まやかしの贄
魚崎 依知子
一、
第1話
ですから、と結びに入った私に、向かいのソファに腰掛けた聞き手が大きく相槌を打つ。その背後にはカメラマンが一人、古びた一眼レフを手に執務室の中を歩き回っている。いつもの広報誌の撮影とインタビューだが、聞き手の方は初めて見る若い男性だった。
「まずは自分が先であると、思い出していただきたいのです。『教主様が助けてくださるなら為す』のでは、自分の足で歩んでいることにはなりません。確かに、何にも頼らず歩むのを怖く感じることはあるでしょう。失敗するかも、と思えば不安にもなりますね。でもその恐怖や不安、さまざまな誘惑に負けずひたむきに進む姿を、教主様はお喜びになります。足が竦んで頼りたくなった時ほど思い出して、祈りとともに足を進めましょう」
微笑むと、聞き手の傍にしゃがんでいたカメラマンが容赦なくフラッシュを炊く。視界に染みつく残像に、何度か瞬きをした。
聞き手はカメラマンといくつか確認を取り合ったあと、向き直って私を見る。少しふっくらした頬にはニキビがいくつか、まだあどけなさの残る顔立ちからして二十代前半だろう。それでも本部にいるのだから、それなりの覚悟をしたはずだ。
「はい、以上でOKです。おつかれさまでした。お時間割いていただき、ありがとうございます」
腰を上げて恭しく頭を下げた聞き手に応え、私も腰を上げる。カメラマンも聞き手の後ろで頭を下げた。
「あなた方もおつかれさまでした。丁寧に対応してくださって、感謝しています。原稿のチェックは来週頃でしょうか」
「はい。出来上がったらまたお持ちしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
では、と再び頭を下げて、二人は執務室を出て行く。ドアの向こうに姿が消えるまで見送ったあと、帯を軽く整えつつ息を吐いた。
確かめた時計は十四時前、十六時からは来訪した九州支部長達との会談があるし、夜には会食が控えている。いちいち着替えるのも面倒くさいから、今日はもう着物のままでいいだろう。
濃色の絨毯に見つけたゴミをつまんでデスクへ戻り、机上に積まれたファイルや決裁待ちの稟議書を一瞥する。四月も下旬となり年度替わりの忙しさが一段落したとはいえ、まだすべきことは山積みだ。目下の大きな悩みは、今週末に迫った
GWの本部には、連日一万人近い信徒が全国各地から集まる。まあそれ自体はいいのだが、敷地に入るまでが問題なのだ。この本部施設は霊峰の中腹にあり、行き来には一般人と同じ登山道と道路を利用する。週末や長期休み、紅葉シーズンともなれば、ただでさえ利用者が増える道だ。そこにうちの信徒達が加わると、人も車も大渋滞が発生してしまうのだ。
もちろん、こちらも何もしていないわけではない。自家用車や登山での来訪は慎み、最寄り駅までは公共交通機関で、駅からは本部が準備したバスで来訪するようにと再三に渡って呼び掛けている。本部にはそれほど広い駐車場があるわけではないから、その意味でも必要な対応だ。
でも、信徒が増えれば致し方のないことなのだろうが、何かと理由をつけて守らない者達がいる。たとえ百人に一人だとしても、一万人になれば百人となる。そして迷惑を掛けられた一般客や周辺住民には、それが一握りの信徒でしかないことなど「どうでもいいこと」だ。うちが自治体や地区に多額の税金や寄付金を納めていたとしても、関係ない。
普段苦労してどうにか維持している周辺地域との信頼関係が危うくなるのが、このGWと正月なのだ。正月はもっとひどい。
「いっそのこと、一般信徒の来訪を禁じられたらいいんだけど」
ぼやきながら窓外に新緑を眺めていると、帯の隙間でスマホが揺れる。取り出して確認した画面には、見知らぬ番号が表示されていた。以前は律儀に出ていたが、信徒がどこかから私の番号を手に入れてかけてきてからは、出ないようにしている。相談や話があるのなら聞くが、ほかの信徒と同じ手順を踏んだ上であるべきだろう。
ただ信徒が十万人を超えた今、教主である夫の
留守番電話の着信を知らせる表示に、アプリを開き再生ボタンを押す。信徒のものであってもなくても、一応は確認しておくべきだろう。
「もしもし、
短いノイズのあと流れ出した男性の声に、襟足へやった指先がぴたりと止まる。驚きが懐かしさに勝る相手が抑えた声で続けたのは、予想もしなかった姉、
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まやかしの贄 魚崎 依知子 @uosakiichiko
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