▼第五十六話「メンネフェル美少女大賞、開幕」メンネフェル大神殿編⑨




 ドゥスウルトゥの娘サリスは、アヌビスの挑発的な目を見て、言いようのない苛立ちを覚えた。サリスは、自分に対して媚びへつらう人間しか関わったことがなく、対等な存在を知らなかった。この目の前にいる褐色の女が、自分の権威を無視していること、それがどうしても許せぬ。


 サリスはメンネフェルの令嬢たちを集め、ひそひそと何やら密談を始めた。


「アヌビアさま、こんなところで揉め事を起こすなんて、正気ですか!?」メジェドは友人の放埓な行動に、哀れなほどに慌てていた。

「なに、先に目くじらを立ててきたのは向こうよ。私は喧嘩を買っただけ」

「アヌビアさまは声が大き過ぎるんですよ!!」

「はは、悪かった悪かった」

「もう!!」とメジェドは本気で腹を立てた。この呆れたじゃじゃ馬に、自分というお目付け役が付けられたのは、当然のことだと納得もした。そして、自分が果たすべき役割、アヌビスの操縦を、ここにきてしっかと再確認したのであった。



 時刻は正午、太陽が天高く昇ったころ、大神殿の一層部分の屋上にあたる場所で、楽隊が演奏を始めた。勇壮な曲調には、メンネフェルの栄光と、ナイルへの敬意、そして畏怖とが込められている。

 ナイル河の岸辺に集まった人々は、祭りの一番の目玉である、聖船の巡幸を見て楽しんだ。その聖船は、旗と垂れ布と花とで鮮やかに飾られており、水面を滑るようにして進んでいった。船上にはセト王の像や、ラーの像が載せられていて、その業績を神官たちが歌に載せて吟じている。人々は、その歌声の幽玄さに非日常を味わい、心を彼方へと広げていくのであった。

 ただし、ラーの詩からセトの詩に移るタイミングで、ほとんどの国民は興醒めた。とはいえ、熱狂的な素振りを見せねば、非国民として処刑されてしまう。誰もが不本意ながら、セト王の名を呼んだ。


 聖船は、ついにメンネフェル大神殿の岸に到着した。神官たちは、ラーとセトの像を慎重に船から下ろし、神殿へと運んだ。観衆らは、像の到来を歓迎し、歓声と拍手を送った。これが終わると、メンネフェル美少女大賞が始まるからである。


 少女たちは、神殿の二階にある大広間の袖に、座って待機している。順番に呼び出され、神官の前で自己紹介したのち、舞を踊る、という形式である。その様子を、審査員各自が採点する形式だった。またこうした出し物の一切は、魔法で生中継され、外部にも放送される。見物客にも投票権があり、審査員票と一般投票とで優勝者が決まるのだ。


 これは大変な娯楽だった。老若男女が毎年結果を楽しみにしている賞レースである。観客たちは、今年はいったい誰が勝つのかと、誰もが口々に噂をしていた。人気は過熱し、非公式に賭けまで行われ、短評をパピルスに書いた出馬表までもが販売された。


 その内容をかいつまんで紹介すると、


①ナフテト:貴族の娘。器量はまずまず。だが、舞いのセンスはない。親戚から大量に投票があるので過剰人気する。単勝十五倍。

②ロワリス:大貴族の娘。奥ゆかしい性格。気品があり、百合のごとくに美しい。舞いも上品。単勝五倍。

③カヤ:政商の娘。祖母と母が二代続けてメンネフェル美少女大賞を受賞している良血。その血を引き、本人も堂々たる美少女。世界で戦える。舞いは玄妙そのもの。単勝三倍。○対抗。

④ライラ:大商人の娘。きつそうな顔をしているが、美人。舞いの素養は不明だが、運動神経は悪いという情報あり。単勝十五倍。

⑤アーティカ:大貴族の娘。器量、舞、ともに及第点。ただし大舞台に弱い。昨年は放送中に緊張から嘔吐して顰蹙を買った。出禁だったが、賄賂で再び参加。雪辱なるか。単勝三十八倍。▲単穴。

