第21話雨①

 陽太のまさかの彼女がいないということが発覚した後。



「え!?いたことないの!?」

「一度も!?」

「その容姿で!?」

「本当に!?」

「一度も!?」

 

 という嵐からの天然の追い討ちにより、陽太のメンタルはしっかりとブレイクした。というかされた。

 

「はいはい、お口チャックしような?な?」

「あばばばばばば」

 

 銀太が嵐の首を絞めて、嵐は口どころか意識ごとシャットダウンされるハメになった。

 嵐が白目を剥いて倒れているのをガン無視して、鳴矢と銀太は陽太のフォローにまわる。

 口が回る鳴矢と、銀太の甲斐甲斐しいお世話に、陽太はなんとか涙目ながらも復活を果たした。

 その日は帰った後、クロとシロを抱き枕代わりに眠ることで寂しさを紛らわせて眠った。

 またか、と思いつつも仕方なしにグスグスと泣く陽太の背中をポンポンと叩きながら、クロとシロは眠りについた。

 

 次の日。

 嵐に会ったときに陽太は笑っていない笑顔という矛盾した表情で対峙し、嵐は許されるのに1週間かかることになった。

 

 陽太と霧島の鮮烈な戦いはどうやら学校中に広まったようで、陽太への奇異の視線はなくなった。

 だからと言って積極的に話しかけられることもなかったので、陽太は学園生活に置いて初めて他人とのコミュニケーションを気にすることなく過ごすことが出来た。

 

 肩意地張らずに周りの視線を気にせずにいれることはとても身軽で、嵐達と行動を共にしながら陽太は楽しい日々を過ごしていた。

 

 淡墨や嵐達との訓練は刺激的で、クロとシロにも良い訓練になり陽太の日々は充実していた。

 特に淡墨の扱きは苛烈で、陽太はヒィヒィと言いながらもなんとか喰らい付いていた。そんな厳しい訓練の毎日だった。

 

 そしてとある朝。

 

 淡墨から連絡が来て陽太は急いで準備を始めた。

 暗い曇り空は、雨が降る予感をさせた。



『9時に駅前に』


 

 突然の淡墨からの簡潔で簡素な連絡に、陽太は少しの違和感を抱いた。いつもならもう少し丁寧な連絡を淡墨はしてくれるからだ。

 その違和感が正解だったことを、待ち合わせ場所にいた淡墨の表情を見て悟った。

 

「おはよう、黒河くん。急に悪いね」

「おはようございます!いえ、特に予定があった訳ではないので大丈夫です」

 

 淡墨は微笑むことなく言う。

 いつもより張り詰めた雰囲気を纏っているようで、陽太は改めて姿勢を正した。

 

 ラフな格好をした淡墨の隣には、全身がグレーの色の猫がいた。

 普通の猫よりも小さめなサイズのその猫は、背筋と尾をピーンとさせて淡墨に寄り添うように座っている。

 

「そういえばこの子の紹介をしていなかったね。僕のパートナーのシンラだ」

「初めまして、シンラ。よろしくね」

 

 陽太はシンラの前に屈み込んで座り、目を合わせる。

 その瞳は体毛よりうっすら透けて見えて、グレーというよりは銀色に輝いて見えて美しかった。

 

 そんな陽太を、シンラはしばらくじっと見つめた後、プイッと目を逸らして明後日の方を向いた。

 お前には興味ない、と言いたげな仕草だった。

 

「あんまり気にしなくて良いからね?」

 

 淡墨がフォローするが、陽太は苦笑いをしながらも気にしていないように言う。

 

「えぇ、アーマー種ですしね。最初から仲良くしてくれるなんて思ってないです」

 

 アーマー種は気高い種族である。

 そう簡単に主人以外の他人に心を開くことはない。

 

「自己紹介も済んだところで、そろそろ行こうか」

「今日はどこに行くんですか?」

 淡墨はその辺のコンビニに行くようなテンションで言う。

 

「“シンボルエリア”に」

 

 雨がポツポツと降り始めた。


 

――――――


 

 雨が降っている。


 そんな中、陽太は盾を構えていた。

 

 雨足は早くなる一方で鬱陶しく、苛立ちすら感じる。

 

 

――キィンッ

 

