2
気がついた
長い夢を見ていたかのような感覚を脱し、何千何万もの人生の記憶が泡沫となって消える。
懐かしい住処、その匂いを懐かしむ間もなく、碧は彼女を探す。
探そうとして、碧は今自分がどこにいるのかを理解する。
木でできた小屋だろう、狭い室内にいた。
そしていたのは碧だけではなく――。
「おお碧。無事に戻って来られてなによりじゃ」
雲のように掴みどころの無い、だけどその言葉には一定の重さを感じる、そんな声が隣から聞こえた。
「うわでた、あからさまな仙人! じゃなくて
視界に入った、髪の毛は無く、長い真っ白い髭が口元を完全に隠しているたれ目の仙人に驚きながら、碧は大切な人を探す。
その大切な人――翠がいるはずだ。翠は宝石のように綺麗な碧い瞳と白くて長い髪が特徴だ、誰であってもすぐに見つけることができるのだが、なぜかその姿は見当たらない。
もしかするとあの時、翠の命を救えなかったのではないかと考え、血の気が引いていく碧を安心させるように仙人は言う。
「安心せえ。あの時、碧は翠の命を救っておる。ただなんというかの、少々厄介なことになっておるんじゃ」
だからといって落ち着けるわけではない。碧は仙人に掴みかかり、捲し立てる。
「どういうこと⁉ 厄介? 翠はどこにいるの‼」
「落ち着くんじゃ、ちゃんと翠の下へ案内する。……全く、仙女らしくないのう」
碧を宥めた仙人、翠の下へ行くことができる、そう言った。
碧は深呼吸をして、落ち着けるよう努める。
「では、ついてくるんじゃ」
そう言って仙人は、人差し指で糸を引くように上へ曲げる。すると、小屋の木の床が持ち上がり、人一人が通れる程の穴が現れた。
その穴をゆっくりと下降していく仙人。首だけが出ている状態で一度止まり、碧に顔を向ける。
「そういえば、碧は苦手じゃったの。こういった仙術の類は」
孫娘に向けるような優しい眼差しを、そっぽを向いて回避する碧。少し拗ねているかのように口を尖らせて言う。
「ゆっくり降りるぐらいできるし」
「そうかそうか、しかしまだこちらに戻ってきたばかりじゃ、失敗しても仕方ないしの」
ホッホッホ、と笑いながら降りていく仙人を睨みつけながら、汗ばむ手を握り締めて碧も降りていく。
身体を浮かせるだけならまだしも、移動するのは元々得意では無い、おまけにこの世界へ戻ってきたばかりだ。仙人の言う通り、身体を浮かせるだけで精一杯なのだが、笑われたくないという気持ちだけでなんとかゆっくりと下降していく。
その間必死すぎて会話をしていたかどうかは思い出せないが、なんとか足の着く場所へやってくることができた。
なんとか着地した碧は大きく息を吐く。リハビリとしてはちょうどいいかな、などと自分を鼓舞しておかなければ、今すぐ座り込んで震える足を黙らせなければならない。
降りてきた穴は、仙人がまた塞いだのだろう。光は届かず、辺りは闇が満たしている。
そんな中、仙人はどこからともなく取り出した、碧の背丈ほどある杖の先で地面を叩く。
カツン、と岩に木が当たる音が響くと、仙人の持つ杖の頭部分が光を放つ。その光は不思議なことに、周囲を明るく照らすが、仙人や碧が間近にいても全く眩しくない。
「こんな場所があったんだ……」
「ワシ以外誰も知らんよ。まあ碧は知ってしまったがの」
興味深げに周囲を見渡す碧に、付いてくるように促す。
前後左右が岩で囲まれた不思議な場所。出入口は頭上の、あの穴しか無いのだろう。
一つだけ人の通れそうな裂け目があるが、そこは出入口ではなく、奥へと続く通路に見える。そしてその通り、仙人が碧を連れてその裂け目を通る。
「なんでこんな通りにくいの?」
体を横に向けて裂け目を通る碧が、同じように体を横にして通る仙人に聞く。
「簡単じゃよ、ここが誰にも言えん場所だからじゃよ」
「私はいいんだ」
「いろいろあるからのお」
「なにそれ」
呆れた声を出しながらも、碧は翠がどういう状況に陥っているのかを考える。
翠の下へ案内すると言われ、この地下空間へやって来た。そしてここは誰も知らない場所だ。そんな所に連れてこられているのだ、なにか重大なことが起こっているはずだ。
仙人の言ったことを信じるなら、翠の命はあの時、助けることができた。あれから何年経っているか知らないが、その間になにかあったのだろうか。と碧が考えていると、裂け目を抜け、小さな空間へ出た。
仙人は光を消すと再び闇が広がる。
「こっちじゃ」
声でもって碧を誘導する。こっちだと言われてもこの先は壁だ。
「壁だよ」
このままぶつかれというのか。そう思ったがそうでもないらしい。
「まあいいから進むんじゃよ」
ぶつからないから進めと、言葉にはしないがそういうことだ。
今更仙人の言う通りにしない理由は無い。素直に進むことにする。
「あれ――」
いくら歩いても、壁には当たらない。
「なんで?」
驚きながらも立ち止まることはせずに歩き続ける。仙人の姿は見えないが、近くにいるらしく、碧の疑問に答える声が碧の前方から聞こえた。
「暗くなることでなにも見えなくなるじゃろう? 壁があったのに壁が見えなくなる。壁が見えなくなっているということは壁が無くなるということなんじゃよ。そういった術をかけておるんじゃ」
「ごめんよく分からない」
「即答じゃな。まあよい、ワシはそういう碧の仙女らしくないところは嫌いじゃないんじゃよ」
ホッホッホと笑う仙人のいるであろう場所を睨みつける。
「それって褒めてる?」
「もちろんじゃ。仙人や仙女は無欲なものにしかなれぬ。そして無欲がゆえに、感情が乏しい者が多い。もし、強い欲を持つ者が現れた時、それに対抗できるのかと言われると、どれだけ強い仙術を使える者でも対抗するのは難しい。そう――翠のようにの」
その言葉に碧が息を詰まらせると、闇が突如晴れ、一つの空間に出た。
光源は見当たらないが明るい空間、広さは人が十人入る程度、そんな部屋の中央には岩でできた台座のような物があり、その上で一人の女性が横たえられていた。それが誰かなど、碧に説明は不要だった。
「翠⁉」
静かに目を閉じているのは、碧が今一番会いたかった大切な人。
碧は翠に駆け寄るが、すぐにおかしなことに気づく。
「なんで……目を覚まさないの?」
綺麗な水平だが、台座は岩だ。そこで眠れているのもおかしいし、碧が声を出して近づいても目を覚まさない。いつもの翠なら、碧の声で目を覚ますはずだ。
試しに翠の身体を揺すってみる。肌は温かく、死んでいないことは分かるが、どれだけ声をかけても、どれだけ揺すっても、一向に目を覚まさない。
「ねえ翠! なんで? 私だよ、碧だよ!」
「これが少々厄介なことなのじゃ」
「どういうこと……?」
縋るような目を向けてきた碧に、仙人は敢えてゆっくりと言葉を発する。
「碧があの時使った禁術があったじゃろう」
それは、人を蘇らせるという禁術。碧の犯した罪だ。
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