第1話
アマーリエはこのまま消えたくない一心で自分を素通りする生徒達に呼び掛けていると。唐突に肩を叩かれる。
気付いてくれた人が居たのかと泣きそうになりながら振り向けば、自分を同じように身体が薄っすらと透けている人が立っていた。
その人は20代後半くらいの女性で目鼻立ちがのっぺりとしていた。東の方の国にこういう顔立ちの民族が住んでいると聞いたことがある。
しかし今のアマーリエとってそれは些細なことだった。問題は彼女が死んだ人間だということである。生きている人間に気付いてくれないと意味がないのに、これでは増々自分が死んだと証明されてしまうようなものである。
もしや死神か天からの遣いなのではと嫌な予感が過ぎる。もしそうならこのまま自分は天の国へと案内されるのだろうか。
<ち、違うんです!これは何かの間違いなんです!>
まだ死にたくないと肩にかかっている手を振り払った彼女はどうにか説得を試みようとする。だって自分は事故にも遭っていないし病気にもかかっていない。死ぬような原因なんか無い筈だと命乞いを始めた。
<……何を勘違いしてるか分からないけど、今困ってるんでしょう?私の主人なら解決させてあげられるかもしれないけど……?来る……?>
<へっ?>
目の前の幽霊は死神でも天の遣いでもなかったようだった。しかもこんな事態を解決できるなんてそんな都合の良い話があるのだろうか。
先ほどまであれほど叫んでいたのに、いざ救いの手が差し出されるとアマーリエは咄嗟に躊躇してしまった。
この機を逃したらもう二度と元の身体に戻れない可能性は高い。あの偽物に自分の身体を好き勝手に使われて、周囲の人間からはあれがアマーリエだと認識されしまう。
そして本当の自分は誰にも知られずにひっそりと片隅で漂うか消えてゆくのだろう。きちんと弔われることもされずに。
実を言えば一も二も無く飛びつきたかったが、身体から抜け出た魂を元に戻すなんて魔法は噂でも聞いたことがない。
本当にこの手を取って良いのだろうか。上手い話に飛びついた結果もっと酷い目に遭わないだろうか。いまいち信用きしれず戸惑っていると幽霊はダメ押しと話を続けた。
<私がお世話になってる人はリンブルク家のお嬢さんなんだけど……。噂でなら聞いたことがあるでしょ?>
<リンブルク家!?>
アマーリエは驚きで目を見開く。リンブルク家は貴族なら誰もが聞いたことのある有名な一族の名である。
死んだ人間の霊を使役して行使する死霊術が得意で、その特異性から諜報や工作などの活動を請け負っているそうだ。あくまで噂で実際のところは国王でないと分からないが。
確かにリンブルク家の人間なら一度抜け出た魂を身体に戻すなんて芸当、朝飯前であろう。しかしあの一族は死霊を使うという死の理に反した行いをしているが故に、色々と黒い噂が絶えないのだ。
例えば死霊を使って全ての国民の監視をしていて、国にとって邪魔な人間は悪霊による呪いをかけて殺しているとか。平民を使って人体実験をしているとか。罪も無い人間の命を奪って魂を奴隷のように扱っているとか。リンブルク家は闇を好み、陰湿な家に住んでいて、一族の者は全員黒い髪と黒い瞳の幽鬼のような顔をしているとか。
しかしここで拒否しても他に宛ては無い。誘いに乗って酷い目に遭ったとしても自分の命運はそこで尽きたと諦めるしかない。
<連れて行って!私をあなたの主人の所へ!>
ええい!ままよ!と覚悟を決めたアマーリエは目の前の幽霊にお願いした。彼女の様子は透けていること以外を除けば殆ど生きている人間と変わらない。意思があるようだし酷い扱いを受けているような様子も見られない。
多分付いて行っても悪いようにはされない……筈……、と思いながらわずかな望みを天へと託した。
<分かった、ついて来て。あ、私の名前は「マイ」っていうの>
マイと名乗った幽霊の後を恐る恐る付いて行く。気負うことのない背中を眺めながらこれで良かったのか、今からでも逃げられないかと、覚悟を決めた筈なのにやっぱり少し後悔してしまう。