 相手の動きは緩慢で、その動作は単純だ。

 だから容易く弾くことが出来る。

 

 単調な攻撃だった。

 容易にいなすことが出来た。

 

 練習通り、訓練通りやればなんてことのない攻撃だ。


 が、今はその簡単な動作が思い通りになっていないことに、陽太の精神は苛立ちと焦燥を感じている。

 

――キィンッ

 

 難しくはない。

 易々とこなせることなのは間違いない。

 しかし自分の動きは明らかに精彩を欠いている。

 それが自分でも良く、わかっていた。

 

――キィンッ

 

 鬱陶しい雨は確実に自分の体力を、集中力を奪っていく。

 そのことを陽太は強く感じていた。


 雨が降っている。

 

 陽太の集中力を削ぐように、パラパラと。



 

――――――

 

 東京都。

 八王子市。

 そこはちょっとしたハイキングで子供にも登れる山として人気な場所だった。

 

 その名も高尾山。

 ピクニック気分で登頂するも良し、ケーブルカーで景色を楽しむのも良しと、海外からの人気も高く観光地としても有名だったその場所に、その面影はもう残っていない。


 秋には紅葉で美しい色彩で彩られた山々は、今はもう枯れ果て、朽ちたその木を大地に晒している。

 老若男女が歩き楽しんだ山道には、毒の沼が点在し、人間の行手を阻む。

 

 人々は言う。

 この山は毒に侵された。

 この山は毒に穢された。

 この山は毒に殺された。

 

“不登の山”、高尾山。

 

 人間の来訪を阻む、毒の山である。


 その山を目の前に、陽太はひるむ。

 山の上には、霧がかったように薄い紫色の霧がもやをかけ、その山のおぞましさを陽太に訴える。

 陽太にとって初めて間近で見る“シンボルエリア”。

 

 かつての美しさをネットの映像と比べて見た陽太は、衝撃を受けた。

 

 悲惨。

 

 それ以外の言葉出てこないくらい変わり果てた姿だった。

 うっすらと降る雨が陽太の身体を濡らし、その冷たさは悍ましさに拍車をかけた。

 

「恐ろしいかい?」

 

 高尾山の前で門番をしている人と話し終えたのか、淡墨は震える陽太にその心を見透かしたように言う。

 

「……いえ、大丈夫です」

「そうか」

 

 陽太の強がりに淡墨は何も言わなかった。

 今日の淡墨は優しくない。

 言い方を変えると、厳しい。

 

 元々訓練に手を抜く人ではない。元々厳しい人ではあるが、今日の淡墨の対応はどこか空々しい。

 

「じゃあここに来た理由を説明しよう」

「はい」

 

 そんな淡墨の雰囲気に尋ねることも躊躇ためらわれ、ここまで何も言わずについて来たが、ようやく訳を聞かせてくれるらしい。

 

「ちなみにここのことは知っているかい?」

「ええ、高尾山ですよね。初心者向けの“シンボルエリア”だとついこの間授業で聞きました」

「そう、ここは関東近辺でも最も敷居の低いシンボルエリアだ。ランクは最低ランクのE。魔物も強くないし、毒の沼は触れれば危険だが、触れなければいいだけの話だ。毒の霧も専用のマスクをすれば人体に影響はないと言うこともわかっている。山の中腹までならそのマスクすらも必要ない。特にトリッキーな仕掛けギミックもなく、安定している。かなり易しいエリアとしても有名だ」

「あえてエリアボスを倒していないという話も聞きました」

「その通り。ここのエリアキングは徘徊型の毒の蜘蛛。体長は4mくらいの大きい蜘蛛だが、注意すべきは糸と毒とその体長を活かした攻撃くらいで、しっかり人数を揃えて時間をかければ退治はいつでも出来る。それくらい分析済んでいるが倒していない。おっと」

 

 淡墨に寄り添っていたシンラが、雨を嫌がったのか淡墨の上着の中に潜った。

 服の中のシンラを抱えるようにして淡墨は続ける。

 

「君のような初心者のために残している。ここは言わば登竜門。この辺りの“魔石狩り”を目指す人間なら必ず来る所だ」

 

 陽太の顔が引き締まる。

 淡墨の言いたいことを、ようやく理解したからだ。

 つまりは、これは淡墨からの試験。

 

「それじゃあ黒河くん。ついておいで。門番の人にはもう話は通っているから」

 

 淡墨が背を向けて歩き出した。

 陽太もその背を追って歩き出す。

 おそらくこの試験の結果で、今後淡墨と共にやっていけるか判断されるのだ。

 

 身体に力が入るのがわかる。

 全身が強張るのを感じる。

 

 初めての場所。

 初めてのシンボルエリア。

 初めての狩り。

 

 初めて尽くしで陽太としては

 

――先に言ってくれ!

