妖火の樹海Ⅱ/亡霊と踊れ

 木々に炎が移り、枝葉が燃え広がる。

 暗い森に、轟々と火焔の波が押し寄せ、森林を丸呑みにしていく。


 炎が、夜を照らす。


 重苦しい黒煙が夜空に浮かび上がる最中、マルロドは腰を低くして、炎を踏み歩く『彼』を睨んだ。

「他の者は?」

「殺した。一つの人間も一つの屍も、今はの中」


 天幕の影が、炎の中で崩れ落ちる。その傍で『彼』は歩みを止めマエロドを見据える。


「結界術の嫌なところは、区切りをつけるが故に外界を遮断することだ。外からは気付けないが、中からも異変を察知できない」

「……まさか」


 マエロドは、自身の行き着いた結論に、絶句する。


「我らの陣地全てを、回ったとでもいうのか」

「鼠を見つけるなら徒労にならん────どうする。何もしないのか死霊術師ネクロマンサー


 陰鬱が張り付いたような表情を浮かべるマエロドは、しかし口元を歪ませた。


「……死霊術師ネクロマンサー? あのような不出来どもに括るな」

 ……香りが、強くなる。

 炎によって切られた香炉が、怪しい紫光しこうを発して揺蕩う。


「侮るなよ狂人めが。私はあんな凡俗どもとは違う。その身を以て味わえ」

「おまえ一人でか?」


 問う『彼』にマエロドは「そうだ」と明快に返す。


「一つ教えてやろう。貴様ば始末した者達は、ただの術師に過ぎん」


 その言葉に、『彼』は笑みを消して訝しむ。


「屍律師は、私だけだ」


 マエロドは口角を上げて、




「寝惚けるな死肉ども、精々役に立ってから死ねっ!」




 手を振るい地につけた、その瞬間。

 二つの影が、『彼』の前に躍り出る。『彼』は炎に照らされる影を見て、息を呑んだ。


 それは先程、『彼』が食べた少年とマエロドが盾にした男だったからだ。


 二人の手に持つのは、火の受けて鈍色に輝く短剣。

 短剣が放たれる。最小限で的確な一撃が繰り出される。


『彼』は些事だとして、躱すこともせず頭部を潰そうと片腕を振るい────

 轟音と共に、『彼』に衝撃が奔る。


「なっ────」


 焼けるような激痛に、身体を折った。

 即座に振り返る。10mも離れた位置に、数人の術師が杖を構えて佇んでいた。ここにいた、炎の河に飲まれて焼き死んだ哀れな術師たち。

 焼け爛れて誰かも判別できない術師たちが、一斉に杖を『彼』に向ける。


「『◼︎◼︎◼︎◼︎・◼︎◼︎◼︎◼︎』」


 何かが唱えられて、杖の尖端が黒く輝き、まるで砲丸のようになったソレを放つ。


 魔力の塊を呪いとして撃つ単純な魔術。

 黒い砲弾が『彼』の背を襲う。衝撃に息が詰まり、逆くの字に曲がる身体。


 その隙を狙って、少年が肉薄し短剣を『彼』に刺した。傷口が血が流れるが、それだけ。死に至ることはない。

 ──だが。


◼︎◼︎◼︎◼︎エンチャント


 生気の帯びない声で呪文が発せられる。

 機械的に発せられる言の葉。生気もない呪詛が、森のざわめきの中で明瞭に聞こえる。


『彼』は視線を、己が胸部……肋骨の間に深く刺さる短剣に下ろした

『彼』は気付く。

 傷口の周囲が、覗かせる剣身が、赫灼かくしゃくとした輝きを散らしていることを。


 不能だった感覚が、急激に蘇る。

 危機を覚えた身体が意識よりも先に動く。

 両手で少年の腕を掴み、即座にへし折り、そのまま


 たたらを踏む少年を『彼』は思い切り蹴り付け、暗い木の中に吹き飛ばした。

 油混じりの血が溢れる。『彼』は握る手ごと、赤熱を宿す短剣を背後の術師たちに投げつけた。


 回転する腕が軌跡を描き、赤い閃光が術師の眼前で瞬く。

 赫い爆裂が、術師たちを呑み込んだ。

 風が生じるほどの大爆発。耳を劈くほどの音が響き渡り、生じた炎の刃が術師の身体を攫う。焼身した身体が曝露され、黒炭となった一部が崩れ落ちる。両腕がただのモノとなり、足が壊れ立ち上がれない術師が眼前に広がる。


 だが。


 彼らは、何事もなかったように、杖の狙いを『彼』に定め始めた。


「……よくもまあ、ここまで」


 口から出るのは、純粋な驚嘆。

 短剣を振り上げる術師の男を雑に殴打して、『彼』は唯一の生者へと振り返る。


「死者のまま生者の時を留めるか。ここまで技巧のある魔術師に出会ったのは久方ぶりだ」

「当然だ。そこらの凡夫と同等にされては困る」


 指が動く。指に巻かれた糸が、森の奥から何かを手繰り寄せる。


 背後から、気配が漂う。

 音もない。声もない。視線も息遣いも、抱える色も感情もない。

 灰色の虚無だけが、周囲を埋め尽くす。


「死を操り、死を創る。おまえも例外ではない。如何なる大魔術を使えど関係ない。使わせなければいいのだ」


 屍の群れが近づいてくる。死が躙り寄る。生を踏み潰すべく、歩いてくる。


 それは戦場で散った戦士たちであり、『彼』が串刺しにした兵士であり、哀れにも巻き込まれた市井の民たち。

 剣を、槍を、弓を、鍬を、鎌を。それぞれがそれぞれの立場を示す武具を構える。


「おまえの死因は圧殺だ。屍肉に潰されて逝くがいい」


 八方を囲んだ陣が狭くなる。地響きが森の彼方にまで届く。

 けれど鳥の羽ばたきが一つとしてせず。

 声も、情も、命も。全てを棄てらされた人形の足音だけが奔る。

 熱気のない戦音が迫り来る。

 その中で唯一。


「いいだろう」


『彼』だけは、戦場に相応しい笑みを浮かべていた。


「余興にしては大盤振る舞い。そうこなくては面白くない」


 加虐に満ちた、邪悪な微笑みを。

 囲う亡者たちに向ける。


「踊ってくれ。この亡霊と供に」

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