第43話 2024/10/5 11:08

『あれっ? てか、フィーネちゃんとセルシアさんが結婚?』

『はあっ!?』

『えっ、まだ無理ですよ?』

『まだ!!?』


 フィーネちゃんが冷静にツッコミを入れる隣で、セルシアさんとガンホムさんが声をひっくり返らせている。


『ああそうか、合法的には十八からか。でもさっき、ディゾールさんのこと義理のお兄さんって』

『ああ、そういうことか。ディズは日本に来る時にウチの養子になったんだよ。この二人がくっつくからあいつが義兄弟になったわけじゃねえよ』

『フィーネさん、まだって?』

『え、そのままの意味ですよ。無理です』

『二年後は?』

『できるようになると思いますよ?』

『できるかできないかじゃなくて……』

『俺の目が見えねぇうちは許さん』

『見えないうちですか、厳しいなぁ……』

『僕んとこ医者のパイプ太いッスよ、診てもらいます?』

『治す方向で話進むと思わんかったわ』

『兄様の目が治るのは嬉しいですね!』

『別に不自由はしてねェんだがな……見えてなくても負けねぇし』

『ほー、よく言うよ外じゃ俺に肩借りっぱなしのクセしてよ』

「げっ、ディズお帰り」

「げって何だ、げって」

「またお父さんの悪口ですか? ガンホムさんも懲りないですね」


 ディゾールさんとウルスラ君が帰ってきて、自然に会話が日本語へ切り替わる。この国ではなかなか見られない面白い環境だ、きっとウルスラ君も近いうちに英語をマスターして世界へ羽ばたいていくんだろう。

 会話に入れなくなったセルシアさんが、僕に椅子を寄せてきた。

 他の人達に聞こえないように囁くような綺麗な声で話しかけてくる。


『ねえ、クリス君。リノちゃんは、自殺しようとしたんじゃありませんか』

『……あー』


 そういえば、この人には、僕の自殺願望を話した気がするな。僕はドキリとする鼓動を深呼吸で整えつつ、口を開いた。


『……そうだよ。あいつが患ってたのは死にたいという願望だ。他の何の病気でもない。あいつは自殺未遂を起こして、意識を失ってる』

『そうですか。それじゃあきっと、それは僕のせいです』

『えっ……?』

『『僕の自殺が失敗したら、セルシアさんのせいだからな』と、前に言われました。僕が彼に生きていてほしいと願ったから、彼は死にきれなかったのかもしれません。

 ごめんなさい。僕がいなければ、リノちゃんの企みはちゃんと成功して、君は自分の人生を生きられたかもしれないのに。彼が戻ってくるかもしれないという望みを捨てられないから、君は他の選択肢を選べなくなっている』

『……はぁ……?』


 何を、言われているんだ、僕は。

 僕が自殺しようとしたことに、お前は関係ない。

 しかも、それをクリスに伝えることで、クリスがどんな気持ちになるか。

 救われる? そんなことはないだろう。

 僕は、どんな反応をすれば正解なんだ?

 ただひたすら怒りが湧いてきて、どうしようもなかった。


『……もしかして僕、マウント取られてるの?

 悪いけど、僕はあいつが死ななくて本当に良かったと思ってるし、あいつが元気で戻ってきてくれるなら何を差し出しても良いんだよ。

 僕の人生なんて元々、あいつのためにあるようなもんなんだ。僕とあいつの生き方に、お前なんかが割り込んで影響を与えられると思うなよ』


 このあいつって、まあ実際にはクリスのことなんだけど。

 それでも僕の怒りは本物だった。


『……そうですか。』


 僕が感情のままに言葉をぶつけると、セルシアさんは酷く悲しそうな顔を一瞬見せて、それから口元だけ、ふわりと笑った。


『どうしてそんな顔をするの』

『……。僕はあの子に、なぜ生きているのかと問われました。僕はその場でちゃんとした答えを返せなかった。それが、とても心残りになっていたんです。そして今日、彼が自殺未遂をしたと聞いて……。

