三英傑の故郷(仮)

みなと劉

第1話 運命の分かれ道

天正元年、尾張の片田舎。夜の空は黒雲に覆われ、嵐が近づいていた。

雨が激しく屋根を叩き、風が村を揺さぶるように唸りをあげていた。

小さな村の片隅に、茅葺き屋根の古びた家が一軒。そこでは、新しい命が生まれようとしていた。


「……頑張れ、お前ならきっと元気な子を産むさ。」


家の中では、吉井家の家長、吉井信右衛門が妻の静の手を握り、冷や汗を拭いながら声をかけていた。

彼は農民として生き、村では腕利きの猟師としても知られていた。

しかし今、この嵐の夜に彼が願うのは、妻と生まれてくる子供の無事のみだった。

産婆が手を取り、必死に静を励ましながら陣痛の波を乗り越えるように指示する。その時、遠くの雷鳴が轟き、家全体が揺れる。


「ううっ……!」


静が叫び声を上げる瞬間、外の風が一層激しくなり、稲妻が夜空を裂いた。

その一閃が、信右衛門の心に何かを告げるかのようだった。


「もうすぐだ、静!もうすぐだ!」


雨が家の窓を叩きつけ、外の荒れ狂う嵐とは対照的に、部屋の中は静まり返った。やがて、産婆が息を呑むようにして赤子を抱き上げた。

赤ん坊の第一声は、外の嵐にも負けぬほどの力強い泣き声だった。


「男の子だ!」


信右衛門は静の手を握りしめ、涙を堪えた。静もその声を聞いて微笑み、疲れ切った体で赤ん坊を受け取る。


「……この子は……特別な子だわ。」


静は赤ん坊の顔を見つめながら呟く。その目には、ただの母親としての愛情だけでなく、どこか不思議な予感が宿っていた。


「名前を……虎之助にしよう。」


信右衛門は思い立ったように言った。生まれた時に嵐が荒れ狂い、天を引き裂く雷鳴が轟いたその夜、彼は力強い名前を望んだ。


「この子は、きっと強く生きるだろう。嵐のように、どんな困難にも立ち向かって。」


こうして、吉井家に生まれた男児は吉井虎之助と名付けられた。

彼の誕生は、まるで運命に導かれるような嵐の夜に包まれていた。

そして、この小さな村の片隅で生まれた子が、後に戦国の世を駆け抜け、歴史の陰で大きな役割を果たすことになるのだった。


その嵐の夜は、虎之助が生まれた日だけではなく、彼の波乱に満ちた運命の幕開けでもあった。


第一話: 運命の分かれ道


天正八年、尾張の国。

吉井虎之助は、すっかり大人びた青年となっていた。あの嵐の夜に生まれた彼も、今や十八歳。

幼い頃から父の信右衛門に狩りを教わり、体は引き締まり、眼光は鋭く、どこか村人たちから一目置かれる存在になっていた。


「今日は山に行くのか?」


村の入口で、幼馴染の咲が声をかけてきた。咲は虎之助と同じ年頃で、彼の数少ない友人の一人だった。

彼女はいつも明るく、虎之助を励まし続けてきたが、最近は村に迫る戦の気配に不安を隠せないでいた。


「そうだ。今日も父上と狩りに行く。だが、あまり心配するな。」


虎之助は咲に軽く微笑んで見せたが、その笑顔にはどこか影があった。

尾張の地は今、戦国の激流に巻き込まれようとしていた。

織田信長が勢力を伸ばし、隣接する勢力との争いが激化する中、村の人々も次第に戦への不安を募らせていた。


「……気をつけてね、虎之助。最近、村の近くで兵士たちが見かけられたって聞いたわ。父もあまり遠くへ行かないようにって言ってるの。」


咲は心配そうに虎之助の顔を覗き込んだ。

だが、彼はそれを軽く受け流し、矢筒を肩にかけて山の方へ歩き出す。


「心配するな。俺は強いし、父上もいる。それに、戦なんて俺たちには関係ないさ。」


そう言いながらも、虎之助の胸の内には不安がくすぶっていた。

戦の気配は確かに近づいていた。村の外れに立つ砦では、織田軍の動きが活発になり、兵士たちの訓練が頻繁に行われている。

虎之助はいつか、自分たちもその戦に巻き込まれるのではないかという漠然とした恐怖を抱いていた。


山道を進むと、父の信右衛門が待っていた。信右衛門は年の割にはまだまだ力強く、矢を手際よく作るその姿に、虎之助はいつも尊敬の念を抱いていた。


「今日は少し遠くの獲物を狙うぞ。だが、何か異変を感じたらすぐに引き返すんだ。今の世の中、何が起こるか分からん。」


信右衛門の言葉には、ただの狩りではない重みがあった。

戦の影響が山にまで及び始めていることを、彼も感じ取っていたのだろう。


二人が森の奥深くへ進んだその時、風が急に止み、森全体が静寂に包まれた。

虎之助は弓を握りしめ、周囲を見回す。


「……何か、いる。」


その瞬間、藪の中から飛び出してきたのは一匹の大鹿だった。

驚く間もなく、虎之助は冷静に弓を引き、見事に矢を放つ。


「よし、やったな。」


信右衛門が微笑み、息子の成長を誇らしげに見つめる。

しかし、次の瞬間、遠くから聞こえてきたのは、甲高い金属音と叫び声だった。


「……何だ?」


虎之助は父と顔を見合わせた。

その音は、戦場のものだった。

村の近くで何かが起こっている。

二人は急いで山を下り、村へ戻ることにした。

村に戻ると、そこには混乱が広がっていた。織田軍の旗を掲げた一隊が村に侵入し、家々を焼き払おうとしていた。

村人たちは逃げ惑い、数人の若い男たちは無謀にも武器を取って立ち向かおうとしていたが、敵の数には到底及ばなかった。


「父上、これは……!」


「虎之助!村を守るぞ!」


信右衛門は手にした弓をすぐさま引き絞り、織田軍の兵士に向けて矢を放った。

虎之助もそれに続き、戦に巻き込まれる覚悟を決めた。

彼は幼い頃から学んだ狩りの技術を駆使し、次々と敵を仕留めていく。


しかし、圧倒的な数の前に、村は次第に崩壊していった。


「虎之助、咲を探せ!村の外に逃がすんだ!」


父の叫びを聞き、虎之助は咲の姿を探して村の中を駆け回った。

そして、焼け落ちた家の陰で怯えている咲を見つけた。


「咲、ここを出るんだ!早く!」


虎之助は咲の手を引き、村の外れへと急いだ。

しかし、その時、彼の背後で響いたのは父の叫び声だった。


「父上……!」


振り返ると、信右衛門が敵に囲まれ、倒れているのが見えた。

血まみれになった父の姿に、虎之助は心が裂けるような痛みを感じた。


「虎之助、行け!お前は……生き延びろ!」


信右衛門の最後の言葉を胸に刻み、虎之助は泣きながら咲と共に村を後にした。

その日、彼は全てを失った。

しかし、それと同時に、彼の運命は大きく動き始めたのだった。


続く




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