1章5話:僕にとってのゲームスタート
1話冒頭から数時間、授業を受けながら感じるのは、得もしれぬ違和感だった。
金曜日の3時間目はクラス担任の先生が教師を務める数学の授業なのだけれど、やけにみんなの目が温かいものとなっていた。
入学式の日の一件で僕を見るみんなの目は色々と変わっていたが、今度は何を企んでいる?
授業後、数少ない女子生徒からすれ違いざまに、
「おめでとう」
と言われた。
意味がわからない。
普段なら海知や夏葉に相談するのだけど、ここ1週間彼らのことは避けているので状況が見えてこない。当然友達など他に居ないので、僕は嫌な予感に襲われながら1日を過ごす羽目になった。
5限の終わりになって、ニコラがニヤニヤしながら僕の席に近づいてきた。あの一件以降あまり動きがないと思っていたけど、一体何の用だろう。
「ねぇほの囮、放課後暇だよね? ちょっと残って欲しいんだけど」
「……? 何かあるの?」
「うん、きっとほの囮にとっても良いことだからさ!」
「いよいよ、だな」
「うん、今日がいいよ。ほの囮だって早い方が良いだろうし!」
海知がおずおずと会話に割って入ってきたので僕は黙り込むが、それに構わずニコラは話を続けた。
今日何かあるのか? しかし逃げてもどこにも行き場なんてないのだ。僕には放課後ニコラの元に行く他に選択肢はなかった。
そして放課後、僕は、大きな悪意を晒されたのだと気付いた。
「ほら、これ。絶対似合うよ、ほの囮っ」
放課後の教室。
満面の笑みで手にセーラー服を持つニコラと、その周囲を取り囲むクラスメイト達や教師。
この学校の高等部女子制服、その僕専用のものが出来たのだという。
先生含めて周囲の人達はそれはもうノリノリだった。みんながみんな、動物園のパンダを見に行くノリで教室に集まる。そこには一仕事終えて良い汗かいてる先生と、どこか感動している夏葉、真剣な表情の海知、ニヤニヤと眺めてくるクラスメイトたち。そして、ニコラ。
ーーこの世界は狂ってる。
心の底からそう思った。
そう思ってる間にも人は増えていって、僕を囲むように男子生徒たちがニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべて立っているのも見えた。
「ホモなんだろー? 早く着替えろよー」
とか、
「女の子になりたいんだろ?」
とか、
「脱ーげ! 脱ーげ!」
とか、明らかに遊び感覚で野次を飛ばす彼らの瞳は、僕にとってはどこか狂気的に映る。
「俺はほの囮が例えその、男が好きでも全然受け入れるから、さ? いや、寧ろ……」
海知がそんなトチ狂ったことまで宣い始めたからいよいよ末期である。
彼は何か覚悟の決まったような顔をしていて、このあと何をしようとしているのかは分からないけど碌でもない事になることだけは分かっていた。
ああ、もうここまで来たら認めるよ。認めざるを得ない。
僕の世界は余りにも海知に都合よく出来ていた。まるで僕が海知たちにしか拠り所がなくなるかのように世界は動き、まるで1つの物語のように次々と展開していく。それこそギャルゲーなのかな? ってくらい。
『女装イベント』
そんな単語がふと頭をよぎる。この世界がゲームであるならば、僕の今の状況はそういうことだ。僕の『メス堕ち』を企んだニコラが仕組んだこの状況は、今までの地獄のような時間の集大成と言っていい。
事あるごとに海知とくっつけようとしてくる彼女ら。僕の恋心までを捻じ曲げて、曲解して、挙句にこうして捏造して、僕がまるで海知のことが好きであることの既成事実を作ろうとしている。
「ぼ、くは……」
認める。
認めるよ。
ここは、ニコラの『ゲーム盤』だ。
ニコラにとってこのゲーム盤は、僕と海知をくっ付ける為の場所だろうか。少なくとも僕も海知も何らかの役割を押し付けられているんだ。
「は、ははは」
思わず笑いが込み上げてくる。
こんな詰みの盤面を見せられて、人間は泣いたり叫んだりするよりもまず笑うのだと、一つ勉強になった気分だった。
「さ、ほの囮。これで終わり、いや、始まりだねっ。早くメス堕ちして。海知か、それ以外の男達(モブ)かのどっちかのヒロインになって」
このまま何もしなかったら僕は一生物語の、いやニコラの奴隷に成り果てる。ただシナリオに沿って海知に惚れるだけの『ヒロイン』に成り果てる。思考はそうでなくても環境がそう動いてしまう。
それは嫌だ、嫌だけど…。
けど、もう疲れた。
だって、どうしろっていうの?