人が多く行き交う街中をぶつかりそうと反射で身構えてすり抜けるというのを繰り返す。あまり長い距離を歩き慣れていないのに加えて、つい人を避けようとするものだから自然と前を歩くマイと何度も離されてしまう。
<ま、待って……。もう少し……ゆっくり歩いて……>
<あっ、ごめん。もうすぐだから>
身体が無いのにハアハアと息を切らしながら声をかけると、もうすぐと言われてドキリとする。
逃げ出すならこれが最後のチャンスだ。でも逃げたとして酷い目には遭わされないかもしれないが、このまま彷徨う可能性は高い。現に街中を移動していても誰も自分に視線を向けた人は居なかった。
ルカヤ魔法学校の制服は羨望と将来の希望への象徴でもある。貴族は勿論、豊かな生活や向上心に溢れる平民もこの制服に身を包むことに何よりも憧れている。
田舎ならともかくとしてここは王都のルカヤだ。平民でも学校の制服のデザインを知らない者は居ない筈で、幽霊になってもこうして制服姿のままの自分に誰も注目しないなんてことは無い筈なのだ。
誰も自分を見なかったということはつまりそういうことなのだろう。他に助け舟は来ないと見てほぼ間違いない。
<着いたわ。ここがリンブルク家の屋敷よ>
マイの声が聞こえてハッと顔を上げると。目に入って来たのはごく普通の品の良い屋敷であった。噂のような陰気な雰囲気はどこにもなく、リンブルク家の屋敷だと言われなければ見かけても特に気にも留めていなかっただろう。
<本当にリンブルク家の人が住んでるの?ここに……?>
<じゃないと意味ないじゃない>
何を当たり前のことを?と言うように断言したマイはそのまま屋敷へと入って行く。
<あ、そうだ。忘れるところだった>
身体を半分ドアに埋めたマイがその格好のまま振り向く。正直怖いからやめてほしい。
<ドアをすり抜ける時は『すり抜けるぞ』って意識しながら入ってね。じゃないとぶつかるから>
ぶつかる?幽霊なのに?
不思議に思いドアを触ってみる。なぜか自分の手はすり抜けなかったし触っている感触もあった。人には触れられなかったのになぜなのだろう。
とりあえず今度は「頑張ってすり抜ける」と意識して触れてみる。すると手はドアに阻まれずにすり抜けた。
屋敷の中は人間の使用人の他にも幽霊の使用人が彼女達と同じように働いていた。どの幽霊にも陰気な雰囲気は全くなく、何というか生き生きとしている。
<お客様ようこそいらっしゃいました。マイもおかえり>
使用人の幽霊のうちの一人がこちらに気付いて恭しくお辞儀し、マイに気さくに挨拶をする。
<ただいま。あの人は部屋?>
<うん。後で生きてる人がお茶を持って来るから>
<分かった。こっちよ>
促されたアマーリエは屋敷の中を見回しながら付いて行く。行儀が悪いがなんせあのリンブルク家のタウンハウスだ。
本当にごく普通で、幽霊が働いていなければ知り合った貴族の家にお邪魔した感じしかしないのだ。調度品の数々も爵位に釣り合った値段で、かつ嫌味のない物ばかりであるし、屋敷の雰囲気に合っている。
<ここが主人の部屋よ>
マイがノックをし、「入って」と短く了承の声が返る。いよいよ対面だとアマーリエはゴクリと出ない筈の唾を飲み込んだ。
ここまで噂があてにならないと、リンブルク家の一族の容姿も聞いたのとは全然違うのかもしれない。でもこれだけは噂通りだったパターンかもしれない。
そんなことを考えながら部屋へと入る。
「いらっしゃい。待ってたよ」
彼女は噂のような幽鬼のような顔でも、恐ろしい容貌でもなかった。
ハニーブロンドの髪と水色の瞳の彼女はとても可愛らしい目鼻立ちをしていた。どことなく猫を思わせる雰囲気と容貌から少し掴みどころのないような印象を受ける。
彼女の趣味なのか、シンプルな家具や調度品に囲まれた彼女は楽しそうに微笑む姿もやはり猫のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます