第10話 交錯する想い

 静かに涙を流すヴァイオレットを前に、ルーシーとアリアは痛感していた。想像している以上に彼女が苦しんでいたことに。

 いつも飄々ひょうひょうとしていたため、ここまで傷ついているとは思っていなかったのだ。


(でも、そうよね……両親や一部の使用人からは本気で心ないことを言われて、市民からはお飾り令嬢とか無能とか陰口を叩かれるんじゃ、何も感じないはずがないものっ……)


 ルーシーは唇を噛んだ。激しく自分を責めた。

 どうして自分はそんな当たり前のことに気づけなかったのか。義姉なら大丈夫だと思ってしまっていたのか——。


(っ……でも、私に泣く資格なんてないわ。泣きたいのはよっぽどお姉ちゃんのほうなんだから)


 ルーシーは涙を堪えながら頭を下げた。


「ごめんなさいっ……辛い思いをしているのにも気づかずに、良かれと思って自分勝手な意見を押し付けちゃって……!」

「僕もごめんっ……」


 アリアも拳を握りしめつつ、謝罪の言葉を口にした。


「ヴィオラがそんなに辛いんだって知らなかった。恋人なんだから一番に寄り添ってあげなきゃいけないのに……本当にごめんっ……!」

「へっ……? あっ、いやいや、別に二人を責めたいわけじゃないよ⁉︎ ルーシーが私を気遣ってくれてるのはわかってたし、リアにはいつも支えてもらってたから!」


 ヴァイオレットはあたふたと弁明した。焦りでいつの間にか涙は止まっていた。


「それにほら、いつまでも今の関係を続けていられないのは事実だしね。リアム様もいずれは婚約者探しに着手するだろうから」


 アリアの双子の兄であるリアムは魔法の研究者だ。

 研究に集中したいから女避けになってくれれば自分もありがたいと言って、形式上だけヴァイオレットの恋人になってくれていた。


 当然だが、彼の協力がなければアリアがリアムとして会いにくる入れ替わり作戦は使えない。

 白昼堂々と同性同士で愛を育めているのは、他ならぬリアムのおかげなのだ。


 今は研究に没頭しているようだが、彼だっていずれは身を落ち着けるはずだ。

 そうなったらいずれにしろ対策を考えなければならないし、何よりいつまでもリアムの好意に甘えているわけにもいかない。


「えぇ……そうね」


 ルーシーが袖で目元を拭いながら同意した。


「でも、婚約者に関してはもうちょっと別の道も探ってみるわ。結局はお姉ちゃんの立場が悪くならなければいいわけだし。ただ、ごめんなさい。舌の根も乾かないうちに何様だって思うだろうけど……やっぱり魔法だけはもう関わってほしくないわ」


 ルーシーは罪悪感を浮かべつつも、瞳には強い決意の色を宿らせていた。


「……リアも?」


 ヴァイオレットは寂しそうな表情で恋人に問いかけた。

 アリアは申し訳なさそうにうなずいた。


「うん……ヴィオラが己を犠牲にできるほどに魔法が好きなのはわかってるけど、僕も危険なことはしてほしくないな。今回も、ヴィオラが黙って魔導書を入手してるって聞いたからルーシーさんに協力したんだ」

「うっ……約束破っちゃってごめん」


 二人の出会いも破壊魔法がきっかけだった。

 恋人になったときに、破壊魔法にはもう関わらないと約束していたのだ。


「それはいいよ。僕もただ自分の意見を押し付けちゃってたし……でも、ヴィオラだってわかっていたんでしょ? 自分の魔法熱は安全な範囲で収まらないって。だから、ルーシーさんにも本気の本気では抵抗しなかった」

「うっ」


 ヴァイオレットは言葉を詰まらせた。図星だった。


「でも、それだけ好きなものを一生涯我慢しろっていうのも酷な話だと思う。だからヴィオラ、一緒にジング帝国に行かない?」

「ジング帝国? あの魔法大国の?」

「うん。あそこなら、魔法の研究もこの国とは比べ物にならないくらい進んでる。情報も秘匿ひとくされているし、行けば破壊魔法に関しても何か掴めるかもしれない」

「でも、あそこは私たちじゃまずいけないところよ」


 世界一の魔法大国との呼び声も高いジング帝国は、入国審査が異様に厳しいことで有名だ。

 選りすぐりの研究者や王族クラスでなければ、まず土地を踏ませてすらもらえないらしい。


「以前にリアムお兄様が研究チームの一員として行ってるから、それなりの成果とお兄様のコネでいけるはずだよ。いつになるかはわからないし、それで必ず状況が改善するかはわからないけど、私も協力するからそれまでは我慢してもらえないかな?」

「うん、わかった……リアともっと会えるなら」


 ヴァイオレットは視線を逸らしつつ答えた。

 次の瞬間には、アリアに抱きすくめられていた。すでに入浴はすませていたのか、甘いミルクの匂いが鼻腔をくすぐった。


「もちろん。ヴィオラが望むなら僕はいつだって駆けつけるよ」

「っ……!」


 女性にしては低い声で耳元にささやくように言われ、ヴァイオレットの全身をゾクゾクとしたものが駆け巡った。


(やばい、これ……!)