⑥シャリーファ:貴族の娘。叔母がメンネフェル美少女大賞を受賞。良血。舞いの腕がめきめきと上達しており、昨年とは別人である。単勝九倍。△連下。

⑦ヤーサミーナ:大商人の娘。その名の通り、ジャスミンの花のような美しさがある。快活。舞いの手腕は不明だが、運動神経がよいという情報あり。単勝十倍。

⑧サリス:大神官の娘。昨年の受賞者。見目は美しいが、傲慢さが顔に出る。ただし、舞いは世代随一。その様子は花が咲き乱れるよう。単勝二倍。◎本命。

⑨メジェディア:ヌビアの貴族の娘。初出場で事前情報なし。単勝二百三十倍。

⑩アヌビア:ヌビアの公女。事前情報なし。噂では濃い褐色の肌らしい。単勝百五十二倍。


 と、権力者の親が見たら卒倒し、発禁処分にした挙句、評者を逮捕・収監するような直截的な表現である。なお、印はメンネフェル美少女大賞に造詣の深い予想家が打ったものであり、市井の人々はこういった印を見て判断していた。


 ディラは当日朝にオッズを確認すると、アヌビスに大量の金を賭けていた。負けるはずがない、と嵩をくくっていたのだ。なお、この賭けにはメンネフェルの成人のほとんどが参加していたので、膨大な金額が飛び交っており、ディラの大量購入でもオッズはさほど変化を見せなかった。


 が、しかし、勝負に絶対はない、ということを、ディラはすぐに知ることになる。



 競駝のレースで、直前にパドックを見て判断するのと同じく、メンネフェル美少女大賞にも当然そのような時間が設けられていた。

 投票締め切りの数十分前に、美少女たちは、それぞれの自己紹介を神官の前で行った。それを生中継を通して大衆が見るのである。


 まず、横並びになった美少女たちが、メンネフェル大神殿の巨大な壁に映し出された。そして、人々はざわめいた。謎のヌビアの公女が、あまりにも美しかったのである。蝶よ花よと育てられたメンネフェルの良血たちが、背景と同化して霞むほど、圧倒的であった。アヌビスが手のひら大の大輪の花だとするならば、ほかはせいぜい小指の爪先程度の花であろう。誰もが、主役はこの少女だ、と色めき立った。


 投票所は一転してパニックに陥った。前日買いをしていたものは歯噛みして悔しがった。もし、こんな子が出場すると知っていたなら! 単勝百五十二倍もあったオッズは、一気に百倍を割り込み、一時は三十倍になるほど売れた。それは物凄い売れ方である。しかし、それも無理はない。仮にイシュタルが出場したならば、これくらいの騒動になるに決まっているからだ。


 その血を引くアヌビスは、自身がイシュタルの息子だとは知らなかったが、もしイシュタルの顔を知っていたら、鏡の中に映る面影に気付いただろう。その美貌は、男どもの脳天を揺さぶり、血を熱くさせるようだった。そして男ばかりでなく、若い平民の少女たちでさえ、公女アヌビアの美しさに異国情緒を覚え、どんな化粧品を使っているのかをこぞって知りたがった。


 横並びで少女たちが映されている様子を、玉座からセトも見ていた。彼は、アヌビアの姿を見るなり、ワインの入った盃を手から落としそうになるほどに動揺した。


「似ている、あまりにも……」


 そのヌビアの公女は、まさにイシュタルの生き写しであった。挑戦的かつ蠱惑的な瞳、気高い唇、なめらかな首筋、すべてがそっくりであり、セトは手がわなわなと震えるのを抑えられなかった。


 しかし、肌は褐色である。イシュタルとの違いは、唯一そこにある。

 だが、イシュタルに子は一人しかいない。その一人も、産んですぐに死んだと言われている。しかも、調査の結果、男子だったことがほぼ確実にわかっていた。


——だから、あの子ではないはずだ。それに、イシュタルはウル人で、肌は白い。血縁にしては、あの肌は濃過ぎる。しかし、なんらかの関係があるのではないか……。


 セトはしばし惑乱したすえ、情報局長のエアブカリを呼びつけた。エアブカリは高級将校とは思えぬほど、どこかいつも煤けた感があり、疲れた中年のオーラを漂わせていた。痩せていて、背の高い男であるが、やや猫背なのが特徴である。この日も、無精ひげを生やしたままセトの御前にやってきて、その指令を受けた。


「メンネフェル美少女大賞が終わり次第、余の前に、あのアヌビアというヌビアの女を連れてきてください」

「手荒にですか?」

「いえ、丁重に招いてください。少し、聞きたいことがあるだけですから」

「お安い御用です、陛下」


(つづく)

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