 そう叫びたい気分だった。

 

――そうすれば準備も色々出来たのに!

 そう愚痴りたい気持ちだった。

 

 しかし、それを淡墨はあえて言わなかったのだ。

 何も準備させず来させたのは、淡墨の企み通りだろう。

 陽太の精神力を試しているのかもしれない。

 

 ここで喚き散らすようなメンタルの人間なら一緒に潜るのは厳しい、そう思われるかもしれないと思い、陽太はグッと心の声を口に出すのを堪える。

 それは恥を晒すことでもあり、試験を降りることと同義でもある。

 そんな情けない真似は出来ない。

 既に試験は始まっている。

 

 淡墨は既に陽太という人間を見定め始めている。

 緊張で震える足を、一歩一歩踏み締めるように陽太は歩き出した。

 

 雨が降っている。

 

 降り止む気配はない。



「さて、“潜る”前に君の知識を問おうか」

 

 門番の横を軽く会釈をして通り過ぎた後、淡墨は言う。

 

「魔石の入手の仕方は現在3通りある。それは?」

「魔石樹からの収穫、エリアにいる魔石の回収、魔物を倒すことによる入手の3通りです」

 

 陽太はその問いに間髪入れずに答えた。

 

「うん、魔石狩りの仕事は落ちている魔石と、魔物を狩るのが目的だ。基本的に1人で潜ることは許されていない。それは?」

「死の危険性が高いからです。魔石生物にも個性があります。戦闘向き、支援向き、索敵向き、防御向きと多種多様です。それを1人で補うのは無理があるのでチームを組む必要があります」

「最低数は?」

「1人と1体で許可されているアーマー種を除けば、で2人以上4体未満です。多い分に特に制限はありませんが、推奨はされてません。理由はこれ以上の人数だと役割分担が細分化され過ぎてサボる人間が出たり、負担の多い人間が不満を抱き、チーム内で不和が起こるからです」

「ちゃんと勉強しているね。それじゃあ召喚してくれ」

「はい。来い、クロ、シロ」

 

 魔石が輝くと2体は姿を現す。

 

「グルルルル」

 

 急に危険な場所に連れてきたせいか、クロは淡墨に対して威嚇するように低く唸る。

 シロは陽太の肩に止まり、淡墨の動きをじっと見つめている。

 

「大丈夫だクロ。なんてことはない」

 

 そんなクロを落ち着かせるように陽太は身体を撫で付ける。

 

「いや、正しい反応だよ。ちゃんと危険なことを理解して、それに相応しい対応をしている。これから命の危険のある場所に行くのだから当然の反応だ。――だからシンラ、クロにそう敵意を向けないであげてくれ」

 

 クロの唸りに反応して服から飛び出たシンラは、その小さい身体で淡墨を護るようにクロを睨む。

 

「クロも落ち着け。大丈夫だ」

「ガウ」

 

 よしよしと耳辺りを撫で付けると、ようやく力を抜いてくれた。それを見届けたシンラは、淡墨の肩にピョンと飛び乗った。

 

「それじゃあ行こうか」

 

 そう言った淡墨の前には山道が見える。

 ここから先は命の危険の付き纏うシンボルエリア。

 

「…はいっ」

 

 固くなりながらも、陽太はしっかり応える。

 そこで、そういえばと言いながら、淡墨は振り向いて陽太の目をしっかり見つめて

 

「そういえばさっきの答えに一つだけ間違いがある。魔物を“倒す”ことではない」

 

 陽太を射抜くような視線で淡墨は言う。

 