この街を、この世界をニコラが思うように動かせるのだったら僕は彼女にどうやって抗い続ければいいの?
中1のとき、海知に村上ニコラという女の子を紹介されてから、ニコラは少しずつ少しずつ僕と海知の仲を揶揄うようになった。
それはきっと、夏葉が叶わぬ恋に身をやつさない為。
海知の僕への恋が叶う為。
そして、自分が夏葉と結ばれる為……。
ーー僕の意思はどこにあるっていうの?
そうだ。
ずっとそうだ。
ニコラも、夏葉も、海知も、ずっとずっとずっと、ずーっと! 僕の意思なんて関係なく色んなことを押しつけて、押しつけて押しつけて、もう本当に疲れた。……彼らに付き合うのがもう疲れた。
ならばいっそこのまま、ニコラに従ってればきっと楽だろう。ゲームのように淡々と僕の人生を進めてくれる。この狂った世界で、感情を殺して生きていけば間違いないのだから。
感情さえ殺してしまえば、僕はきっと夏葉とはいい友人で居られる。夏葉はニコラと結ばれ、僕は海知と結ばれる。海知も、ニコラも、もしかしたら夏葉もみんなが幸せになれる。
感情さえ殺してしまえば、僕はきっと犀潟家に家族として迎え入れられる。僕とヨハンとカノンは3姉妹の花嫁として街に奉仕し、叔父叔母夫婦の虚栄心はさぞ満たされることだろう。家族はみんなが幸せになれる。
感情さえ殺してしまえば、クラスメイト達に迎え入れられる。女子生徒は数少ないから、きっとチヤホヤされることだろう。多分碌でもない悪戯とか、悪戯で済まないような行為をされるかもだけど、それも感情がないなら気にならない。学校中が幸せになれる。
感情さえ殺してしまえば、街の人たちに受け入れられる。彼らの期待する花嫁として、彼らの相手をして、彼らの言う神に一生を尽くし続ける。その先に何が待っているのか知らないけど、感情がないならきっと気にもしない。街中が幸せになれる。
僕さえ幸せを諦めれば、みんなが幸せになれる。
もう疲れてしまったから。諦めてしまえば楽だから。みんなの幸せに貢献できるから。
だから、もういい。
「本当に?」
「……………………え?」
声がした気がした。
朝露が零れ落ちた時の音のような、儚く透き通った声。
僕はこの声を知っている気がする。何処かで、何処で? この言葉も、昔聞いたことが……。
「______の人生は______だけのものだよ」
聞いたことがある言葉。
聞いたことがある声。
僕、の記憶……?
いや、そんなことは今どうでもよくて……。僕はやっと気づいたことがある。
ーー僕は今、なんで諦める方向で考えていた?
背筋が凍った。
僕が今もし諦めてたら、きっと僕じゃない僕が未来にいることになっていた、そんな感覚。ニコラに支配された僕が全くの別人として生きている未来が想像できる。
そしてそんな風に思考を誘導したのは……まさか……ニコラ?
「ほの囮?」
「何固まってんだよー。早く!」
「「「「「はーやくっ、はーやくっ!」」」」」
教室内で煩いコールが始まったけど、それが全く耳に入ってこないくらい僕の頭の中は恐怖と困惑でいっぱいだった。
先ほど僕の思考を誘導したのは、ニコラの力なの?
でも、だとしたらその力を打ち消したさっきの声は、だれ?
この耳に残る声は、僕を引っ張ってくれた声は、君は、だれ?
「行かなきゃ」
思わずそう呟いていた。
直感する。
今この声が"分岐点"だ。きっとこの声を信じなかったら僕は一生後悔する。一生ニコラの奴隷で居続ける羽目になる。感情を殺して、幸せを諦めて、誰かのために尽くし続ける未来を歩むことになる。
そんなのは、絶対に嫌だ。
嫌だ。
嫌なんだ。
疲れたとか、楽だからとか、みんなのためだからとか、そんな薄っぺらい感情で僕の未来を決定なんてしたくない。
僕は、僕の為に生きるって、いつか誰かに、あの声の主に誓ったはずだから!
故に叫ぶ。
恐らくこれまで出したこともないような大きな声で、あの樹海の奥まで届くような声で、僕自身の本音を。
「絶対着ねぇよ!!! ばーーーーか!!!」
僕は逃げ出した。
そう、逃げ出したことによってようやくゲーム盤は動き出す。
ニコラのじゃない、海知のでもない。
僕が僕自身の道(ルート)を選んだことで、僕だけの人生(ゲーム)がようやく始まったのだった。
★「【犀潟ほの囮ルート】。ルート分岐1,逃げるor逃げない。犀潟ほの囮・END1が解放されました
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