縁側
壱原 一
閑静な山麓の借家タイプの古民家で泊りがけの休暇と洒落込んだ。
快晴の青空に、雲の白と山の緑が映える。伸び伸び茂る木々を揺らして、欠伸の如く風が渡り、木陰で葉擦れと木漏れ日が小気味よく軽やかに踊る中、しんと眠っているような古色蒼然たる家に着く。
アルミの引き戸をからから開けると、低い天井に籠められてみっしり詰まった暗がりが、明々と差し込む窓辺の陽光と溶け合って、我知らずため息が出るような落ち着く明暗を醸している。
こと大らかに整えられた野趣あふれる庭先を望む、悠々と幅を持たせた縁側の妙と言ったらない。
清々と窓を開け放ち、日頃の澱を濯ぐような満杯の日差しと草花の色、生き生きした鳥の声、日に焼く土や草いきれと青畳や家屋の木のかおりに、しみじみ床しく吸い寄せられて傍の和室へ寝そべった。
ここまで少し歩いたので、いささか熱のこもった背中に畳がひんやり心地よい。
ちよちよ、さららと細波のように寄せ返す音色や微風に誘われて、ふうっと煙が流れるように極楽気分で目を閉じた。
*
本格的に寝入る手前で俄に意識が浮上する。
まだ微睡みの内にあって重く閉じたままの瞼越しに、燦々たる陽の明かりが薄ら透けて感じられ、己が仰向けに寝転がり顔を縁側へ向けていると分かる。
顔を向けている数歩先に、全開の掃き出し窓と、縁側と庭が続いている。
その庭の土を踏みしめる足音こそ聞き逃したらしいが、ほんの少しの衣擦れと床板の軋みを伴って、いま誰かが縁側に座ったようだ。
さりさり、しゅる。
きしぃ。
そう重くなく、ゆったりした、例えば小柄な老人だろうか。乾いた土埃のにおいの中に、たっぷりと水気を湛えた黒土と緑のにおいが差して、どうやら草刈りや畑仕事を終えた後の風情に思われる。
ことんと脇に着いた音は、長年使い込まれて柄に丸みと艶を帯びた、刃の良く研がれている鎌と浮かぶ。
縁側に座った某が、白々鋭利な鎌を握る片手を突いて家へ上がり、すす、さぁ、きしきしと音を上げ、和室へ歩み寄って来る。
その音がつぶさに良く分かる。
十中八九ゆめとは言え、如何せん気味が悪いので起きようとするが目が開かない。ぐっと力んだ筈の体はのんびり畳に寛いで、輝く刃を手に近付く相手へ弛んだ寝姿を晒している。
そっと膝を突く音がして、微かにぞんざいな鼻息が吹き、こちらを見下ろす小柄な影から前屈みに腕が伸ばされる。
ごくゆるやかに湾曲した、冷たく硬く細い線が、剥き出しの首の筋に吸い付いて、皮膚にのめり、
びっくりする程なめらかに内側へ入って駆け抜ける。
*
吠えたくる犬も顔負けの渾身の大声で跳び起きた。
脳が「切られた」と誤解して、血を止めようと手で覆い、痛くて怖くて苦しくてぜえぜえひいひい息が荒れる。
だいじょぶ。だいじょぶ。大丈夫。
生きてる。起きた。
安堵がすごい。
危機を脱した爽快感が、湧き起こり噴き上がって止め処なく、居ても立ってもいられずに無人の和室を歩き回る。
自分史上、類を見ないくらいリアルで凶悪な夢だった。たぶん平生のささやかな抑圧の蓄積が非日常の安らぎに活気づき、ここぞとばかりに解放されんと、やたら暴力的なイメージになってしゃにむに殺到したのだろう。
興奮さめやらぬ気持ちであちこち視線を巡らせた先で、寝る前さわりもしなかった押入れが開いているのを見る。
和室の隅に据えられた、片開きの押入れの襖戸が、来た時すでに開いていたなら確実に目に留まった角度でこちらに表を見せ開いている。
とたん高揚が静まって、襖戸に意識が集中する。
ちよちよ、さららと細波のように寄せ返す音色や微風に促されて傍へ行く。
こちらの視界を遮る戸の、黒々真新しい金具を虫でも突く風にちょんと引くと、片開きの戸がゆらぁと開いて、空の内部が現れる。
ありふれたベニヤの底板に、横に平たい鈍角の
丁度こちらを向く小柄な人が、衰えて細い両足であぐらを組んでいた感じの、有機的な丸みと起伏を描く、とろっと脂っぽく濃い色をした、繊維が浸され、乾いたような、年季の入った染みだった。
まるで夢に見た老人が、かつて其処に座っていたような。
あるいは今すわっているような。
思うなり姿が想像され、意図せず体が仰け反って、1歩後退ると同時に、すぅ、ぱたんと戸が閉まる。
解いてもいない荷物を持って、家を出て帰ってしまった。
終.
縁側 壱原 一 @Hajime1HARA
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