1章16話:私を見つけて

 ーー世界の終わり。


 かみさまのその言葉通り、樹海はどんどんと広がっていった。

 北湊全域を飲み込み、県を飲み込み、その山を超えた県をも侵食し始めた。

 一体何人の人間が死んだことだろう。けれど僕にはもうこの樹海を止める術はないし、止める気もない。ち囮が居ないならこんな世界どうでもいい。


 ある日、ち囮のお墓参りをした。北湊の共同墓地とは別に、ち囮のお墓が建てられていた。かみさまの配慮だろう。

 僕はお墓の前で一晩中泣いた。何度も何度も謝罪して、涙が枯れ果てても泣いた。


 僕が泣いている間もかみさまは結構忙しかった。

 この樹海の拡大を止めようとするナニカと戦っていたらしい。戦っているといっても一方的な虐殺に等しかったが。

 かみさまと戦った相手の亡骸は、見飽きるほど見てしまった。

 お墓参りの翌日には隣県をほぼ全て飲み込んだ、とかみさまが笑っていた。あはははははは、と狂気に塗れた笑い声をあげるかみさまを見て、本当にこれで良かったのだろうかと思ったけど、僕は考えることをやめた。もう彼女は止まらない。


 かみさまが戦っていない時は、2人で街を歩いた。全てが彼岸となった街でかみさまは信仰を取り戻し、完全に実体化していた。


「やっぱほの囮にはロリータ似合うよ!」

「また僕がいない間に変な現代知識を仕入れちゃってまぁ……」


 2人でショッピングをした。双子コーデ! といって、2人とも甘々なロリータ服を着た。恥ずかしかったけど、かみさまが喜んでくれるならいいか。


「本は教養だよ〜。特にイギリス文学は全部読むこと。いいね? いいよね?」


 2人で朝から晩まで本を読んだ。図書館の本は樹海の侵食の中でもまだ残っていたから、大きな本を2人並んで読んだ。

 英国文学が特にお勧めらしく、沢山の名作を読んだ。『シェイクスピア』、『ルイス・キャロル』、『モンゴメリ』、『スウィフト』、『クリスティ』。特にかみさまは不思議の国のアリスが好きなんだそうだ。僕も、かみさまと同じだった。


「ちーず! おお、凄いね、これが最新のカメラかあ」

「アプリでモリモリですね……」

「あははははは! ほの囮の目! どんどん大きくなるね!」


 2人でお互いの写真を撮った。本当はプリクラをやってみたかったけど、電気が通ってないから使えなかった。残念。


「死ぬ死ぬ死んじゃうってぇぇぇぇえ!?」

「ひゃっほぉー!!!」

「ほらそこ木あるからぁああああ!」

「華麗なドリフトを決めてみせるんよ!」

「誰だかみさまに車のアニメ勧めた奴ぁぁあ!!」


 2人でドライブをした。

 車の運転なんてやったことあるはずもなく、何度も事故りそうになった。かみさまは「デスドライブだ! あはははははっ!」って楽しそうだったけど。僕は何度か死にかけたのをちょっと根に持ってる。まぁ、もう死なんて怖くもないか。


「チェックメイト」

「お、おぉ、ほの囮強くなってきてる?」

「え、もしかして勝ちですか?」

「まだまだ甘いけどね〜。はい、ここをこうしてしまえば」

「うぐっ……そんな手が」

「チェスでいうチェックメイトは勝ちましたっていう勝利宣言だからね〜。外すと本当に恥ずいよ〜?」


 かみさまと朝から晩までボードゲームをした。かみさまの得意分野はチェスで、彼女には何度挑んでも勝てなかった。躍起になって教本を読み漁ったけど、どんな戦法でも勝てなかった。曰く「いい線はいってる」らしい。まぁ、勝てなきゃ意味ないけど。


「いいね、こっちも上手くなってきてる。速度あげるよ?」

「ーーッ!? 上等ですよ」


 どんなに遊ぶ日でも、チェスの教本を読み込む日でも、かみさまが日中留守にしている日でも、夜になるとピアノだけは怠らなかった。

 彼女の弾く、生きてるかのようなピアノの音は再現できないけど、それでもそこそこ形になったとは思っている。

 音符の連なりに息吹を与えて踊り出させるかみさまの圧倒的な技術に対し、僕の小細工は通用しないので、おとなしく彼女を真似することにした。それでもコード進行だけはアレンジを加える。

 薄気味悪いコード進行を好む彼女に対し、僕はそれを滑らかに支える。好き勝手に弾く彼女の前に道を敷いてあげるかの如く、僕の音も前に出る。

 師匠を自称するかみさまから、『合格証書』なるものを手渡されるまで、月日にしておよそ3ヶ月がかかっていた。


 そうそう、そんな終末生活の中でかみさまが思いもよらぬことを始めた。


「ほらほの囮、森の中でピアノを弾く美少女、絵になると思わない?」

「……同接、20万て」


 それが配信だった。ここに電波が立っていることも驚きだったけど、それ以上にかみさまが配信活動に積極的だったことも驚いた。なんでも、僕の体で北湊を滅亡させた際にも配信活動を行なっていたのだとか。何をしたのかは、聞かないでおこう。


