異なる世界で

暗き牢/魔法陣の上で

 瞼を開けると、目の前は暗闇だった。


「……?」

 寝ていた体を起き上がらせる。ぎこちない動きで。腕の節々に激痛が走り、妙に言うことを聞かない。

 それも当然で、今の『彼』は骨が浮き上がるほど痩せ細った老人の体に変わっていた。間接を曲げるだけで激痛が走る融通の効かない老肉。そんな不自由な体に『彼』はなっていた。


「なんだ……どこだ、ここは?」


 あの世、と考えたがどうも違う。手を床につけ、何かを探るように辺りを触る。

 大きさの異なる石が敷き詰められた床。絨毯となるものはなく、ゴツゴツとした岩肌が体を痛めつける。正面には固く閉じられた扉があり、その横でが凭れている。

 暗く閉じられた空間。ここが牢屋だと気付くのに時間は要らなかった。

 即座に『彼』は頭を振る。


「違う。何故、生きている。私は、あの者たちに……」


 顔を下ろす。暗闇に慣れた目に飛び込んでくるのは、奇妙な陣形だった。

 自分を囲うように描かれた円形の陣。幾多にも折り合わさった模様に連なる文字。

 既視感があった。自分にも深く関係する呪いの術式が、頭の中に浮かぶ。


(これは、魔術か?)


 魔術。神々の御業を人が扱える現象にまで落とし、人々に膾炙した技術。

『彼』がいた時代では奇跡を騙る異端とされ、多くの魔術師や魔女が火刑に処された。それでも様々な魔導書が写本、横流しにされ、何百年経過しても根絶されることはなかった。

『彼』もまた何冊か所有しており、目を通したことがある。円形に施された術式を。


 そのに似た何かが、自分の周りに描かれている。

 交差する線の中心に膝を折る『彼』は思案する。

 自分は確かに死んだ。燃え盛る城の前で、彼らに打倒されて死んだはすだ。

 なら、今の状況はなんだ。何故自分は生きている。

 そう考えていた時だった。


『召喚された……本当にしたぞ!』


 声が聞こえた。自分が立つ正面。扉が乱暴に開かれ、暗い空間に多数の光が現れる。『彼』は目を細め部屋に入る者たちに目を向けた。

 数人の男たち。赤髪・・の彼らが金属音を鳴らしながらこちらを見つめている。

 群青の鉄板を連ねた薄片鎧ラメラーアーマー、頭には簡易な額当て、腰には湾曲した剣が据えられているのみ。

 質素ではあるが抵抗を薄くした軽装。防ぐことより素早く動くことに重きを置いた装備。


 装備。そう装備だ。

 一目見ただけでも道楽で気取っているのではないと分かる。アレは本物だ。幾多の死線を潜り抜けた戦士たちだ。

 戦士たちの目が、生死のやり取りで色の濁った目が、『彼』に注がれる。

 扉付近にいた三人が湾刀を抜く。二人が扉横に倒れる石像に、一人が『彼』の目前で佇む。


『こいつが異邦人? ただの老耄おいぼれではないか!』


 男が振り向き……長なのだろう……声を聞いた二人が石像に掴み掛かる。その時石像の正体に気づいた。倒れていたのは枷をつけられた女だったのだ。


『おい、なにを呼んだ! こいつは何者────ちっ、死んでやがる』


 何度か揺さぶって反応がないと見ると、乱暴に女を押し除けた。正確には女だった骸を。

 金色の美しい線が落ちる。倒れた骸を目で追い、眉を潜ませる。

 女の耳は戦士たち、否、人間のよりも長かった。

 それだけではない。死骸なのに死臭もなく美しさを保つコレはなんだ。

 まるで、人とは異なる存在のような……

 思考が寸断する。男たちの叫びが空間を締め付ける。


耳長エルフの売女めが、役立たずを寄越しやがって!』

『今すぐに殺すべきだ! 罠かもしれん!』

『待て。召喚はされたのだ。矢避け程度には使える』

『しかしっ』

『これは勅令だ。貴様ら、陛下に逆らうつもりか?』


 戦士たちのざわめきが止んだ。何かを言われ、狼狽えていた感情を瞬時に固める。

『彼』は戦士たちが何を話していたか分からない。意味が汲み取れないのではなく、言語自体が理解できない。

 表向きとはいえ『彼』は一帯を占める貴族だった。故に異国の言語もある程度は習得している。しかし、彼らが話す言葉の中に『彼』が分かるものは何一つなかった。

 ここはどこだ、と疑念だけが強くなる。


『連れていけ』


 目の前の戦士が背を向け、入れ替わりに奥から四人の男が『彼』を囲う。

 床に膝をつく『彼』に槍が向けられ、何かを言いながら両腕を掴まれる。


「言葉は解せぬが」


 両手を背に回され拘束される中、『彼』は口だけを動かす。

 戦士たちが止まる。『彼』の口にしたことを理解したからじゃない。理解できないから警戒したのだ。猛獣の唸り声を聞いて強張らせるように。


「一度目は許そう。だが二度目は許さない。私に触れるな」


 短く強調した言葉は、けれど戦士たちに届くことはなかった。

 狼狽を隠すように隊長格の男が大声を発し、『彼』を囲う戦士たちが槍を向け、歩くように促す。

『彼』は老いた体に鞭を打って、暗い牢屋を抜けていった。

 刹那、名残惜しそうに後ろを振り返る。

 綺麗な人に近い娘の亡骸を眇めて、『彼』は思う。


(残念だ。骸でなければ、味見くらいしたかったのに)

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