 脳がクラクラした。

 しかし、すぐに現実的な問題があることに気がついた。


「……でも、多分お母様が許してくれないと思う」

「……確かに」


 ——それはそうだろうな、とアリアも思った。一週間に一度しか会っていない今でさえ、オリヴィアは顔を合わせるたびに嫌味を言ってくるのだ。

 彼女の悪口はすべてリアムに対するものなのでアリアには全くといっていいほど響いていないが、それは今は関係のないことだ。


(でも、ヴィオラが僕と会うことで魔法を我慢できるのなら、少しでも力になりたい)


 そのために協力を仰げる人物など一人しかいない。

 アリアは名残惜しさを感じつつも、ヴァイオレットを解放した。腕を体の横にピタリとつけてその人物——ルーシーに向き直り、深く腰を折り曲げた。


「ルーシーさん、僕とヴィオラの会う頻度を増やすために協力してくれませんか。もっとイチャイチャの時間を増や——ヴィオラの安全のために」


 相手は年下だが、自分よりも上の位であるため敬語を使った。

 ヴァイオレットに対してタメ口なのは、彼女に強く要望されたからだ。


 ルーシーは一瞬も躊躇ちゅうちょすることなくうなずいた。


「もちろん、私ができることは何でもします。お姉ちゃんの身の安全のためにも、精神的な安らぎのためにも」

「でも、ルーシーの立場が悪くなっちゃうかも」


 ——相変わらずこの人は優しいな、とルーシーは苦笑した。

 だが、それは杞憂きゆうだ。笑顔のまま首を横に振った。


「気にしないで。家に第三勢力はいないから足元をすくわれることもないし、お姉ちゃんを追い詰めていたせめてもの贖罪しょくざいよ」

「贖罪なんてそんな、ルーシーは悪くないんだから責任を感じる必要はないよ」

「ううん。これは私自身の問題だから」


 ルーシーは迷いなく言い切った。


「……そっか」


 ——そこまでの明確な決意を示されては、ヴァイオレットもそれ以上は何も言えなかった。


「今更だけど、ルーシーさんってヴィオラのことをお姉ちゃんって呼ぶんですね」

「——あっ」


 アリアに意外そうに指摘され、ルーシーは口元を抑えた。


(やってしまった……!)


 他の人がいるときはお姉様と呼ぶようにしていたが、感情がたかぶって気がつけばお姉ちゃんと呼んでしまっていた。


「ふふ、そうなの。この子ってば可愛いでしょ?」

「か、揶揄わないでっ!」


 ルーシーはニヤニヤ笑う義姉の二の腕のあたりをペシっと叩いた。


「いたっ、暴力変態!」

「変態はお姉ちゃんよ!」

「ちゃんと仲良しですね」


 アリアはクスクス笑った。ふと真面目な表情に戻って、


「でも、だからこそ少し疑問なんですけど、ルーシーさんはなんというか、結構複雑なやり方をするんですね。両親の前ではあえて対立してみせて、その構図を利用してヴィオラの暴走を防ぐって。そのほうが魔導書とかを取りあげやすかったのでしょうけど、もう少し寄り添うやり方もあったのかなって思うんですが——あぁ、別に責めてるとかそういうんじゃないですよ?」


 ルーシーが彼女自身を責めるような表情になったのを見て、アリアは慌てて言い添えた。


「それは難しいと思うよ」


 答えたのはヴァイオレットだった。


「だってルーシー。九歳のときまでは本当に私のことを敵視して見下してたもん。それこそ両親みたいにね。でも、あるときから裏では優しくしてくれるようになったんだ」

「そうだったんだ……何か転機でもあったんですか?」

「……まあ、はい」


 ルーシーの返事は歯切れが悪かった。


「なるほど……そういうことなら納得です。今さら立場を一変させてややこしいことになっても面倒ですしね——そういえばヴィオラ」


 あまり突っ込まれたくないのだと察したアリアは自分で話題を締めくくり、ヴァイオレットに目を向けた。


「何?」

「君の婚約者に関して一つ相談があるんだけど——」


 アリアは躊躇ためらうように視線を宙に彷徨さまよわせてから、覚悟を決めたように真っ直ぐ恋人を見た。


「リアムお兄様と本当に婚約すれば、私たちが会えなくなるリスクが高まるどころか逆に低くできるかもしれないよ」

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