっさり答えた。
言葉どおり、前田はすぐに下りてきた。スーツ姿のところを見るに、普通に仕事をしているのだろう。今回の件以外にも抱えていることがあるのかもしれない。
「ごめんなさい、休日出勤中に」
「いや、大丈夫。ちょっと片付けないといけないことがあって、出てきてただけだから」
それで、と切り出した前田に頷いて、バッグの中からビニールの小袋を取り出す。そのまま、前田に差し出した。
「信じられないと思うけど、今日の午前中に飯山さんの霊に会ったの」
突然の報告に、前田は明らかに面食らった表情を浮かべる。まあ、そうなるだろう。言っていて、私もおかしいとは思った。
前田は小袋を受け取ったあと、私を奥へ呼ぶ。
「続きを」
歩きながら、続きを促した。
「最初は、社殿の外に立って私を見てるのに気づいたの。社殿の中へ吸い込まれるように消えて行ったから、後を追って私も中へ。彼女が救護室へ入って行ったから、私は鍵を借りてから入った」
「それで?」
「彼女は中の、掲示板のところにいた。その体が透けた先に、掲示物の押しピンに掛けられたそのペンダントが見えたの。彼女のものかと尋ねたら、頷いた。多分ポケットかどこかに入れていて、運ばれた時に落としてしまったんだと思う」
前田はパーテーションで仕切られた廊下の一角に私を呼び、本棚から引き出したバインダーを手に腰を下ろす。促す手に応えて、私は向かいに座った。
「中を開いたら、幼い子供の写真が入ってた。彼女の息子さんじゃないかな。多分彼女は、お子さんを喪ったことがきっかけで入信したんだと思う。必ず警察へ渡すと言ったら、消えていった」
あの言葉は、ひとまず省いて伝える。
飯山は、どうしても心残りだったのだろう。もしかしたら、あの子と一緒に選んだものだったのかもしれない。
前田は小袋を開けて、ペンダントトップを開く。中の写真を確かめて、頷いた。
「母親と連絡が取れて話を聞いたけど、子供がいたとは話してなかった。高校卒業後に家を出て、それきりだったらしい」
「そうだったんだ」
宗教に頼ってしまう理由は、人それぞれにあるだろう。飯山にとっても、家は決して心落ち着ける場所ではなかったのかもしれない。
「これは、確かに預かるよ。ご家族が遺体引き取りに来られた時に、忘れず渡す。きっと喜ぶよ」
「ありがとう。よろしくお願いします」
託された任務を無事終えて、ほっと安堵の息を吐く。腰を上げると、前田も続いた。
「今日は、細野さんも?」
土曜日なのに行き来の多い廊下を行きながら尋ねると、見上げた表情が曇る。
「いや、実は亡くなったんだよ。それもあって、今日は出てきてたんだ」
「そうだったの。ご愁傷さまです」
驚いて答えると、前田は沈痛な表情で頷いた。
「煙たがられる人ではあったけど、おかげで捜査の質が担保されてたところはあった。あの人に重箱の隅をつつかれないように、みんな必死だったから」
苦笑で語られる細野の姿は、想像に容易い。うちで言えば、人一倍小うるさい税務係長みたいなものだろう。そのおかげで我が家の確定申告も問題なく行えているが、毎年あの時期は殺伐としてしまう。
「これはオフレコだけど、彼女の司法解剖の結果は週明けには返って来ると思う。結果が出たら、連絡する」
「分かった。今日は時間を割いてくれて、ありがとう」
どきりとした胸を宥め、玄関前で別れて帰路に就く。前田がすぐ対応してくれたおかげで、予定していたよりも早く片付いた。まだ完全解決とはいかないが、飯山もこれで少しは心安らかに眠れるのではないだろうか。……いや、眠れるのか?
今朝の不穏な幕切れを思い出した途端、心がざわつく。霊体だから、あんなふうに攻撃されて消えてもまた再生するのだろうか。もし、完全に消えてしまったらどうなるのだろう。息子の元へ、ちゃんと行けるのだろうか。この世で早くに死に別れ、あの世でも会えないなんてあまりに寂しい。
有慈にちゃんと、聞かなければならないだろう。私になぜ嘘をついたのかも含めて、説明してくれなければ納得はできない。
――ああ、これは苦しいだろう。
思い出すのはあの日、差し出してくれた手だ。額に触れた手の優しさは、まだちゃんと覚えている。有慈はあの時のまま、変わっていないはずだ。
なんとなく泣きそうになって洟を啜りながら、最後の交差点を右折する。視界に現れた山へ向かって、まっすぐに進んだ。
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