 ……彼に、健やかに生きていてほしかった。それが叶わないなら、せめて彼の望みが叶ってほしかった。今の状態は、きっと彼の最も望まない事態でしょう。

 僕は……それがとても悔しくて。自分にも腹が立っていて。君のことも、そうじゃないだろうと叱りつけたくてたまらない』

『……そんなの、……勝手じゃん』

『そうですね。僕は、勝手で、傲慢なんです。僕が関わったからには、皆幸せになってほしいんですよ。』


 ああ、お前はやっぱり、光の使徒だ。

 人に夢や希望、生きる支えを与える人だ。

 僕はもう、お前には縋らない。

 お前が僕にもたらしてくれる世界なんて、くそくらえだ。


『……リノはね……そうやって、ありのままを許されて、幸せに生きてほしいと願われることこそが苦痛だったんだ。自分自身が自分を許せないのに、周りが無理解に肯定してくるのを、自分が他人を惑わすせいだと思っていた。だから愛されれば愛されるほど、死ぬしかなかった。

 だから今の状況は、罰でもあるし、救いでもあると思うんだ。あいつのしたことは許されない。クリスを……僕を苦しめていると分かっていて、僕があいつのことを恨んでるのも分かっていて、起きたら恨み言のひとつやふたつ言われるのを覚悟したまま眠ることができる。いっそ、ワクワクしてると思うよ。僕が人生を台無しにされたと詰れば、あいつは泣いて許しを請うて喜ぶと思う』


 時折、夢に見る。

 リノの中のクリスが目覚めて、体を返せと僕に詰め寄る光景を。

 僕は嬉しくて、クリスを抱き締めながら、泣いて謝るのだ。

 ごめんなさい。

 お前を巻き込みたくなかった。

 でもお前のために生きられた。

 僕は幸せ者だ。

 お前を台無しにしてしまった。

 一生恨まれても仕方ないから。

 僕を、悪だと。

 僕を許さないと言ってほしい。

 その言葉があれば僕は死ねる。

 次こそ確実に。

 悪役に相応しい終わりを得て。

 つまり、お前からの愛を得て。

 僕は僕のまま。


 愛してるって、そういうことだろ。

 僕のありのままを見て言ってくれ。

 僕の本性を知った、お前の口から。

 お前は救いようがないなそんなお前を愛してるって、言ってくれよ。


『……だから、大丈夫。セルシアさんはこれからも、みんなのヽヽヽヽための歌を歌い続けて。僕らのことはもう、思い出さなくて良いから……』


『……君は、誰?』


『えっ』


 セルシアさんが声を一段とひそめ、険しい顔になった。


『君はリノちゃんのことを理解し過ぎている。

 僕がリノちゃんから聞いていたクリス君像と、一致しない。

 あの子は、大好きな君に自分のことを打ち明けられないからこそ、綺麗な幻想の自分を維持したまま死を選ぼうとしていたはずだ』


 話し、過ぎたか。

 僕の、リノのことを。

 全身から血の気が引いた。

 クリスとして振舞えなかった。

 リノのことを完璧に理解する僕は、

 当然、クリスなんかじゃない。

 ここから何と誤魔化せば。

 喉が、ごくりと鳴る。

 助からないかも。


『……秘密だよ』


『君、もしかして、リノ……』


「あの、そろそろ僕、失礼しますね! 引き続き学園祭を楽しんでください!」


 わざと日本語で明るく言って席を立ち、甘口スマイルで皆に手を振ってから、僕は逃げ出した。

 駄目だ。あの人は駄目だ。

 このまま見抜かれたら、きっとまた、リノは。

 僕は。

 何もかも投げ出して、溺れてしまう。

 最低の僕と、最悪のあの人。

 相性が良すぎて、止まれなくなる。


「っ、インカー……助けて……」


 僕はうわ言のように呟きながら、空き教室に駆け込んでLINEを開いた。

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