「殺すことだ」


 遠雷が重々しく鳴り響いた。



♦︎♢♦︎♢



 陽太がこの山に最初に抱いた感想は正しかった。

 くずおれた木々の成れの果ては生命の終焉を演出しているようで悍しく、点々と存在する毒の沼は時折気泡を発してぽこぽこと音を立てる様は生理的に気持ち悪い。

 山の中腹を超えてからは、鼻から顎先までしっかり覆うガスマスクのようなマスクをしていなければ呼吸をするだけで死に至る世界。

 今いる地点ではなんの問題もない。

 現に淡墨もマスクはしていないし、念の為にとマスクを貸与されている。

 だが。

 そう聞いてはいるが、そんな場所に自分がいると思うと、次第に速まる心臓や呼吸が、陽太の心理をはっきりと代弁する。

 

 初めてのシンボルエリアに身体が強張り、たいした山道でもないのに呼吸が乱れ始めていた。

 自覚もないまま、緊張から来る心労が既に陽太を蝕み始めていた。

 そんな陽太を見て淡墨は言う。

 

「不思議には思わないか?」

「はい?」

「この山の上層部において、僕らはこのマスクがなければ体が麻痺し、動かなくなり、最後には肺や心臓すら動かなくなり死に至る。しかし魔石生物はそうじゃない。この毒は魔石生物には作用しない、いやもしかしたら効かないように調整されているかのかもしれない」

「そんなことまでわかっているんですね?」

「もちろん、だからこそ登竜門に足り得るんだよ。多くの人間が挑み、実験し、研究して結果を残す。学術的にも、人類の未来においても意味のある大事な行為だ。そしてこうした不思議を追っていくのが霧島ゼミの研究の一つでもあるんだ」

「そういえば霧島先生がなんの専攻をされているのか知りませんでした」

「専攻というものはないね。先生はオールマイティだ。興味のあったものは大体手を付けていくから」

「だから総合科目なんですね」

「最初はそういう訳ではなかったみたいだけどね。結局そこに落ち着いたみたいだ」

 

 淡墨はこの状況でも何ともなさそうに歩いている。

 その辺の公園でも歩くかのように。

 

 だからと言って油断していない訳ではない。

 

「ストップ」

 

 その言葉に全員が動きを止める。

 淡墨の視線を追い、朽ちた木をNWでズームして見ると水滴が何かに纏わりついていた。

 蜘蛛の糸だ。

 目線でその意図を辿ると、くずおれた木々何メートルにも渡っている。糸の先は長く遠いところまで繋がっているようだ。

 

「この先に蜘蛛の糸があるのが見えるかい?」

「はい」

「このように糸が張り巡らされているのがこのエリアの特徴でもある。あれに触れればここのエリアボスが反応してやってくるから絶対に触らないように。仮に触った場合はなりふり直ぐに構わず逃げること。クロに乗って最速で駆け抜けるんだ、いいね?」

「了解です」

 

 これが経験の差か。

 修羅場を潜ったレベルの違いか。

 その頼もしい背中に陽太は奮い立つ。

 

――負けてはいられない!


「それじゃあ少し迂回していこうか」

「はい!」

 

 淡墨の後を追う陽太からは気負いが抜け、程よい緊張感だけが残っていた。


_________________________________


『シンボルエリア』


強力な魔物の個体が、己の巣を作った場所だと言うのが定義である。

エリアキングの色の能力が反映される場所が多いからだ。

毒のエリアキングのエリアは毒に侵され、火のエリアキングのエリアは燃え盛る。エリアキングが自分の生きやすい環境を押し付けた場所をシンボルエリアと呼ぶと考えて差し支えはないだろう。

しかし例外も同時に多く、場所によってはエリアキングがいない場所もあり、それどころか魔物すらも出現しない所ある。

日本で有名な無害エリアと言えば、京都の“幻想浄土”嵐山だろう。

桜が散っては咲き、紅葉が落葉しては色付く鮮麗にて秀麗の山。人類の言葉では言い表せないほど美しく、シンボルエリアであるのにも関わらず人が押し寄せすぎて仕方なく観光地となった場所だ。

以上の通り、シンボルエリアとは多様に多用されている。エリアキングがある場所は属性が発揮されるエリアになることは間違いないが、それを鵜呑みしてはいけない。

シンボルエリアは超常が常用された領域。人類が生きられる場所ではない。


参考文献

その領域に踏み入れるのならばこれを読め

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