 こんな終末世界で、僕らは遊んで遊んで遊びまわって。

 


「これは、多分勝てないかな」



 終わりは当然のようにやってきた。


◇◆◇


「ほの囮、楽しかったね」

「ええ、そりゃもう最高の日々でした」

「うんうん、やっぱり人生楽しいのがいいよね〜、あははは!」


 はしゃぐかみさま。いつものような笑みではなく、少し悲しそうな笑みを浮かべる彼女を見て、僕は呟くように尋ねた。


「……あの、終わり、なんですか?」

「うん、多分ね」


 僕らの視線の先、そこからこの絶望的な状況が見えてくる。

 




 ーー神々しいほどの緑を誇っていた樹海は、今やそれを全て赤に塗り替えるほど巨大な炎に巻かれていた。





 かみさまの樹海は岐阜の飛騨地方や長野の諏訪地方あたりから何者かの妨害を受けてストップし、さらに東京の攻略にも失敗した。そもそもかみさまが最前線に出てる訳ではないので、誰かに止められるというのはあり得る話であった。

 問題はそれから。各所からナニカが迫ってきている。僕には神様の世界のことは分からない。けれどかみさま曰く、勝てないとのことだった。

 僕の視界からみて南の方、炎の海が樹を飲み込み、火砕流の如くこちらに向かってきている。


「いやはや予想はしてたけどアレは無理だね。両面宿儺(りょうめんすくな)、予想以上だった。ちょっと規格外すぎる。あれ最近神になった子なんじゃなかったっけ? 才能って恐ろしいね」

「神にも才能とかあるんですか」

「あるある。あの櫛引(くしびき)って子は巫女上がりみたいだけど、この現代であの才能。どんな半生を歩んだらアレだけの怨念を取り込めてしまうんだか」


 曰く、それらが北湊に到達するのも時間の問題らしい。終わりの時は刻一刻と近づいていた。

 

「プリクラ、撮りたかったな」

「……ですね」

「ねぇ、もしあの時2人で戦ってたら、プリクラ撮れたかな?」


 あの時、というのはあの病院での話だろう。僕の心が折れてしまったあの日、体の主導権をかみさまに渡してしまったあの日。

 あの日から、既に滅びの運命は確定してしまっていた。


「私ね、北湊を滅ぼすっていう宿願は叶ったから後悔はないの。でもね、ほの囮とだったらもっと楽しいこと出来たと思うんだ」

「……………」

「あーあ、ゲームオーバーかあ」


 かみさまの本音は分かりにくい。例の2ヶ月+この半年間、彼女と一緒にいてそれがよーくわかった。どこまでテキトーでどこからが本気なのか、雲のように掴むことのできない少女だった。

 けれど、今のは本音だ。これは間違いなく断言できる。かみさまは何かの理由で北湊を滅ぼしたがっていた。その言動は常にそこかしこに散りばめられていた。

 けれどその一方で、彼女は生きようとしていた。神様が生きようとしていたっていうのはなんか変な話だけど、確かに生を楽しもうとしていた。

 何か違う道があったんじゃないかって思う。もっと何か、かみさまがそんな悲しそうな笑みじゃなくて、心から笑えるようなそんな道(ルート)が。


「僕は……逃げてばっかだ……」


 思わず呟く。


「へ?」

「僕があの時踏ん張っていれば、何か変わっていたかもしれない。僕が戦うことから逃げたからかみさま1人に背負わせた。……最低だ。さいてい……だ」

「ほの囮……」


 悔しくて悔しくて、また涙を溢す。

 人生は一度きり。あの時の逃避が、全てを滅ぼしてしまった。一度きりだからこそ人は逃げずに踏ん張れるのに。

 ああ、この世界がゲームだというのなら、やり直せたらどんなにいいだろう。


「まだかみさまに美味しいものを食べさせてないし、行きたいとこだって沢山あるし、やりたいこととか、まだたくさんあって……。こんな、こんなことさせる為に樹海から出てきたわけじゃ、なくて……」


 こんな滅びの景色じゃなくてもっと楽しいことを見せたかった。一緒に見たかった。これじゃ後悔してもしきれない。

 かみさまの手が僕の頭を撫でる。

 優しくて、それでいて哀しそうな表情で、僕を見つめていた。こんな表情だって、させたくはなかったというのに。

 

「後悔してる? 私と出会ったこと」

「違う!!! 僕はかみさまに出会えてよかった! 僕に色んな初めてを与えてくれた。ピアノも、釣りも、料理も、チェスも、幸せも温もりも、ぜんぶぜんぶ!」

「……………そっか、えへへ、そっか」

「後悔なんてするわけない! 僕は……貴方を幸せに出来なかったことが何より悔しくて……だから……」

「違うよ、ほの囮」


 首を横に振る。彼女は今までにないほどの笑みで言った。




「私は幸せ。目覚めてからずっと、ほの囮が近くにいて私は1人じゃなかった。だから幸せ。それを否定する権利はほの囮にもない。紛れもなく幸せだった」




「かみ、さま……」


 かみさまの本心。

 それは、僕にとっては少しだけ救いだった。

 僕はまだ彼女がどんな時に幸せと思うのか知らない。彼女が何を求めて、何を憎んで、何を背負ってこんなことをしてしまったのかも知らない。

 けれども確かに今この時、彼女は本心から幸せだといってくれた。

 だとしたら、僕は彼女の幸せを自分の幸せとして受け入れるべきだ。この結末も、彼女自身が追い求めた選択だったのだから。


 けれどそんなことを彼女は許さなかった。


「ほの囮が何考えてるかわかるよ? でもごめんね。ほの囮はちゃんと自分の幸せを見つけるべきだよ。きっと今のままじゃ、君は私と死んでも幸せじゃないだろうから」

「なーーッ!? そんな、こと!」

「ねぇ、ほの囮。もう一度やり直せるとしたら、君はこの未来を肯定する?」


 何を言っている。やり直せる? そんなこと、あるわけ……。

 肯定する筈がない。哀しそうに笑う貴方を見たくない。笑ってほしい、一緒に笑っていたい。


「だよね。じゃあ駄目だ、君はこの未来に来ちゃいけない」

「でも、もう、何もかもが……遅いんですよ」

「遅くないよ。私がゲーム盤をひっくり返す」


 ゲーム盤を、ひっくり返す? 何を言って……。


「多分たった1度しかできない。山の神の力を全て費やして、私はこれから彼女らに討たれる。

 けれどこの1度でほの囮が肯定できる未来になったとしたら……


 


 君は君の幸せを見つけてね」




 ああ、違う。

 違うんです。

 そんなもの要らない。

 僕は貴方が幸せならそれでいいのに。僕にとっての幸せは、貴方と居ることなのに。

 これからかみさまがやろうとしてることは、僕にはよく分からないけれど、きっと、悲しいことだ。


「君に託すよ。私は駄目だった。安寧より憎しみを選んだ。だけど君なら、こんな未来に辿り着かないかもしれない」

「やめ、てください……」

「辿り着いたとしても、君が納得する答えであって欲しい。誰かに言われたんじゃなくて、この結末に意味を見出してほしい。君の未来のその先で、私は待ってるから」


 涙が溢れて止まらなかった。

 かみさまの言ってる一言一言の意味は分からなかったけど、なぜだか酷く悲しい気持ちになる。

 耐えきれずに顔を上げてかみさまを見ようとしたけど、そこにはもう『少女』はいなかった。




 ーーそこには『神』がいた。




 真っ赤な彼岸花が髪留めの如く頭に咲き誇り、身体中に呪詛のようなものが書かれた包帯が巻かれ、口や目が張り付いた真っ黒な手が纏わりつき、その周囲には赤い鳥居と古びた卒塔婆が立ち並ぶ。

 初めて会った時の神々しさとは真逆。正に邪悪を体現した禍神(まがかみ)がそこには居た。

 けれどもその美しい表情だけは残されていて、そのアンバランスさが余計に彼女の背負う重く苦しい呪いを明瞭にする。


「ぁ、ぁ……」

「ごめんね。醜いかな? あはは。でもこれが私。そして、これから君が成るもの」

「な、に、を……」

「巫女はね、神の後継者の意味もあるの。いずれ神に至ると人身御供(ひとみごくう)にされたのが『私』……ううん、『私たち』だった」


 この近くまで火の手があがる。かみさまの覚醒に呼応するように、樹木が荒れ狂い、僕の前に陽炎の如くゆらめいて見えた。

 けれど目を逸らせない。かみさまの吸い込まれるような瞳を凝視する。本心を聞き逃さないように。


「私は……きっとどこにでもいる女の子で、それはみんなも同じで……私たちは一人一人、ただのどこにでもいる女の子。

 知ってほしい。見ていてほしい。君がかみさまとして全てを知ってその上で憎しみを乗り越えることができたのなら」






 かみさまは僕の髪をさらりと撫でて、そして、





 ーー口付けをした。





 甘い。とても甘くて、そして、寂しい味がした。

 そしてそのまま彼女は耳元に顔を寄せる。


「ねぇほの囮、お願い。





 私を、見つけて」





 ただその言葉が僕を微睡へと誘う。

 あの時の悲しげな顔を、僕は生涯忘れることはないだろう。

 そんな確信を胸に抱いて。

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